2016年5月24日

 参議院選挙に向け、野党の共闘態勢が進んでいる。32ある1人区では共闘のメドが立ったということで(取りこぼしもありそうだが)、意味のあることだと感じる。

 ただ、残りの選挙区をどうするのかこそ、今後にとって決定的だと思う。残りは13都道府県で、選挙区の数としては全体の3分の1であるとはいえ、議席数は41議席と多い。それより何より、人口数からいうと、全国の3分の2くらいになるのではないか。

 ということは、日本の人口の多数は、野党が共闘する様はニュースで知ってはいるものの、共闘した候補に投票するという実体験をすることができない。目の前で共闘する様を体験することもできない。野党間で話し合いが行われることすらないというのが現実だろう。

 1人区では、統一候補を立てているわけだから、選挙区選挙で共闘するというだけでなく、比例選挙のやり方もそれにふさわしいもにになるに違いない。他の野党を叩いて自分を浮き立たせるなんてことをしたら、総スカンということになる。

 では、複数区はどうなるのか。もちろん、全国的に共闘しているわけだから、同じ方針をとることになるのだろう。だけど、1人区は、実際に野党間の話し合いが存在していて、現在の結果になっている。複数区の場合、ずっと話し合いがされていない。

 そういう状況下で、1票を争う熾烈な戦いになる。共闘しているもの同士の理性的な対応がされるにしても、政策の違いは大きいのだし、それを隠すわけにもいかない。人口の多い県というのは、野党系の労働組合等も強く、かつての確執も半端ではない。

 要するに、初めての試みなのだ。そこで成功していくためには、複数区でも、意識的な野党の話し合いの場を追求することが不可欠だと思う。

 実際に選挙区の状況を見ると、「自民党候補を倒して、野党候補を複数当選させよう」という方針は、一般論としては通用する。しかし、実際に選挙が近づいてきて、世論調査が出てきたりすると、「野党共倒れ」になりそうなところもありそうだ。そういう場合、それまで何の話し合いもなく、顔も見たことのないような人同士で何らかの合意を生み出すなんて、ちょっとあり得ないことだろう。

 あるいは、先日、弊社で主催した白井聡さんと泥憲和さんの講演・対談で白井さんが提起していたが、京都で野党の2議席をということをめざすには、野中さんに出てきてもらって、自民党候補ではダメといってもらうくらいのインパクトが必要だ。それを野中さんにお願いしようとすれば、野党が首を揃えて野中さんのところに行くことなども、真剣に考えないといけないと思う。

 複数区だから、とりあえず相手と話し合わなくても大丈夫だなどと、安心していいような状況ではない。どうなんでしょうかね。

2016年5月23日

 ようやく少し余裕ができて、上のタイトルで次の本を書き始めました。以下、「はじめに」と各章の構成です。

はじめに

 本書を手にとった方は、このタイトルをどのように受けとめるでしょうか。サブタイトルにある「対米従属」という言葉は、日米関係を否定的に見る立場をあらわしているので、左翼による日米両国政府批判だろうというのが、おおかたの受け止めかもしれません。

 それは否定しません。しかし、筆者としては、メインタイトルにある「謎」という言葉に注目してもらいたいのです。本書は、「アメリカによる日本の支配」と表現できるほどの影響力、あるいは逆に「日本によるアメリカへの盲目的追随」といえるほどの情けなさ、その双方を批判的に捉える見地で書かれてはいます。とはいえ、本書の目的は、それを批判すること自体にはありません。そうではなく、なぜ対米従属といわれるような日米関係の実態が生まれたのか、まさにその「謎」──硬い言葉でいえば原因と背景──を掘り下げることが目的なのです。

 この日本では、日米関係の現状を、全体として肯定的に捉える人が多いでしょう。世界のなかで特別に強大な力をもつのがアメリカですから、その影響をまったく受けることなしに日本が何でも決められるなどということは、現実にあり得ないことです。ですから、日米関係の多少の不平等性は容認するというのが、多くの人の実際の感覚だろうと思われます。

 しかし、それにしても、日米関係の不平等性は尋常ではありません。詳しくは第一章で述べますが、よく知られているのは、日本が戦後一度も、アメリカが行う戦争に反対したことがないという現実です。

 だいぶ前のことになりますが、橋本龍太郎首相(当時)が国会で、「第二次世界大戦後、我が国が国連に加盟いたしまして以来、我が国が、米国による武力行使に対し、国際法上違法な武力行使であるとして反対の意を表明したことはございません」(九七年一〇月七日)と答弁し、話題になりました。これは九〇年代までの話です。さすがに冷戦時代のことですから、アメリカの同盟国にとって、アメリカの戦争を支持しないという選択が難しかったことは理解できないではありません(不可能ではありませんでした)。

 しかし、冷戦終了後、大きな変化が訪れました。NATO諸国は、二〇〇一年の9・11同時多発テロ事件後、つい最近まで、対テロ戦争が戦われているアフガニスタンに部隊を送ってアメリカを応援していましたが、これは少なくとも建前上は国連安保理決議を受けた対応でした。二〇〇三年のイラク戦争にあたって、国連安保理が一致した対応をとることができず、フランスやドイツ、カナダなどがアメリカに反旗を翻したことは記憶に新しいでしょう。

 ところが日本は、同じ同盟国でありながら、これらの戦争に際して、反旗を翻すなどということは、これっぽっちも考えなかったようです。それどころか、アメリカの戦争に支持を表明するという従来型の対応にとどまらず、結局、国連安保理の決議にもとづくかどうかは考慮もされないまま、アメリカの要請に応じて陸海空の三自衛隊とも戦地に派遣するという選択をしました。こんな同盟国は日本だけです。

 いや、イギリスは日本と同じだろうという人もいるでしょう。イギリスは、イラク戦争ではアメリカと肩を並べて武力を行使しましたから、日本よりももっと同盟国らしいじゃないかというわけです。けれども、そのイギリスだって、たとえばアメリカがグレナダに軍事介入をしたとき(一九八三年)、サッチャー首相がレーガン大統領をきびしく批判したのです。冷戦時代にだって、こんな対応がとれたのです。二年ほど前(二〇一四年一一月)になって明らかになったことですが、その批判を受けて、レーガン大統領がサッチャー首相に対し、事前にグレナダ軍事侵攻を相談しなかったことを「深く反省している」と述べていたことのことです。

 これらの事実が示すことは、戦後、アメリカの戦争を常に支持してきたのは、世界のなかでこの日本だけだということです。日本はきわめて特異な国なのです。

 こういう事実を紹介すると、いまの日本の風潮のなかでは、「日本はすごい国だ。ぜんぜんぶれないんだ」と、かえって「誇り」を感じる人が多いのかもしれません。まあでも、とりあえずそこを批判するのは、この本の目的ではないといっておきます。本書がめざしたいのは、そういう日本の「ぶれない」特異性は、なぜどうして生まれたのか、そこに興味と関心をもってもらうところなのです。

 筆者が期待するのは、その「謎」が分かってくると、本当にこのままでいいのかと感じてもらえるのではないかということです。また、そこが分かるということは原因が分かるということですから、日米関係の現状から抜け出す道も見えてくるのではないかということです。では、さっそく、本論に入っていくことにします。

第一章 従属の現実
第二章 従属の原点
第三章 従属の形成
第四章 従属の展開
第五章 従属の真相
補 論 日本共産党の安全保障政策の変遷

2016年5月20日

 本日、シンポジウム(「北朝鮮は脅威なのか どう対応すべきか」)を開催します。午後5時より、参議院議員会館です。事前予約が必要ですので、いまからでもホームページから申し込んでください。

 その後の予定についてお知らせします。変動する可能性はありますが。

 選挙もあり、「会」内部の事情もあり、大がかりな取り組みは年末になります。12月24日(土)に、「自衛隊は尖閣を守れるか」をテーマにして、朝から晩までシンポジウムをやる予定です。陸海空自衛官総出演ということで。日比谷図書文化館大ホールです。お楽しみに。

 「会」では昨年、ご承知のように「提言」を出しました。「変貌する安全保障環境における「専守防衛」と自衛隊の役割」ですね。

 これは、タイトルにもあるように、「専守防衛」が大きなテーマになっています。日本防衛を考える上で不可欠な日米安保についても触れてはいますが、少しだけです。ここを徹底的に深めることが必要だと考えており、アメリカの大統領選挙の結果が出る11月末に、その場を設けます。ただし、これは非公開でして、何らかの形で文書にして、来年春頃には問題提起できるようにしたいと思います。これができれば、沖縄問題など具体的な問題でも突っ込んだ提起ができるようになるでしょう。

 4月のシンポジウムのテーマだった「戦場における自衛官の法的地位」の問題。これは軍法会議なしでやっているドイツの事情が詳しく分かれば、4月に議論した日本の問題点をあわせて、何らかの形で秋に公開できるようにしたいと考えています。

 この間、「新安保法制の予想される発動事例の検証」をやってきました。南シナ海(中国)、南スーダン、そして本日の北朝鮮です。これらの結果は、南スーダンでの駆けつけ警護が予想される11月を前に、弊社で本として出版することになると思います。

 以上、年末まで一般の方が参加する取り組みがない可能性がありますが、サボっているわけではなく、一生懸命やっているからだということをご理解ください。年末の時は、ちゃんと忘年会もやるつもりです。

 ご意見、ご希望がありましたら、「会」のホームページからでも、あるいは私宛でも、お寄せいただけると幸いです。では、今後ともよろしくお願いします。

2016年5月19日

 6月8日、上のタイトルで議論の場が設けられることは紹介した。伊勢﨑賢治さん、井上達夫さん、長谷川三千子さん、そして私の4人の議論だ。

 この企画の狙いについては、主催者が書いている。「憲法9条の「議論」を阻むものは何か 〜「6・8公開熟議」を企画したわけ〜」

 また、資金力のない主催者なので、ここで支援を呼びかけている。19日お昼現在、目標の34%程度だって。私からもご協力をお願いしたい。

 そこを見ていただければ出てくるのだが、この熟議に向けて、4人がメッセージを出した。私の分は、ここでも掲載しておくので、どちらかでご覧くださるとうれしい。

(以下、メッセージ)
 私が生きてきた狭い世界の話だし、もう賞味期限切れの昔の話でもある。だが、私のスタンスを理解していただくため、あえて書いておく。

 大学を卒業し(学生運動を続けるという目的だけのため社会学部を卒業したあと経済学部に学士入学までした)、1980年代、いわゆる共産党の青年組織である民青同盟の国際部長として活動していた頃のことだ。当時、すでに社会党と共産党の関係は壊れていて、共闘など問題外のことだった。しかし、青年運動の分野だけは、それ以前の遺産があって、国際関係の一部で共闘が存在していたのである。総評青年部とか社会主義青年同盟(向坂派)の代表と、時として会議をもって議論することがあった。

 とはいっても、親にあたる政党がケンカをしているわけだから、子どもが無事にいるのは簡単ではない。その親からは、「オマエが議論している相手は分裂を企んでいるのだから油断するな」という「指導」があったりもする。顔をつきあわせても、前提に不信感があるものだから、声を張り上げて批判をしあう場面が少なくなかった。

 ある時のことだ。不信感を前提にするのではなく、一度、相手も一緒にやることを望んでいるという見地で議論してみようと思う場面があった。具体的なことは忘れたけれど、相手の誠実さを感じたできごとがあったのだと思う。

 そうしたら、話が通じはじめた。それまで何か月かけても合意できなかった文書に、わずか数日で合意できたのだ。それ以来、少なくとも議論に応じている相手に対して、最初から不信感で接することはやめようと思った。

 今回のシンポジウムで議論する4人は、憲法観が大きく異なっている。同じだったら、わざわざ集まって3時間も議論する必要がない。異なっているからこそ議論が求められるわけである。

 けれども、憲法観は異なっていても、安全保障のことを真剣に考えるという点では、おそらく共通するものがあるのではないだろうか。その真剣さが憲法観への違いを生み出しているのだと感じる。そういう真剣さに共感できる方の発言というのは、学ぶところもあるし、真剣に聞きたいと思うし、敬意をもって議論できると考える。当日が楽しみである。(メッセージ終わり)

2016年5月18日

 本日、某経済官庁の生え抜きで、最後には事務次官まで経験した方とお会いしていた。もちろん、本を書いてもらうのである。

 まだ片鱗も明らかにできないけれど、新自由主義が幅を利かせる現在の日本政府の経済政策に対して、オルタナティブを提起するものになる。1年後かな。

 安全保障の分野では、安倍政権が進む方向に対して、対案が信頼性をもったものになっているという実感がある。だって、何と言っても「自衛隊を活かす会」は、防衛政策を立案する側にいた柳澤さんが中心になり、日本人で戦争現場を一番経験している伊勢崎さん、現代世界の焦点であるテロ問題での権威である加藤朗さんが参加している。北海道5区補選で自衛隊員の多い千歳、恵庭で優勢になるほどには到達しなかったけれど、この方向を進めていけば、なんとかなると展望できる。

 すっと悩んできたのが経済政策である。安倍政権が進む方向に対して、いろいろ対案は出されている。面白そうだなというものもある。だけど、国民がそれを選ぶのは、そう簡単ではないと感じる。だって、その対案を出している人は、これまで日本経済を運営した経験がないのである。実績がないのである。本当に任せて大丈夫なのかという不安を国民は持つのではないか。

 そりゃあ、社会保障と暮らしに関わる国家予算をどんどん増やすという政策は、誰だって「できればいいね」と思うだろう。しかし、その予算をどこから出すのか。

 民主党政権で埋蔵金があるんだと言われたけど、結局、政策に見合う分は出てこなかった。防衛費を半減すればいいのだと言う人もいるけれど、そのためには自衛官を半分にすることが必要で、十数万人の雇用を確保するなんて、公務員に転出させるなら必要な国家予算は変わらないし、民間に十数万人を雇わせるのは絵空事である。

 大金持ちやぼろもうけしている企業の負担を増やすのは、一つの道筋だ。しかし、左翼がそれをやるときは、ガチンコ対決になる時だ。大企業は、日本経済を混乱させることによって、政権の崩壊を狙ってくるだろう。それが見えているから、なかなか野党に政権を任せるという選択肢が、現実のものとなってこない。

 日本の過去の経済運営のなかでは、実際には大企業とも話し合いながら、その姿勢を変えてきた事例がある。公害対策は経済との調和が必要だとされていた法律を改正した時もそうだし、製造物責任法もそうだ。

 そういうことを実際に担ってきた人に、いまの政権の経済政策と異なる選択肢を提示してもらえれば、わりと安心してついて行けるのではないか。そういう人をずっと探していたのだけれど、ようやく巡り会えて、本を書いていただけることになった。

 さて、どうなることか。お楽しみに。