2015年9月25日

 最終局面で国会正門前に行くため、京都を出発しようとしたとき、60年安保闘争で国会請願デモに参加したという方のお話をうかがった。あの頃、デモに参加するため京都を出発する労働者は、国労の案内で無賃乗車して東京に行ったそうだ。

 そういう時代もあったんだね。安保闘争の中心を担った総評には、そんな力もあったわけである。

 そんな運動は、いまは想像もできない。だけど、今回の戦争法反対闘争は、多くの人が論じているように、組織・団体に属していない市民が参加し、連帯するという新しい形態を生みだした。国会正門前にとどまって集会をするという形態は、それにふさわしいものだったと思う。

 60年安保闘争はいわゆる請願デモだった。それまで国会前はデモができなかったのだが、憲法に保障された請願権というものがあって、国会議員が待ち受けているところに請願するという名目をたて、国会前をデモ行進で通過できるようになった。その当時としてはすごい創意工夫だったと思う。

 ただ、請願って請い願うということで、権利ではあっても国民は請い願う側で、国会は請い願われる側だった。今回、国会前をただ通過するというのではなく、ずっと国会前に居続けるということで、何と言ったらいいか、国会はより身近になったというか、主権者である国民が、国権の最高機関である(はずの)国会に対し、その主権を主張しているということが、実感として感じられたように思える。

 また、60年安保闘争後の革新共闘は、参加する団体は、大雑把な言い方になるけれど、政党系列に区分けされていた。そして、地方自治体の選挙では、そうした政党・団体が無党派の学者・文化人を候補者にするというのが一般的だった。言い方は悪いが、政党と総評が合意すれば、乗り越えるべき山は大きくなかったのだ。

 けれども、今回のような闘争を経ると、そこも変わってくると思われる。そういう局面で、選挙をどう位置づけるかというのは、まったく新しい挑戦である。

 今回の闘争で主役のひとつとなったシールズだが、そこの奥田愛基さんが小林よしのりさんと対談した。そこで次のように興味深い発言をしている。

 「僕らとしては完全無党派でやっていて。その上で、「共産党が(来年夏に行われる)参議院選挙の野党の協力体制には入らない」みたいなニュースが流れれば、「いや、ここで〝独自候補を出すから偉い〟みたいな、そのレヴェルで国民の感情をバカにするようなことはあってはいけないでしょう」って言いに行くし。」

 政党と市民の関係は、すでに変わりつつあるんだね。この数日の動きを見ると、そう思わざるを得ない。