2013年12月27日

 本日、弊社もふつうの会社なみに、仕事納めです。エアコンを掃除したり、机を拭いたりして午前中を過ごしました。

 今年は休暇が長いですね。9連休。だけど、やることがいっぱいあります。

 ひとつは、来年に出版したい本の執筆。今年、『憲法九条の軍事戦略』を出したとき、当初そのなかにあった「なぜ戦争は起きるのか」という章を削除したんです。戦争を起こさないための軍事戦略なので、なぜ戦争が起きるかって、戦略論としても重要なんですが、「戦略」そのものをスッキリ打ち出そうということで、削除することになったわけ。ただ、内容的には大事だと思うので、それだけで1冊の本にしようと思います。どこから出すかは未定です。

 もうひとつ、『憲法九条の軍事戦略』にかかわって準備している「会」にまつわる、いろんな仕事があります。設立趣意書も必要だし、政治の世界でメジャーになることをめざしているので、全国会議員は当然のこととして、いろいろな方々に一斉に情報を発信していくためのシステムもつくらなければなりません。すでに多くの方のご協力を得ていますが、昨日に書いたように、ホームページの作成など手つかずの部分もあり、さらにご協力をお願いしたいと思っています。

 気の重たい仕事もあります。そのために年始には東京に行かねばなりません。まあ、仕事だから、やりたいことばかりやるというわけにはいきませんよね。

 それでも、全体としては、すごくやり甲斐を感じながら、日々を過ごしています。このブログ、基本は平日に書いてきたので、9日間お休みするかもしれませんが(大事なことがあったら書きます)、来年もよろしくお願いします。

2013年12月26日

 これまで年末というのは、政治の世界では、お金の話が飛び交う時期だった。予算編成の時期だから、どこにお金をつけるかということが政治家の関心事であり、それが政治家の選挙基盤を支えていたわけだ。

 だけど、今年は、とんとそんな話は聞かない。この12月、問題になったのは、秘密保護法であり、国家安全保障戦略や防衛大綱であり、そして今日の靖国参拝、明日の普天間基地の辺野古移設容認ということになるわけである。これが憲法改定につながっていくのだろう。

 これは、お金より軍事に政権の関心が移っているというだけではない。軍事にかかわる話をすることが、政治家の選挙基盤を支えると思われているということである。そうすることが世論の支持を得る状況にあると言ってもいい。

 政治の構造が変わってしまったわけである。だから、われわれも、軍事の話をして支持が広がるように、主張と活動を見直すことが求められているように思う。

 その際に大事なのは、政治の構造が変わってしまったことへの自覚である。それがないと、この世論の現状に太刀打ちできない。

 先日、岡山に行ったとき、大事な話を聞いた。伊藤真さんが講演されたそうなのだが、そのなかで、九条をめぐって、「昔は専守防衛か非武装中立化が対決点だったが、今は専守防衛か集団的自衛権かが対決点だ」というようなことをおっしゃったという。伊藤さんって非武装中立論者だと思っていたので、すごくびっくりした。でも、さすが、この問題をライフワークにしている方であって、変化への自覚があると感じた。

 そうなのである。昔は、専守防衛は反動の側に位置していたが、今それは進歩の側にあるのである。そこへの自覚がないまま、進歩的なのは非武装中立だけだと思っていると、世論から置いてけぼりをくうことになる。

 同じことは自衛隊そのものについても言えるだろう。昔は、自衛隊を認めるのは反動の側だったかもしれない。しかし現在、反動の側に属するのは、その自衛隊を「国防軍」にしようとする勢力でなのである。集団的自衛権を行使する軍隊にしようとする勢力なのである。自衛隊の専守防衛というあり方を探究するのは、大きくいって進歩の側に属するという位置づけが必要になっている。「自衛隊を活かす」ことが進歩の側にとって求められるということでもあろう。

 靖国とか普天間とか、個々の課題への対応も大事である。しかし、政治の構造全体を問題にして、政治のあり方を問い直すことが不可欠である。

 ということで、来年の私の課題は、着々と進行中。何人もの方が協力を申し出てくれて、いろいろ作業が進行中なんですが、ホームページをボランティアでつくってくれる方、いませんか? タンブラーなんか使ってかっこいいのができればいいですけど、そこまでは求めませんので。

2013年12月25日

 日本の武器輸出三原則は、たんに立派な理念だというのではなく、現実政治において大事な役割を果たしてきた。また、韓国軍に弾薬を提供するにいたった経緯や動機については、日本政府の公式の説明と違って不純なものが見え隠れしている。

 だから、反対するのは当然だと考えている。だけど、そこにだけ議論が集中するのは、問題の本質をめぐる議論を避けてしまうことになり、あまり感心しない。

 いま南スーダンでは、反政府軍が突如として攻勢をつよめ、大規模な内戦の危機が訪れている。避難民が大量に発生し、自衛隊駐屯地にも押し寄せてきて、自衛隊はその保護に専念せざるをえない状態だという。

 韓国軍の駐屯地には1万5千もの避難民が暮らしているそうだが、その駐屯地周辺は政府軍と反政府軍の対立が特別に深刻な場所だということだ。民族同士の争いだから、特定の駐屯地には特定の民族が固まって避難していて、それを別の民族が敵視し、対立している状態だ。それを保護する韓国軍自体は、わずか700名。

 つまり、事態の推移次第では、駐屯地に武装勢力が押し寄せてきて、避難民に対する武力攻撃が開始されかねない事態になっているということだ。

 だから、いま必要なのは、その事態をどうとらえ、どう打開するのかという議論である。国連が、両派に話し合いを求めると同時に、PKO部隊の増派を決めたのは、そういう現実をふまえたものである。話し合いでの解決が必要だけど、実際に戦闘が開始されたとき、保護している住民をどうするのか、その回答が必要なのだ。いくつもの考え方、やり方がある。

 たとえば、いま日本政府部内で浮上しているように、自衛隊を撤退させるという案。そうなれば、保護している住民を守るために武器を使うという選択肢もなくなる。

 あるいは、撤退はしないが、保護している住民が襲撃されても見過ごすという案。これは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるスレブレニツァの虐殺として知られるものと同じで、8000人以上が虐殺されるのを前にして、国連軍が何もしなかったというものだ。

 さらに、自衛隊は武器を使用しないが、武器使用任務で派遣された他国の軍隊に保護を委ねるという案もある。その他国が使う武器・弾薬が足りないとき、それを自衛隊が提供するかどうかという問題も生じる。

 また、政府軍と反政府軍の間に丸腰の自衛隊が入っていって、両者に紛争をやめろと説得するという案もある。国連の停戦監視要員がよくやるやり方であって、危険な任務だが、日本はアフリカでは、植民地支配の過去もなく、どの宗教や民族に加担しているわけでもなく、信頼を得ることは可能かもしれない。だけど、そういう任務を与える法律は、いま日本には存在しない。

 もちろん、外交努力だけをやるという案もある。そういうことも含め、いま考えるべきは、南スーダン紛争の解決策と住民の保護策である。それがないまま武器輸出三原則だけを議論するのは、どうも違和感がぬぐえない。大事なことを忘れた議論だと思う。

2013年12月24日

 この連休の中日、岡山に行っていました。同県の保険医協会が主催する講演会で、テーマは「憲法九条と軍事力を両立させていいのか」。 

 これが今年最後の講演。年末の忙しいときに、しかも連休の中日に企画するなんて、すごく常識的でないと思うんですけど、会場一杯の人に参加していただき、しかも質問の数も半端でなくて、とっても刺激的でした。

 来年最初の講演会は、これも常識外れで、1月5日(日)ですよ。東京で2日連続の講演会なんですが、その日が私で、次の日が慶応大学の金子勝先生ということで、講演者の知名度格差まで常識外れですね。

 来年は、いよいよ、これら講演会のテーマになっている「憲法九条の軍事戦略」を、本格的な動きにする年です。1週間ほど前、その関係者の打合せを東京でおこないました。発足は5月前後を予定していたのですが、安倍政権の動きが急なので、「会」の活動も早めることにしました。

 安倍さん、当初は「安全運転」だとか、「経済重視」だとか言われていましたよね。だけど、秘密保護法を正面突破し、年末に安全保障関係でいくつも文書を発表し、来年春には集団的自衛権の報告書も出させるということで、大きくカーブを切ったという印象です。おそらく、秘密保護法をめぐる動きのなかで、圧倒的多数を占めているという現実に自信をもち、「やはりいましかない」と思い定めたのでしょうね。

 こちらも覚悟を決めてやるしかありません。まず、来年は、憲法九条を守ることを前提にして、本格的な防衛政略をつくりあげます。自衛隊の関係者にも納得してもらえるようなものです。というか、そういう方々がひとつの主体となってつくるようなものです。安倍さんの軍事戦略と比べたとき、「こっちの方が安心できる」と思えるようなもの、と言ったらいいでしょうか。

 それを来年つくって、再来年は、それをベースにして、政界に殴り込みをかけます。いま、秘密保護法に見られるように、世論では多数なのに政界では少数という状態が、固定化しています。そこを打開するような動きをつくりたいと思います。これを再来年にしかけておかないと、その次の年はダブル選挙ですからね。護憲の選択肢を幅広いものにすることが、政治の世界に殴り込みをかけるうえでは不可欠だと感じます。

 ということなんですが、どなたか、お手伝いしてもらえませんか。とりわけ、ネットまわりの仕事に習熟している方がいれば、とってもありがたいです。来年2月から本格始動するので、年明けすぐにたくさんの仕事があります。よろしくお願いします。

2013年12月20日

 「季論21」という雑誌があります。来年1月に刊行される号に、このタイトルで寄稿しました。昨日と同様、「はじめに」だけを紹介しますので、興味がありましたら、お買い求めください。年末で忙しくて、連日、お手軽記事で申し訳ありません。

 「憲法九条を変えないまま戦争する国へ」──集団的自衛権をめぐる現在の局面を一言で特徴づけるとしたら、こういえるでしょう。護憲平和勢力の闘いは正念場を迎えています。

 ところで、その護憲平和勢力のなかでは、集団的自衛権を許してはならないことについて、これまで証明不要のようなところがありました。なぜかといえば、集団的自衛権には平和勢力が反対してきたというだけでなく、日本政府も「違憲だ」との立場をずっと維持してきたからです。政府の立場からしても憲法違反なのですから、平和勢力がこれに反対するために、特別な論理を構築したり、材料を集めたりする必要はありませんでした。

 ですから、平和勢力が集団的自衛権を問題にする場合、「アメリカと一緒になって海外で戦争するものだ」というような反対論が主流だったといえます。それは本質を突いた反対論ではありますが、一方で、そういう論理が通用するのは、日米同盟の本質をよく理解していることが前提だったといえます。そもそもアメリカは悪い戦争をする国であり、日米安保条約はそのアメリカに日本を縛り付けものだという認識を共有する人びとにとっては、この論理で大丈夫だったのです。

 しかし、今後はその政府が、これまでの解釈をかなぐり捨てて、集団的自衛権が合憲であり、世界と日本の平和にとって不可欠だとの立場から、新しい論理で攻めてくることになります。しかも、世論調査では日米安保条約が八割近い支持を得ており、中国や北朝鮮をめぐる問題で国民が不安を強めている現状があります。そのなかで、集団的自衛権に反対する世論を大多数のものにしていくためには、これまでとは異なる特別な努力が必要です。従来型の論理にとどまっていてはいけないのです。

 本稿は、そういう立場から、集団的自衛権の問題を考察し、反対論を豊かにしたいと願って書いたものです。とりわけ、集団的自衛権をめぐるあれこれの解釈ではなく、その実態から本質に迫ろうとするものです。その論点の多くは、筆者が最近上梓した『集団的自衛権の深層』(平凡社新書)に重なるものであることを、あらかじめお断りしておきます。