2014年1月30日

 安倍さんがよく言う言葉に、「対話のドアはいつも開けている」というものがある。昨日も国会の答弁でいったらしい。中国や韓国が首脳会談に応じないことを批判する言葉である。

 この両国の頑迷さを印象づけ、自分の寛容さを強調しようという腹づもりだろう。そうだそうだと思う人もいるかもしれない。

 実際、いくら見解が異なっていても、対話しないということはいい状態ではない。対話して、そこで安倍さんを批判すればいいじゃないかというのも、ひとつの見識だとは思う。

 だけど、問題は、本当に安倍さんが対話のドアを開けているのかどうかということだ。何でも対話の議題にするのかということだ。

 そうじゃないところに問題がある。だって、尖閣のことを考えてみればいい。安倍さんの立場によれば、そもそも尖閣をめぐる領土問題そのものが存在しないのである。存在しない問題を対話するということはないのだ。尖閣問題を首脳会談の交渉議題にするかと聞かれたら、安倍さん、ただちに拒否するだろう。対話対話といいながら、対話拒否というのが、安倍さんの基本姿勢である。

 だから、中国は、「対話のドアが開いているというなら、尖閣を議題にしよう」と、おおやけに呼びかければいいのだ。そうすれば、対話の安倍さん、対話拒否の中国という構図は、あっという間に崩れるのにね。

 それを思いつかないところか、悲しいことに、中国の中国たる所以でもある。世論と関係ないしに政権ができているから、ただ強硬姿勢にでて屈服させるというやり方が身についていて、世論に訴えて味方につけるということを考えないわけだ。

 まあ、どっちもどっちなんだけど。

 最後に、いつも堅苦しいことばかり書いているので、たまには違う趣向で。昨日、仕事で福島の保育園に行ったとき、聞いた話です。

 子どもを迎えに行ったお母さんによると、見たこともない遊びを子どもがしていたとか。それが「飲み会」というんだそうです。

 机がきれいにセットされて、コップとかいろいろ置いている。まわりで、みんなかしこまって座っているそうです。

 まず自己紹介をするそうな。「私、○○○○といいます。22歳です。ドーナツやさんで働いています」とか、「○○です。28歳で、ガソリンスタンドで仕事してます」とか。

 でも、まだ、飲み会に来る年齢層の感覚をつかめないのか、「私、87歳です」という子もいるとか。いや、その子のお家では、高齢者も元気で飲み会に行ってるのかなあ。

 それで、親の迎えに気づいて、「そろそろ終わろう」という頃になると、「ラストオーダーが入ります」とか言うんですって。いやあ、すごいな。