2014年5月30日

 昨夕来、ずっと拉致問題のニュースですね。久しぶりに期待を持てるようで、素直にうれしいです。

 北朝鮮の本気度はふたつの点で伝わります。ひとつは合意事項を文書で確認したこと。もうひとつは、その合意内容を国内メディアで報道したことです。これは過去にはなかった変化です。

 ソ連もそうでしたが、社会主義を名乗る独裁国家って、政権政党の弱点になるようなことは絶対に報道してきませんでした。今回のことだって、これまで国民向けには「解決済み」と言ってきたことであって、それをこれから全面的に解決するんだって報道するわけですから、過去の言明は間違っていたということを言っているに等しいわけです。そこまで踏み込んだことに本気度を感じます。

 北朝鮮の変化には、国際的な孤立化とか、日本の援助への期待だとか、報道されているようないろんな要素があると思います。私なりの観測を言えば、北朝鮮は、安倍政権が長続きしそうだとふんで、その安倍さんとの間で何らかの進展をはかるしかないと判断したんでしょうね。

 集団的自衛権などをめぐって安倍さんの退陣を求めている世論には申し訳ありませんが、常々言っているように、安倍さんに替わる政権の対抗軸が皆無なわけですから、客観的には誰がみても安倍長期政権という動きです。今回のことも安倍さんの支持率を上げるでしょう。というか、たとえ安倍さんへの支持が広がったとしても、拉致問題を少しでも解決してほしいと、私だって思います。

 安倍さんには軍事はあるが外交はないなんて単純な批判ではうまくいかないことも、今回の問題を通じて明らかになった大事なことです。その点では、北朝鮮だけでなく、安倍さんも本気なのです。国民の命を大切にしている首相として、外交面でも軍事面でもいろいろなことを考え、手を打っている首相として、集団的自衛権の推進を図ってくるでしょう。

 これに対して、我々には、拉致問題を動かす独自の外交というものがあるのでしょうか。軍事面では安倍さんに対抗する選択肢を打ち出せているのでしょうか。あなどっていたら大変なことになります。がんばらなくちゃね。

2014年5月29日

 弊社のメルマガに寄稿しました。以下、全文。弊社ホームページで立ち読みができます。

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 集団的自衛権の問題が、いま政治の一大焦点となっています。その局面で、『集団的自衛権の焦点 「限定容認」をめぐる50の論点』を出版します。編集長である私自身が書き下ろしました。

 この問題では昨年、平凡社新書から『集団的自衛権の深層』という本を出しました。そこで書きたいことは書き尽くしたと思っていたのですが、そこにとどまっていてはダメだと考え直したのです。

 ひとつは、かもがわ出版として、このテーマで本を出さないわけにはいかないということです。日本の護憲・平和勢力が、集団的自衛権に関する解釈改憲を許さない闘いに立ち上がっているとき、その一翼を占めてきた出版社が、この闘いを支えるための本を出せないとしたら、とても恥ずかしいことです。それが最初の動機でした。

 同時に、そうは言ってもいったい何が書けるだろうかと悩んでいたら、安倍首相が助け船を出してくれました。それが「限定容認」論です。

 安倍さん、記者会見で、アメリカの艦船で避難する母と子の絵を掲げて、情緒的な訴えをしていましたよね。この母子を助けるために集団的自衛権が必要なのだと。

 これは、長年この問題に取り組んできたものにとっては、驚くべき論理です。集団的自衛権とは、自国の存立にかかわるのではなく、あくまで他国の防衛に参加するかどうかだというのが常識ですから。

 実際、「限定容認」の方向で安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)をまとめようとしたけれど、集団的自衛権の行使を十数年にわたって求めてきた原則派の佐瀬昌盛さんなんかが、すごく抵抗したそうです。それもあって、安保法制懇報告は2段構えになり、それを受けて安倍さんが、その2段のうち「限定容認」の部分を採用するというかたちになったようなんです。

 ついでに言えば、佐瀬さんが十数年前に『集団的自衛権 論争のために』という本を出して、すごく刺激されました。これを正面から論破する本がなければならないと思って、猛勉強して半年後、『「集団的自衛権」批判』(新日本出版社)という本を書いたのです。佐瀬さんがいなければ、この問題をこれほど研究することはなかったでしょう。感謝です。

 それは措くとして、自民党の高村副総裁が「限定容認」論を打ち出して、効果があると思ったんでしょうね。それまで集団的自衛権に慎重だった自民党内の一部や公明党が、とたんに動揺したわけです。それで、「これだ」と思って、安倍さんらが推進してきた。実際、国民の命や日本の存立にかかわる問題だとなれば、世論も動揺するでしょう。当然のことです。

 しかし、私に言わせれば、そうやって国民受けをすることを言いだしたが故に、安倍さんは泥沼に入っていくかもしれません。矛盾するものを抱え込むからです。

 だって、日本の存立にかかわるなら、それは集団的自衛権の分野ではないのです。個別的自衛権で対処できる。つまり、憲法解釈を変えなくても、憲法を変えなくても大丈夫だということになるのです。

 同時に、集団的自衛権そのものの大切さを訴える機会をなくすことにもなります。集団的自衛権って、おどろおどろしいものだと考えている人も多いですが、武力攻撃(侵略)された国を助けるという行為ですから、建前上は、崇高な理念にもとづいているんです。困っている人がいて、その人を助けると、災いが自分にも降りかかってくるかもしれないけれど、それでも助けるというものです。

 このような訴えをしても国民には理解されないとして、「限定容認」論に傾いたというわけです。しかし、「限定容認」に力を入れることで、集団的自衛権の本質的な部分の議論がなおざりになるため、国民多数が本音のところで集団的自衛権を理解する機会を奪う結果になるでしょう。

 まあ、安倍さんにとっては、そんなことはどうでもいいのかもしれません。日本国民の命やアメリカ国民の命を真剣に考えて、この問題を提起しているわけでなく、戦後歴代の総理大臣が成し遂げなかったことを自分はしたのだという「誇り」に包まれたいだけでしょうから。

 今回の本では、政府自民党から出されるいろいろな事例はもちろん、背景にかかわる事項も含め、まさに全ての論点をとりあげています。安保法制懇報告の到達点にたって論じていますから、この問題でどういう立場をとるにせよ、欠かすことのできない本になっていると自負します。

 もちろん、安保法制懇の報告全文も収録。新聞各紙には報告の本文(4万字程度)しか載っていませんが、この本では1.2万字もある「注記」も含めて、まさに全文掲載です。

2014年5月28日

 集団的自衛権に関する与党協議が始まりましたね。公明党にはがんばってほしいですし、少なくとも論点が整理され、国民にとって判断材料となるものが出てきたらいいなと思います。

 それにしても、15事例ですよ。とにかく次から次へと事例を持ち出して、ひとつでも公明党が反論しにくいものがあったら、「その部分だけでも集団的自衛権が必要だろう」として説得するため、こんなことになっているんでしょうね。やっぱり、解釈改憲を実現するために、日本の防衛という大事な問題をもてあそんでいるような気がします。

 その15事例ですが、本日、各紙が図にして掲載しています。これって、新聞が読者に分かりやすいようにしたものでなく、もともと与党協議の場に出されたものです。実際に出されたものは、ここに掲載するようにカラーなんですよ。力が入っていますねえ。

15事例

 これはいわゆるグレーゾーンのなかの「邦人救出」の図です。テロ集団が日本人を人質にして施設を占拠していて、他の国は軍隊を送って救出できるのに日本は自衛隊を派遣できないことを強調しているわけです。

 だけど、たとえば96年にペルーの日本大使館が占拠され、600人が人質になったとき、自衛隊を派遣せよという声は起こりませんでした。それどころか日本政府は、人質の命が大事だから、ペルーの政府に対して、武力ではなく平和的に解決してほしいと要請しました。人質の命が大切なら、さあ自衛隊の派遣だなんて、そう言えることではないんです。

 あの時、最後は武力で解決しました。大使館の地下に秘密裏に穴を掘ったりして、治安部隊が急襲したのです。それが成功したのも、長期間の交渉で犯人たちが疲弊したことと、大使館の構造をペルー政府がよく知っていたからです。よく現地の事情も知らず、犯人側と交渉もできない自衛隊が急襲しても、同じ結果にはならなかったでしょう。

 まあ、この事例で政府が強調したいのは、ペルーのような事例ではなく、現地の政府に救出能力がないような場合です。だけど、そのような場合、ますます救出には困難性が増大します。この図では捕らわれている施設が明白ですが、実際にはジャングルのなかの隠れ家だったりしますし、誰と交渉すればいいのかも分かりにくい。相手が犯人だと言って接触してきても、本当は犯人ではなくカネをせしめようとしているだけのグループかもしれない。

 そんななかで、日本人人質の命を大切に思うなら、求められるのは、現地語の習得だったり、相手の真意をつかむなどの交渉能力でしょう。日本にいても、人質をとって立てこもる犯人に対して、警察のなかでも訓練をへたベテランが説得する場面があるでしょう。そんな能力なんです。

 人質がどこにいるかも分からないのに、さあ、自衛隊の出動だってことになるんでしょうか。そんなことを押しつけられ、責任をとらされる自衛隊員がかわいそうだと思いませんか。

 与党には、国民の命を大切にする気があるのかということを問いたい。本当にそう思います。
 

2014年5月27日

 京都で活動するある革新団体の機関紙から原稿を依頼されました。集団的自衛権について1000字でということです。さっき、それをメールで送ったので、ここでも紹介しておきます。

 安倍首相が集団的自衛権の行使に向けて前のめりになっています。そのキーワードは「限定容認」。日本と日本国民の安全にとって不可欠な場合に限定して行使できるようにしようという建前です。四月一五日の記者会見では、有事にアメリカの艦船で日本の母子が避難する絵を前面に掲げ、この艦船が攻撃されたときに自衛隊が守れないでいいのかとくり返しました。

 それを見て、「待てよ」と思ったのは私だけではないでしょう。これまで安倍首相が強調してきたのは、公海上の米艦船が攻撃されたとき、自衛隊がそれを防衛できなければ日米同盟が崩壊してしまうということでした。それでは国民の支持が広がらなかったので、日本の母子が攻撃されようとしている場面を提示したということでしょう。しかし、日本国民の命が危機にさらされるなら、それを救うための行動は個別的自衛権に属することです。集団的自衛権のための解釈改憲など不要なのです。

 そういう性格のものだけに、有事に日本人を避難させる法律は、すでに出来上がっています。一九九四年に自衛隊法が改正されて自衛隊の航空機にその役割があたえられ、九九年からは護衛艦や輸送艦でも可能になりました。安倍さんを筆頭に自民党のみなさんは、有事にアメリカは自国民救出で精一杯だから、日本人は日本が救出しようと主張して、この体制ができたのです。それなのに、いまになって日本人を救出するのはアメリカだと言いだすとは、開いた口がふさがりません。

 結局、安倍首相は、集団的自衛権を行使できるようにするため、どういう事例を持ちだせば国民をだませるかと考え、思いつきを発言しているだけなのです。解釈改憲のために、国民の命と日本の防衛をもてあそぶものだと言わざるを得ません。

 しかも、安倍首相は昨年、侵略の定義は定まっていないと発言しました。どちらの国から見るかによって、侵略が自衛になったりするというのです。実際、冷戦期に行使された集団的自衛権の行使の実例を見ると、ソ連のアフガン侵略、アメリカのベトナム侵略に代表されるように、実際には侵略をしていながら、それを集団的「自衛」権だと言いくるめたものばかりでしたから、安倍首相の見解はこの問題では妙に当てはまっています。

 侵略を自衛だと強弁し、アメリカのために戦うことを日本国民の命を守ることだとすり替える。これが安倍首相のねらう集団的自衛権の解釈改憲です。この企みは絶対に許してはなりません。

2014年5月26日

 昨日、このテーマで講演してきました。京都市西京区の新日本婦人の会が主催する「平和の集い」でした。

 女性の集まりだということで、いかめしいテーマじゃないものにしたんです。レジメも、一、安倍首相は人のいのちを大切に思っているの? 二、安倍首相には良いと悪いの区別がついているの? 三、どうすれば戦争を止めさせることができるの? という構成にしました。

 悩んだのは、この間いろんなところで必ず話すテーマである「憲法9条の軍事戦略」が必要であるということを、女性たちを前にして話すのかどうかということです。自分の体験からいって、軍事力とか自衛隊を拒否する傾向は女性に多いですから、挑発することになって嫌われたらいやだなと思ったんです。

 だけど話しました。だって、この地域は、陸上自衛隊の桂駐屯地があって、どういう立場であるにせよ、この問題を避けて通れないんです。

 結果は、ぜんぜん拒否されませんでした。ある方は、9条の会を起ち上げたときに自衛隊の家族も参加されていて、この問題は大事なテーマだと話されていました。別の方は、いま自衛隊を否定する人なんか誰もいない、防衛は当然のことなんだから、もっと外交の話しを聞きたいと発言されました。

 いや、発言されなかった方の中に、拒否反応をもたれた方がいたかもしれませんが、会場の雰囲気は、安倍さんの戦争をやめさせるには、こういう考え方が必要だよねというものだったと感じます。9条の会が行き詰まっていて、これが活路になると思うと言われた方もいました。

 もちろん、自衛隊のことを批判しなければならない局面って、よくあります。大がかりなもので言えばイラク派兵のことがありましたし、いまで言えば中国に対する対応の問題も、全体としては中国からの挑発というものですが、日本側にも問題があります。

 そういうことを問題にするときに、私が気をつけてきたのは、目の前に自衛隊員がいるということを想定し、その自衛隊員に語りかけるつもりでお話しすることです。自衛隊員に納得してもらうには、どういう話し方をすればいいのかということに、ずっと気を遣ってきました。

 自衛隊員は、憲法で否定されていることについて、ただでさえ忸怩たる思いを抱いています。だけど、安倍さんが進もうとしている方向にも、大きな不安を抱えているでしょう。そういう自衛隊員を包み込むような言葉を、私たちは見いだしていかなければならないのだと思います。自衛隊員を傷つける言葉は、その自衛隊を当然のこととして認めている7割、8割の世論にも届かないと思いますしね。