2015年9月28日

 シールズの影に隠れてあまり目立たないが、今回の闘争には、他にも新しい特徴があった。いろいろある。

 たとえば、自衛隊合憲論者と自衛隊違憲論者との共闘だったことである。

 今回の闘争が盛り上がるきっかけとなったのは、いうまでもなく衆議院で3人の憲法学者が登場し、法案を憲法違反だと断じたことにあった。しかし、憲法上の自衛隊の位置についてもっともきびしい立場をとる憲法学者が、安保法制に反対するのは、ある意味で当然のことである。それなのに、なぜあれほどのニュースになり、世論を動かすインパクトがあったのか。

 それは、あの3人が全員、自衛隊合憲論に立つ人だったからだということが大きい。マスコミも含め、この種の問題での世論の受け止めは、日本では自衛隊違憲論者が平和勢力を構成していて、政府の出してくるいろいろなものに反対するというものだったと思う。ところが、確固とした自衛隊合憲論者が、そろいもそろって法案を憲法違反だと断定した。マスコミも世論も、「あれっ?」という感じがあったのではないか。その結果、「どうせ自衛隊を否定している勢力の言うことだから」という批判が、今回の闘争には通用しなかった。

 しかし、よく考えてみれば、そういう共闘は、小泉内閣がイラクに自衛隊を派遣したときに開始されていた。自民党の元代議士であった箕輪登さんが、それを憲法違反だと確信し、みずからが団長になって裁判に訴えた。その原告団には共産党や社会党の代議士も加わったのだ。同じような裁判が全国で10以上闘われた。その結果、名古屋高裁では、武装した米兵を航空自衛隊が輸送することは憲法違反だという判断も下される。貴重な成果を生みだしたのが、自衛隊合憲論者と違憲論者の共闘だったのだ。

 そこでは、自衛隊違憲論こそが平和運動の正統であるという思いこみは通用しなかった。共闘というのは対等平等なものだから、とりあえず合憲論者を利用するという思惑で接近するのも許されなかった。現在につながる意味のある戦いだった。

 そのことの意味があまりつかまれないまま、平和運動を担う中心は自衛隊違憲論者であるという思いこみが、マスコミにも、平和運動のなかにもずっと続いてきた。いまでも相当あるかもしれない。

 だけど、世の中の現実は、自衛隊合憲論者が違憲論者を圧倒する勢いで、市民運動を担っているのである。国民世論と異なり、自衛隊違憲論が強い憲法学会のなかでさえ、20年前は合憲論者は1%程度だったが、現在は34%にまでひろがっている。そこをどう捉え、位置づけるのかを解明することが、前に進むためには不可欠だ。

 いや、運動レベルでは、新しい解明は不要かもしれない。問題なのは政権共闘だ。

 たとえば、戦争法を廃止する政権共闘をめざすといっても、それは自衛隊合憲論に立つ政党と違憲だという政党と、二つの勢力の連立である(二つといっても違憲論は圧倒的に少数だけれど)。選挙になれば自民党や公明党からは「野合」という批判が来るだろうし、廃止のために国会を開会すれば、「内閣不一致」で攻めてくるだろう。

 憲法に違反するかどうかという問題を脇に置くのは、運動の世界では通用すると思うが、政権を担う世界においては、そう簡単ではない。何と言っても憲法遵守が憲法で義務づけられているのが政府である。自衛隊違憲だという閣僚は、「違憲の自衛隊を解散するのは将来」と答弁するのだろうけれど、それで通用するだろうか。立憲主義の立場に立つなら、憲法の定め通りに行動するのが閣僚の義務であって、自衛隊が違憲だと思っているなら内閣で自衛隊解散のために努力すべきだと攻められることになる。それにどう対応するのか。

 革新共闘は、社会党も共産党も自衛隊違憲論だったから、そこを深く突っ込んで考える必要はなかった。だけど、戦争法反対の共闘は、本質的に違うものだから、考えないですますことは許されないのである。(続)