2014年5月9日

 本日は午前中、国会。「自衛隊を活かす会」はまだ出来ていないが、その準備会のようなもので、アメリカの元国務省高官のお話を聞く会をやったのである。国際地政学研究所や新外交フォーラムとの共催。

 この方は、集団的自衛権の賛成論者なのだ。だけど、それをやろうとする場合、アジアの理解とか、日本社会の合意とか、そんなものが必要だという立場である。秘密保護法のときのようなやり方をしてはならないと強調しておられた。

 だから、集団的自衛権を急ぐ安倍さんとは、その点で逆方向を向いている。いますぐやるべきようなものではないということだ。こう言っていた。

 もし夜にオバマさんをたたき起こして、いま日本に何をやらせようかと尋ねたら、オバマさんはこう言うだろう。「経済! 経済! 経済!」。集団的自衛権は19番目くらいじゃないかということだった。そうだろうね。

 でも、安倍さんは、それでも急いでいる。だから、私もそれに合わせて、必死で本を書いている。

 これまで、本のタイトルは、『集団的自衛権に関する「安保法制懇」報告 50の論点』とするつもりだった。だけど、昨日、新聞記者に話しを聞いたところによると、この報告が出たら、すぐ政府見解が出され、それをもとに協議が進むらしい。「安保法制懇」報告の寿命は極端に短いかもしれない。

 それに、「安保法制懇」報告も「日本の安全にかかわる問題での限定容認」を打ち出すのだが(それをめぐって原則的な学者との確執があるらしい。当然だ)、政府見解ではさらに限定することで、公明党を説得するらしい。

 だったら、私の本のタイトルも変えないとね。それが、この記事のタイトル。どうでしょ。もちろん、中身はこの方向で書いているんだけどね。

 13日に報告が発表され、それを見て真剣に原稿を点検し、15日に印刷所に入れる予定。23日には倉庫に届く。週刊誌をつくっているみたいだ。

2014年5月8日

 昨日、朝日新聞の記事を紹介しましたが、その前日(5月4日)、神奈川新聞ではさらに大きく「会」がとりあげられました。19面に代表の柳澤協二さんのロングインタビューが載っていて、第一社会面の21面には、なんと私まで大きな写真付きで載っているではありませんか。

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 その記事を、以下紹介します。昨日の夜も、この記事の冒頭にある神保町の中華料理屋で会議をしていたんです。なお、記事中、私の経歴にちょっとした間違いがあるので、勝手に直しています(新聞社にはお知らせ済み)。興味のあるヒマな方は、ウェブ上の記事と比べて、間違い探しでもどうぞ。

 (記事開始)東京・神保町駅近くの中華料理店。防衛、安全保障、国際貢献の専門家が集まってくる。紹興酒を酌み交わしつつ、ある会の設立に向けた議論が深夜まで続く。

 会の名称は「自衛隊を活(い)かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」。元防衛官僚の柳沢協二さん(67)が呼び掛け人代表を務める。小泉政権で内閣官房副長官補となり2003年、自衛隊のイラク派遣の理論武装を担ったその人がいきさつを語る。

 「右の立場の人も議論に加わらなければいけないと声を掛けられ、それは面白そうだ、と。護憲は左の人たちが担ってきたが、意見が合う人だけで話していても意味がない」。そして続ける。「私も立場は護憲。自衛隊員を無駄な戦争で死なせたくないからだ。だが、同じ護憲でも自衛隊の存在が認められない人がいる。それでは将来に向けた議論ができない。せめて自衛隊がいる現実から出発点しようという会になる」

 その仕掛け人が京都にいる。かもがわ出版の編集長、松竹伸幸さん(59)。出版を通じて知り合った柳沢さんに会の立ち上げを持ち掛けていた。

 自衛隊の国防軍化、集団的自衛権の行使容認を目指す安倍政権に危うさを感じる一方、護憲運動の在り方にも危機感があった。

 例に引くのが、自衛隊に関する内閣府の世論調査。自衛隊を「縮小した方がよい」との回答は1991年は20.0%で、2012年は6.2%に減った。この間に「増強した方がよい」は7.7%から24.8%に増えたが、多数を占めてきたのは「今の程度でよい」で、ずっと60%台だった。

 「単純化すれば、いわゆる護憲運動はかつては20%、いまは6%の人が進めている運動といえる。一方で9条を守るべきという人は半数以上いる。つまり、多くが自衛隊の現状を認めた上で護憲と言っている」

 新しい視点から防衛戦略を打ち出す必要性が浮かび上がっていた。「9条への態度を問われれば護憲でも、防衛を考えた場合、目の前にある政策は安倍政権が掲げるものしかないのが現状。護憲か防衛かというねじれた選択肢の間で揺れる層にこそ、働き掛けていかなければ。軍事戦略からみても9条は必要だ、と」

 その松竹さんこそは「6%の護憲運動」の側にいたといえた。8年前に離職したが、共産党本部の政策委員会で外交や安全保障政策を担った経歴を持つ。

 当初、松竹さんが提案した会の名称は「憲法9条下の自衛隊活動を考える会」。柳沢さんから待ったの声が掛かった。「自衛官OBにも参加してもらいたい。とすると、9条の2文字だけで難しくなる」。そして、「ほんのりと護憲ということが分かればいいんじゃないか」。

 柳沢さんは、1発の銃弾も撃つことなく終えた自衛隊のイラク派遣を踏まえ、言う。「丸腰だからできることはある。武器を手にしていると、武器をどう使うかに注意が向く。戦う手段を持っていないがゆえにできることがある」

 会の発足は6月7日。シンポジウムを重ね、政策提言をまとめていく。

 〈現行憲法のもとで誕生し、国民に支持されてきた自衛隊のさらなる可能性を探り、活かす方向にこそ…〉

 松竹さんが練った設立趣意書案に「9条」「護憲」の文字は見当たらない。(記事終了)

2014年5月7日

 大型連休、いかがでしたか。私は、「九条の会」に呼ばれて2回講演した以外は、「安保法制懇」の報告書をにらみながら、ずっと本の執筆でした。本日から3日間、東京出張です。

 連休中、うれしいことがありました。まだ発足もしていない「自衛隊を活かす会」が、鮮烈デビューしましたよね。

 最初は5月2日、NHKでした。夜9時のニュースで、「会」の呼びかけ人の伊勢﨑賢治さんが、かなり時間をとってインタビュー。集団的自衛権に賛成の人と反対の人と、それぞれ一人ずつがでましたが、伊勢﨑さんが「会」を準備中だと紹介された上で、いろいろ発言していました。

 その次は5月5日、朝日新聞でした。3日から1面で「憲法を考える」という大型企画がはじまり、5日は最終日だったんですが、3面で以下のように長く紹介されていました。「会」が何をしようとしているか分かるので、以下、全文紹介します。

 その前に、いま活字としては大阪本社版を呼んでいて、ネットで購入しているものは通常、東京版を見ます。大阪版の見出しが「平和守る 地に足つけて」だったのに、東京版では「平和・国益 地に足つけて」として、「会」の理念のひとつである「国益」が入っているんですが、整理部の方が大事だと思ってくれたのでしょうか。では、全文を。

 憲法記念日の3日、新潟県長岡市。元防衛官僚の柳沢協二(67)は「憲法九条を守る長岡の集い」で講演した。安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認をめざす動きを「情念からとしか考えられない。憲法や自衛隊の人たちの命を無視して、議論を進めるのは認められない」と断じた。

 03年に始まった自衛隊のイラク派遣などで政策立案に携わった。憲法の枠内で国際社会の要請に応え、自衛隊の海外派遣の道筋をつけてきたと自負する。内閣官房副長官補も約5年務めたが、憲法解釈を変えることには反対の立場だ。第いま首相が解釈変更に突き進む姿に「戦後日本が積み上げてきたものを壊し、自らの生涯も全否定されるのか」と感じている。

 柳沢は6月、紛争地の武装解除に携わった東京外大教授の伊勢崎賢治(56)らと「自衛隊を活(い)かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」を立ち上げる。趣意書には「国を守り、平和を守ることは感情や勇ましい言葉によってできるものではない」「世界の現実を見つめ、国益をもう一度考え、地に足のついた思考が必要」などとうたう。柳沢は現行憲法の枠内で今後の防衛政策を考えることをめざすが、「憲法を見直そうとする人とも接点を探りたい」と話す。了

2014年5月2日

 昨日、『民主主義教育21』の第8巻が届いた。「現代政治と立憲主義」というタイトルがついていて、「憲法教育の実践へ」という呼びかけもある。

 私がこれに寄稿したから届けられたのだが、いや、びっくりである。樋口陽一先生、金子勝先生(憲法学者のではなく経済学者の)と並んで、表紙に私の名前が出てる。恥ずかしい。

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 これを見た口の悪い社員がこう言った。「原則的な人と、原則がない人と、原則があるかないか分からない人が出てる」。誰がどれだよ、おい。

 正月に東京まで行って、全国民主主義教育研究会でお話をしたのだ。「集団的自衛権を拒否し、、憲法九条の軍事戦略で平和を構想する」というテーマだった。それに加筆、整理したのが、この本ということになる。

 それなりに受けとめてもらえたとは思うのだが、私が考え込んでしまったのは、この質問が出たときである。「その問題を子どもたちにはどう教えたらいいのでしょうか?」

 そうだろうね。学校の先生だし、崇高な理念をもって教えておられるのだから、軍事力はいっさいダメだとか、自衛隊は絶対に憲法違反の存在だとか、一生懸命教えておられるのだと思う。私の話のようなことを教えていいのか、教えるとしてもどうすればいいのか、悩んでしまったのだろう。

 私も、子どもに学校教育で教えるという角度でものを考えたことがなかった。だから、その質問に考え込まざるをえなかったのだ。

 結局、私が言ったのは、この問題の複雑なところを、複雑なままに教えるしかないだろうということだった。もちろん、崇高な理念のことも教える。だけど同時に、アジアの安全保障環境の現実だとか、国民世論の現状だとか。そのまま読めば自衛隊は憲法違反ということになるだろうが、国民多数はそうは思っていないこととか。

 って、これまではそうは言っても人ごとだったのだが、こんど、うちの会社で、学校図書館向けの憲法の本をつくることになった。そのなかでは、まるまる1巻をって、平和主義を教える。自分でその回答を責任をもってつくらなければならなくなった。よおく考えますね。

 この本、アマゾンで注文もできます。発売は連休明けの表示になっていますけど。他の先生方の寄稿を読むだけでもお得だと思いますので、推薦します。

2014年5月1日

 『集団的自衛権に関する「安保法制懇」報告 50の論点』のプレゼントの件ですが、昨日で締め切りました。「激戦?」を勝ち抜いて当選された10名の方には、住所をお尋ねするメールを差し上げました。いまメールが届いていないと落選ということです。夏には『13歳からの領土問題』のプレゼントを実施しますので、懲りずに応募してください。

 さて、昨日の『超・嫌韓流』のことです。そういうことを考えるにいたった私の原点というものがあります。

 私は、1994年からしばらくの間、共産党中央委員会の政策委員会というところに勤めていました。担当は外交や安全保障です。生まれて初めてそういう分野の仕事をすることになったのですが、着任してみると、その分野の直接の担当は私ひとりでした。まあ、ゆっくり勉強しながら仕事を覚えていこうと思ったのですが、低空飛行する米軍機の墜落事故とか、沖縄の少女暴行事件とか、次から次へと起きる問題で、大変な日々が続くことになります。

 その私が最初に起案を命じられたのが戦後補償問題に関する共産党の見解でした。戦後50年を翌年に控え、原爆被害者への国家補償とか、その3年ほど前に裁判が開始された従軍慰安婦問題をはじめ、戦後補償をどうするかが焦点になっていたのです。

 最終的に、94年9月6日、「侵略戦争の反省のうえにたち、戦後補償問題のすみやかな解決を」という提言が発表されました。最初の仕事ですから、思い出深いです。

 当時、共産党の議長は宮本顕治さんです。これを起案するにあたって、宮本さんからふたつの指示がありました。もちろん、私が直接指示を受けたのではなく、政策委員長(聽濤さんといいました)からの間接的なものです。

 ひとつは、補償する基準、補償しない基準を明確にせよというものです。当時、いろいろな補償要求が出されていて、日本の犯した誤りが大きいだけに、すべての要求に応えようとすると、すごい金額になることが予想されていました。宮本さんは、共産党が政権をとったときのことを考えれば、これらすべてに応えようとするとあまりにも膨大な予算が必要となり、国民全体の暮らしと福祉を圧迫しかねないので、バランスをとった考え方が必要だというのでした。

 もうひとつは、これは慰安婦問題にかかわることですが、国家間条約が基本だという線を外さないようにというものでした。いまでも議論されることですが、韓国とのこの種の問題は、1965年の日韓条約その他で解決済みであると明記されています。条約で解決したと明記されているのに、いや解決していないというのなら、条約を結ぶ意味がないということになりかねません。市民団体がそういう要求をするのは当然としても、政権をとったら条約に責任をもつことになる共産党が、それではいけないというものでした。

 発表された提言は、そういう趣旨をふまえたものです。大まかにいえば、補償問題では、人道的な犯罪の被害は補償するが、経済的な被害は補償しないという基準を立てました。従軍慰安婦問題では、国家間の条約で決着するのが原則としつつ、慰安婦問題をその例外とする考え方はどうしたら可能かという点を探ったものでした。

 市民運動には、それぞれ明確な目標があって、それを100%追及します。当然のことです。しかし、それらすべてを100%実現することが、国民全体の利益の見地から見ると難しい場合があります。あるいは、国家間外交の原則からずれる場合もあります。

 市民運動はそれでいいけれど、政権を担うことを展望し、国民全体のことを考える政党は、それではいけない。これが宮本さんの教えだったわけです。

 私など、着任したばかりで張り切っていて、市民運動の要求に応えるのが政党だと思い込んでいました。実際、要求のすべてを支持しないと、つながりのある市民団体から批判されることもあるわけですから、何でも支持するのが楽だということになりがちなんです。だけど、それではダメだということを突きつけられて、かなり衝撃を受けたんです。

 でも、考えてみると、出版の仕事も似ていますよね。市民運動というか、ある種の世界のなかで通用する本だってつくります。しかし、売れる本をつくろうとすれば、他の世界にも通用する論理の本でないと、難しいですから。

 だから、20年前の教えは、いまでも大切にしているんです。私の考え方の原点のひとつですが、ご理解いただけましたか。