2016年7月14日

 南シナ海の係争問題での仲裁裁判所の判決が話題になっている。判決の内容は当然のものだ。2000年も前の、あったかどうかも分からない権利が認められたら、いまの世界はグチャグチャになってしまう。

 いずれにせよこの問題は、判決を受け入れよとする国際社会の体制と、絶対拒否の中国の間で論争が続き、当分の間は何らかの成果が生まれるのは難しかろう。中国政府がおかしいというだけでなく、中国の人々の反応をテレビで見る限りは、「こうなったら武力で」みたいな人もいるしね。

 ただ、判決が出たこと自体が大事で、それがゆくゆくは国際政治の現実に影響を与えていくものと思う。そう思ったのは、本日の朝日新聞「ひと」欄を見たからでもある。

 登場しているのは、この裁判でフィリピンの代理人を務めたアメリカ人の弁護士、ポール・ライクラーさんだ。この人、1986年に判決の出た国際司法裁判所のニカラグア事件で、ニカラグア政府の代理人も務めたことがあるんだね。

 このニカラグア事件って、親米独裁政権を倒してできたサンディニスタ政府に対し、アメリカが軍事力を使って転覆を謀ろうとし、ニカラグア側が裁判所に訴えたものだった。当時はまだ、こういう国際法廷が戦争を裁く前例はなく、行方が注目されたのである。

 結果はアメリカの完敗だった。アメリカが国際法に違反したということを認定したのである。

 当時、アメリカの裁判の結果を受け入れないとしていたし、日本だって追従した。国会でも「国際法の普遍的な解釈を逸脱している」みたいな答弁があったと記憶する。

 しかしその後、同様の戦争を国際司法裁判所が何回か審理したが、同じような考え方にもとづく判決が相次いでいる。少しずつ定着したと思う。

 ニカラグア判決の大事な点の一つに、個別的自衛権の行使よりも集団的自衛権の行使に条件をきびしくした点があった。侵略された国が「我が国は侵略された」と宣言することと、「我が国を助けてほしい」と援助の要請をすることと、二つの条件を加えたのである。

 これは、アメリカやソ連が、ベトナム戦争やアフガニスタン戦争に代表されるように、「集団的自衛権を行使してあの国を助ける」と称して軍事介入しながら、実際は自分が侵略しているという実態をふまえたものだった。当然のことだったが、大国からは、「国連憲章では個別的自衛権と集団的自衛権を区別していないのに、裁判所が区別するのは行き過ぎだ」という批判が出たのである。

 しかし、一昨年来の集団的自衛権をめぐる国会での議論のなかでは、政府の側からもこの二つの条件があることは語られた。個別的自衛権よりきびしい制約のもとで行使するのだから認めてほしいという文脈でのことという要素もあったのだが、それでも過去に否定したものを事実上認めざるをえないということでもあったのだ。

 いま中国がこの判決を批判しているのを聞いていると、当時のアメリカや日本の政府の態度と重なって見える。国際法の発展を認められない大国って、いつの時代にもいるわけだ。

 それで、朝日の人欄にでたライクラーさん。いつも虐げられる小国の立場に立って、こういう弁護を続けているんだね。すごく偉いなあと思う。記事のなかでこう語っていたことを、私もキモに命じておきたいと思う。

 「法律を駆使すれば、軍事や経済の力の差を埋められる。平和や公正な世界をいつか実現できると信じています」