2016年2月15日

 なんて、勇ましいタイトルをつけちゃいました。その前に、先週金曜日、ブログをさぼったことをお詫びします。精神的に余裕がなかったんです。年に一度くらい、ストレスを感じる時があります。この週末がそうでした。

 なぜかというと、『自虐も栄光も超えて──安倍晋三氏への手紙』を書いてきましたが、この週末で書き上げないと、しばらく余裕がなく、何か月も先延ばしになる可能性があったからです。かなり追い込まれていました。

 まあ、でも、とにかく書き上げました。後は、出版してくれるところを探すだけ。今年後半に書く『対米従属の謎』は、まだ一行も書いてないのに出版社が決まっているんですよ。関心が高いからでしょうね。というか、左翼の立場からの批判だということが明確だからかもしれません。

 一方、『自虐も栄光も超えて』は、安倍批判であることはサブタイトルから明白ですが、同時に左翼批判もやっていることも推測できるから、尻込みされているかもです。当たらずとも遠からずかな。

 日本の戦後歴史学は、非常に偉大な成果を収めたと思いますが、ソ連が崩壊し、史的唯物論への確信が失われる中で、方法論的な混迷が生まれました。個別の事象研究は深めたけれど、方法論的な探究をする人はあまりいなくなりました。

 それに拍車をかけたのが、90年代に浮上した戦争責任問題でした。歴史学者は、日本の戦争犯罪に研究を集中させ、その範囲では大事な成果を生み出しましたが、方法論はさらに後景に退くことになります。

 これって、私が感じているというだけではありません。吉田裕先生も次のように指摘しています。

 「戦後歴史学は、戦争責任問題の解明という点では確かに大きな研究成果をあげた。しかし、国際的契機に触発される形で研究テーマを戦争責任問題に移行させることによって、それまでに積みあげられてきた重要な論点の継承を怠ったこと、戦争責任問題、特に戦争犯罪研究に没入することによって、方法論的な問い直しを棚上げにしたことなど、戦争責任問題への向き合い方自体の内に、重要な問題点がはらまれていたことも事実である。戦争責任問題を歴史学の課題としていっそう深めてゆくためには、この問題の解明を中心的に担ってきた戦後歴史学そのもののあり方が、今あらためて、批判的に考察されなければならないのだと思う」(「戦争責任論の現在」岩波講座『アジア・太平洋戦争』第一巻所収)

 『自虐も栄光も超えて』では、日本近現代史の方法論について、私なりに問題提起をしたかったんです。大きくはずれているのかもしれませんが、方法論についての議論が活発になってほしいという願いは、関係者に伝わってほしいなと思います。