2015年9月11日

 国会終盤に明らかになったことの一つに、今回の新安保法制により、南シナ海で自衛隊が米軍とともに警戒監視をするようになることがあげられる。これは、その最中に中国が米艦船を攻撃するような場合、改正自衛隊法95条により、自衛隊が米艦防護をするというシナリオまで含まれている。

 昨日、ある新聞記者にこの問題での見解を聞かれた。あまり真剣に考えていなかったので、ボヤッとした回答になったのだが、以下、その後に考えたことである。

 この問題、「自衛隊が中国と戦争することを想定している」ということで、大事な問題である。ただ、そうやって批判することで、多くの人の心を捉えられるかというと、そう簡単ではない。

 南シナ海の現状は、多くの人が憂慮している。話し合いで解決することが大事だと、中国やASEAN諸国も含めて一般的な合意はあるが、その合意をふみにじるかのように、中国が軍事的なプレゼンスを増している。

 中国が島に施設をつくったりするのを、軍事力で阻止せよとまで主張する人は、そう多くはないだろう。だけど、せめて警戒監視くらいは必要だと、多くの人は容認しているのではないか。そういう世論を背景にして、米軍は現在、警戒監視を行っているわけである。

 そのアメリカも、武力を行使することにより、中国との間で戦争になることを望んでいるわけではない(中国も同様だろう)。警戒監視をやることで、中国の行動を抑止するというのが、その狙いだ。自衛隊にも警戒監視をやらせることで、中国を抑止する力が増えるというのがアメリカの思惑であり、新安保法制のめざすところであろう。

 ただ、抑止というのは、お互いの理性が働く場合だけ意味がある。抑止する側は、抑止を超えて実際に武力行使に到ることがないよう、最新の気遣いが求められる。抑止される側も、相手の抑止に対して、自分から手を出さないという慎重さが必要だ。そういう場合にだけ、抑止は成り立つ。

 だが、南シナ海に自衛隊が出て行くことは、そこを崩すのではないだろうか。米軍やオーストラリア軍が警戒監視をしている限り、それは第二次大戦で中国とともに戦った軍隊が近くにいるということですむ。しかし、そこに自衛隊が加わることになると、まさにかつての「敵軍」が自分の鼻先に現れることになる。

 そういう状態で、抑止に求められる「理性」が働くとは思えない。中国人民解放軍の士気が高まって、挑発行動が繰り返されることにならないか。アメリカは、そういう日本と中国の微妙な関係の深刻さを、本気で検討していないのではないだろうか。

 その結果、不測の事態が起こって、誰も望んでいない「一発」が撃たれ、抑止が崩れていく。そういう最悪のシナリオは、はたして絵空事だろうか。