2015年8月28日

 昨夜ご提案したばかりなのに、もうここで紹介されています。是非、そちらを見て下さい。私がブログ書くのさぼれるし。

2015年8月27日

 内田樹先生、石川康宏先生とです。昨年は芦屋だったんですが、今回は、内田先生のご自宅に近いJR摂津本山にいい場所を見つけたので、そこで。

 暑気払いですので、難しい仕事の話はほどほどにして、来年の楽しい「マルクス・ツアー」について語り合います。その結果をふまえ、ツアーのことを表に出します。

 「必ず参加するから募集前だけど入れておいてね」と、内々に私に伝えてこられた方も複数おられました。ちゃんと枠は確保しています。まあ、賄賂をもらったわけでもないし、それくらいいいでしょ。

 ツアーといえば、「自衛隊を活かす会」でやるかもしれません。新安保法制がらみか、あるいは明文改憲にかかわるようなものになるか、そこはまだ何とも言えませんが、ワシントンに行って、アーミテージさんとかにものをいう機会をつくりたいんですよね。その際、そういう場を目撃したいという方を募って、ツアーをするという企画です。これは、相手が出てくるかどうか分からないので、まだまだ準備に時間がかかります。

 これが実現した場合は、「伊勢崎賢治ジャズヒケシinNY」がセットになります。伊勢崎さんはブルーノートでトランペットを吹くのが夢だとか。さすがに、場所がそこになるのは簡単ではありませんが、可能性はあると思います。

 忙しいときは、やはり夢を見ないとね。さ、仕事仕事。

2015年8月26日

 今度の日曜日の午後2時より、神戸・三宮です。お近くの方は、是非、ご参加下さい。

第12回中島淳のアジト談義・松竹伸幸docx

 参加して下さる武田肇記者は、この春まで大阪本社にいて慰安婦問題を担当し、昨年の検証記事にもかかわってこられました。現在は、東京本社で、外務省を担当しています。最近も、戦後70年の安倍談話問題で、署名記事をいくつか見かけました。

 『慰安婦問題をこれで終わらせる。』を刊行してすでに4カ月。いろいろ努力してきたつもりです。

 小林よしのりさんに本をお送りし、「週刊東洋経済」での対談とか、「ゴー宣道場」への出演につながったのは、すでに書きました。「ゴー宣道場」は、次の回も出演予定でして、引き続きその方面ではがんばりたいと思います。

 「慰安婦問題はすでに終わった」と思っている右派の方々を、どうやって河野談話の線まで戻ってもらうのか。それが今回の本を出したひとつの動機でした。一カ月ほど前、「自衛隊を活かす会」のシンポジウムで司会をしていたら、非常に名前の売れている右派雑誌の編集者の方が近づいてきて、「慰安婦問題で左右が一致できるなんて、この本を見るまで想像もしていませんでした。感動しました」といわれたので、「それなら右の人との対談か何かを企画して下さいよ」とお願いしました。どうなることやら。

 ただ、いずれにせよ、慰安婦問題をなんとかしようという熱気というか、活気というか、それ自体が極度に衰えているような気がします。夏って、いろいろな団体の集会があって、弊社の社員が総出で本を売りに行くのですが、昨年は、慰安婦関連の本が飛ぶように売れたのに、今回はさっぱりだったという報告を聞きました。左派系の人びとの集まりでも、朝日新聞問題以降、この問題への意欲は壊滅状態なのかもしれません。

 生きておられる慰安婦の方は、すでに約50名。これらの方々の生あるうちに何らかの解決がされないと、「解決を見ることなく全員が亡くなった」という記憶が残ることになり、問題はいよいよ複雑になると思います。

 何とかこじ開けたいと模索していますが、どうなるでしょうか。日曜日の企画でも、なんらかのものを見つけたいなと思います。

2015年8月25日

 先週、週刊文春が安倍さんの「吐血」を報道して、その健康状態をめぐる議論があった。首相の健康状態というのは、ジャーナリズムにとって「おいしい」話だから、根拠が確かだろうが薄弱だろうが、それに飛びつくのは宿命とも言えるのだろう。

 だから、それ自体はどうでもいいのだが、びっくりしたのは安倍さんと対決して運動している側にも、その報道に飛びつく人がいたことだ。病気に「期待」するかのような露骨なものから、病気が「心配だから」というものまであったけど、病気を理由に安倍さんに首相を辞めてほしいというのは共通していた。

 それって、どうなんだろう。安倍さんに辞めてほしいというのは同じ気持ちだけれど、そこに「病気」をからませるって、まず直感的に、人の病気が悪化することを望むみたいで、いい気持ちがしない。

 本当に首相の仕事ができないほどの病気なんだったら、辞めるのは当然である。だけど、そもそも戦後70年談話の記者会見でも見たように、元気たっぷりのようだ。仕事の中身は評価しないけれど、仕事はしているわけである。

 安倍さんがかかっている潰瘍性大腸炎って、いい薬ができたそうで、もう難病とはいえなくなったという話もある。仕事をこなしている姿を見て、同じ病気をもっている人は、本当に安心しているだろう。自分も大丈夫だと。それが、やはり仕事ができないとなったら、どんなにがっかりするだろう。病気辞任を期待する人には、是非、そんな患者さんの気持ちをくんでほしいと思っている。

 それよりも大事なことは、たとえ安倍さんがいま辞めたところで、安倍さん的なものはそのまま残ることである。90年代半ばから自虐史観批判をはじめた安倍さんたちのグループが、20年をへて社会の主流になり、安倍さんを首相にまで登り詰めさせることになった。この間、いろいろな批判を浴びつつ、3回もの国政選挙でも安倍さんが勝利するというのは、その世論構図があることを意味している。

 その安倍さん的なものを乗り越えるだけの思想と運動をつくりだすことによって、安倍さんを首相の座から引きずり下ろすのでない限り、安倍さん的なものは残る。そして、いつでも顔を出す。

 病気で辞任することになったら、そのことが見えにくくなってしまうだろう。だから、そういう思想をつくりだして撃破したんだと言えるようになるまで、安倍さんにはがんばってもらわなければならない。

2015年8月24日

 こんなタイトルで、昨日、労働組合幹部を前にして講演しました。レジメは以下の通りです。安倍さんのおじいさんが進めた1960年の安保条約改定に反対する闘争の後、70年代前半にかけて、革新自治体が誕生し、社会保障をはじめ多くの成果が獲得できました。それだけの成果が生まれたのは、安保改定反対闘争から「革新共闘」が大切だという教訓を導き、実践したからです。安倍さんが進める新安保法制に反対する闘争から、われわれは何を教訓として導くべきか。「革新共闘」の大切さではない何を導くのか。そのなかで労働組合はどんな役割があるのか。それが講演のテーマでした。

はじめに
 「成功の一つの要素を労働者はもちあわせている──人数である。だが、人数は、団結によって結合され、知識によってみちびかれる場合にだけ、ものをいう」(マルクス「国際労働者協会創立宣言」より)

一、力は現実の運動の中で生まれる
1、60年安保闘争と革新共闘
2、社公合意と革新懇運動
3、一点共闘と戦争法案反対闘争

二、戦争法案反対闘争の新しい意味
1、安保条約への賛否を超えて
2、改憲か護憲かの枠組みを超えて
3、自衛隊肯定論と否定論の枠組さえも
4、自覚的な努力が支えている

三、現実が労働組合に問いかけるもの
1、「かっこよさ」と労働組合
2、「仕事への誇り」と労働組合
3、一点共闘と労働組合

おわりに