2014年2月14日

 解釈改憲に関する安倍さんの国会での説明が、いろいろと波紋を呼んでいる。自民党内にも異論が出ているが、当然のことだろう。

 しかし、この問題は護憲派にもはねかえる問題だから、よくよく整理しておいた方がいい。そうでないと、「返す刀で……」ということになりかねない。

 憲法にかかわる解釈が変わることは、当然のこととしてあり得るだろう。これまでも、そういう事例はあった。だから、どんな解釈変更も認めない、という論理は通用しないだろう。

 では、集団的自衛権を合憲とする解釈改憲は、どういう論理でダメだというのか。これまでの法制局のように、憲法そのものの論理からして、その積み重ねがあって、やはりダメだということなのか。

 でも、その論理のなかには、自衛権とその範囲に収まる自衛隊は合憲だとする解釈が中心をしめる。護憲派(その中でも自衛隊を違憲だと考える人たち)は、それをどう考え、どう対処すべきか。

 たとえば、この問題を護憲政党が追及していたとする。それに対して、安倍さんは、「あなた方だって、選挙に勝って政権をとったら、解釈を変えるんでしょう。自衛隊を合憲から違憲だと180度変えるあなた方の立場に比べたら、私の方がずっと穏健だ」なんて答弁するだろう。その時にどう答えるかという問題でもある。

 「正しい」解釈改憲はいいんだというのだろうか。それって、でも、安倍さんだって「正しい」と思ってやっているわけで、護憲派は、正しいかどうかを政権が決めていいのかという角度から追及をしているわけだから、通用しないような気がする。

 あるいは、「われわれは自衛隊の段階的解散という立場であって、すぐにはなくさないんだ」と言うのだろうか。でも、それなら、政権が憲法違反の行為を重ねることになる。自民党政府だって、自衛隊のイラク派兵など違憲だと思う人もいただろうが、憲法違反を政府がしていると認めてしまえば政権はもたないから、「合憲」だと言い張ってきた。自衛隊を違憲だと表明しながら、それを保有する政権は、やはりもたないだろうと思う。

 それなら、「われわれは連立政権をつくるのであって、そこでは自衛隊違憲論と合憲論が同居しているので、とりあえず政権としては自衛隊合憲論に立つ」と言うのか。私は、これしかないと思うけれど、護憲政党がそこまで踏み込めるかということになると、なかなかむずかしいと感じる次第である。

 しかし、論戦する場合は、かならずその答を準備しておかないといけない。どうするんだろうね。

2014年2月13日

 脱原発運動の分裂にもかかわって、また書いておく。もっと背景にある問題だ。

 いま、多くの方が、安倍さんの路線に対して危機感をもっている。憲法9条にかかわる問題もそうであるし、原発問題もそうだと思う。

 それにどう対抗するのか、安倍さんを打倒することをスローガンにするとして、打倒した後、どんな政権をつくるのかが問われている。だって、打倒したあと、石破さんが引きつぐことになっても、展望がないでしょ。少しでもましな政権をめざさなければならない。

 その政権は、それなりの良質な保守と、原理的ではない革新が手を組む政権になると思う。なぜそう思うかというと、理由はふたつ。

 ひとつは、そうじゃないと多数派になれず、安倍さんには勝てない。世論では多数になっているように見えても、政権をまかす選挙になると安倍さんの路線が多数を占めるのが、この間の現実である。良質な保守だけでは、どんどん衰退していって、昔のように派閥抗争のなかで首相をとれる状況ではなくなっている。革新は、運動体としては世論の多数を占めても、政権を任せられるだけの信頼は得ていない。両者が一緒にならないと話にならないというのが、都知事選でもはっきりしたと思う。

 もうひとつは、そういうことが可能になる現実の情勢があるからだ。政権共闘をしようと思えば、基本政策の一致が必要である。

 安全保障の分野では、近く、自衛隊を否定するのではなく、かといって国防軍へと行くのでもなく、現行憲法のもとで生まれた自衛隊の可能性を活かす安全保障政策を打ち出す会が、それなりの人たちによって誕生する。安倍さんの安保抑止戦略とは異なり、日本と周辺の安全を作り出す政策であるが、日米安保と自衛隊の存在は否定しない。これなら保守と革新で一致する部分がある。

 安全保障政策の一致だけでは政権は生まれない。しかしそこに、脱原発という経済・エネルギー政策の根幹でも保守の側からひとつの流れが表面化したのが、今回の都知事選挙だった。

 この流れを発展させることが求められていると私は思う。だけど、保守と革新の共闘なんて、あまり体験したことがない。運動面では生まれている。政権面では社会党と自民党の連立があったけど、社会党は、安全保障の独自政策がないまま、ただ取り込まれていった。保守と連立する場合は、いまの安倍政権とどこでどう対決するのか、その面での基本政策が大事である。

 じゃあ、その際、これまで革新がかかげてきた政策を、相手に丸呑みさせるのか。脱原発では即時ゼロ、TPP絶対反対、新自由主義のいかなるあらわれ(人によって何があらわれか違うだろうけど)も絶対阻止等々。安全保障政策と同様、意味がある妥協というのも必要ではないのか。あるいは、過去への反省と総括が必要だという人がいるけれど、じゃあ、安保廃棄は政権として求めないという合意になったとして、保守の側から、「これまで左翼が安保廃棄を求めてきたことへの反省と総括がないと一緒にやれない」と言われたら、いったいどうするのか。

 保守と革新の協力というのは、これまで前例がないだけに、考えるべきことがいっぱいある。だから楽しいんだけど。

2014年2月12日

 いまの反原発運動の分裂をめぐる議論を見ていると、「禁」と「協」の論争を思い出す。もちろん、同列におけない要素も多いのだけど、論争のあり方という点では教訓が多い。

 1960年前半のことだが、「いかなる国」問題や部分核停問題があり、いっしょに原水協でやっていたのに、総評や社会党が飛び出していって、原水禁をつくった。その原因と責任をめぐっては、お互いに言い分があった。

 「禁」の側からすれば、まず、いかなる国の核実験にも反対するのが当然だという、しごくまっとうな意見があった。しかも、原水禁世界大会では、数年間核実験がおこなわれていないという喜ぶべき現実をふまえ、次に核実験をする国は全人類の敵だという決議を満場一致で採択していた。それには日本共産党もソ連も賛成していたのに、ソ連が核実験をおこなったら、一転してソ連を批判すべきでないという態度に変わったのはおかしいだろうというのが、「禁」の側の論理であった。

 日本共産党は、社会主義国と資本主義国の核実験には根本的に違いがあるので、「いかなる国」の核実験にも反対だというのは誤りだという態度をとった。同時に、そういう態度をとってはいるが、それを原水禁運動に一致点として求めることはしておらず、原水禁運動は核兵器全面禁止という一致点で進めるべきものなのであるという態度だった。そして、意見の異なる「いかなる国」問題での支持を原水禁運動に押しつけるのは誤りだと主張した。

 その論争と分裂が原水禁運動にもたらした弊害はたとえようもないほど深く、重い。その後、いくつか統一への機運は起きたが、回復できなかった歴史がそのことを物語っている。

 73年に、こんどは社会主義国である中国が核実験をおこなった。当初、共産党は「いかなる」問題のときと同じ態度をとったが、すぐに態度を変え、社会主義国の核実験にも反対するという立場にたった。分裂の引き金となった問題での意見の違いが解消されたわけだから、統一は可能になるはずだった。しかし、「禁」の側は、共産党が過去に間違った態度をとったことへの反省と総括が必要だと主張し、共産党は、引き続き社会主義と資本主義を同列視していないと強調するとともに、分裂していったのは「禁」の側だと応じ、統一は問題にもならなかった。10年の論争の応酬は、すでに信頼関係を失わせていたわけだ。

 国民世論の高まりのなかで、77年、「禁」と「協」は統一を合意し、統一世界大会が開催されるようになる。この過程のなかで84年、日本共産党とソ連共産党が核問題に限った共同声明を発表した。これは、資本主義と社会主義の核兵器を区別せず、核兵器全面禁止という課題で全力をあげるという内容のもので、ソ連がそれに賛成したことも画期的だったし、日本共産党にとってみれば「いかなる」問題からの最終的な決別という性格のものであったといえる。だから、原水禁運動の統一にとっても意味があったはずなのだが、原水禁世界大会の統一は、85年で終わってしまう。「いかなる」問題とは全く異なる原因での終了であった。

 長い分裂によって、当初の原因とは異なる問題でも対立するような関係になってしまっていたわけである。そして、89年にソ連が崩壊し、日本共産党は、ソ連は社会主義でもなかったと表明する。しかし、この頃になると、統一を問題にする世論も消え失せていた。

 反原発運動が一刻も早く統一を回復することを願うばかりだ。お互いに言い分はあるのだろうけれど、お互いが自分の正しい立場に固執していては、原水禁運動の過去と同じである。こんなことを書くと、「われわれの正しい立場を、違う問題をもってきて批判するのは止めてくれ」という正しい意見が殺到するのだろうけれどね。

2014年2月10日

 それを読みたいと思ってくれる人、いるかなあ。是非つくりたいです。

 なんというか、事前の予想報道の通りでしたね。前回の都知事選の通りというか、宇都宮さんの得票は選挙の構図に影響を受けずに、100万票足らずで変わらず。猪瀬さんの獲得した保守400万票から、リベラルな方が細川さんに流れ、極端な右派が田母神さんに流れ、という感じでしょうか

 いまの保守の流れはかなり強固だということでしょう。秘密保護法などの闘争があり、矛盾があっても、安倍さんが進める路線を突き崩すには、主体の側の再構築が必要だと感じます。

 選挙期間中のブログでは、今回の選挙の意味は、選挙後に、まともな保守とまともな革新が協力し合う流れがつくれるかどうかにあることを書いてきました。それが実現したとしても、安倍さんに対抗する力をつくるにはまだまだ足りないというのが選挙結果ですが、しかしそれでも、その必要性と可能性を示した結果だとは感じます。

 そして、その実現に向けて、第一歩を象徴するのが、宇都宮さんと細川さんの握手にあると思うんです。どうでしょうか?

 問題は、双方の「やる気」です。宇都宮さんからは、すでに選挙後の細川さんとの協力の意思表示がされていますよね。細川さんはどうなんでしょうか。少なくとも、選挙に負けたから、脱原発の活動を止めるということではないでしょう。小泉さんは、引き続きがんばると言っていますしね。

 細川さんの100万票近い得票は、保守の側にも、ちゃんとした「旗印」があれば、いまの安倍政治に対抗したいという流れがあることを示したと思います。それを何らかの形で維持しなければならない。そのうえに、保守と革新が極力し合う「旗印」まで立てなければならない。

 容易な仕事ではないと思います。でも、これをやらなければ、脱原発とか護憲とかは、世論の上での多数にとどまることになる。

 ということで、出版社がやれるのは、本を出すことだけです。どなたか、細川さんに働きかけられる人をご存じありませんか?

2014年2月7日

 今月も講演会がいくつかあるけど、テーマは集団的自衛権にしぼられてきた。まあ、いまの安倍さんの動きからすると、当然ですよね。ということで、明日の講演会のレジメを事前公開(東京のある大学OBの9条の会です)。簡単なものですみませんけど。

はじめに これまでの論点だけでは通用しない

一、原点は侵略と干渉の論理
 1、“世界中の国がもつ権利”が最大の理由だが
 2、冷戦期は超軍事大国の侵略の論理だった
 3、事実を言えないところに最大の弱さがある

二、歴史を冷戦期に逆行させるもの
 1、侵略と自衛を区別するための歴史的な努力
 2、集団的自衛権さえ侵略に際しての発動へ
 3、侵略と自衛が区別できない人に任せられない

三、安保と抑止力さえ越えて
 1、日本防衛をもてあそぶ四類型
 2、現在の日本を前線にだすのはアメリカも困る
 3、相手を挑発する抑止力は抑止力にならない

四、対抗する力はどこにあるのか
 1、矛盾はあっても主体が育たないと変わらない
 2、この七年間、どんな努力をしてきたのか
 3、「自衛隊を活かす会」(略称)の意味

 おわりに