2016年7月29日

 私がこの論文を書いたのは、2000年の第22回党大会決議にもとづくものでした。この大会は、憲法九条を将来にわたって堅持することをあらためて強調するとともに、次のように、自衛隊と九条の「矛盾を解消することは、一足飛びにはできない」として、自衛隊の解消が現実のものとなる過渡期には自衛隊を活用するという方針を打ち出したものでした(私はそう思い込んでいました)。

 「(自衛隊と九条との)この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である」
 「そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である」

 ところが、常任幹部会からの批判は、私の立場は間違っているというものでした。この大会で打ちだした過渡期における自衛隊活用という際の「過渡期」とは、安保条約を廃棄する民主連合政府以降のことであって、それ以前の段階は含まれていないというのです。だから、時期を限定せず、「侵略されたら自衛隊で反撃する」と一般化する私の立場は、大会決定に反しているというものでした。

 常任幹部会によると、当初の大会議案の段階では、私のような誤解が生まれる恐れがあったそうで、そうならないために大会期間中に修正をくわえたそうです。具体的に言うと、決議に次のような修正が加わったのです。

 「……これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが……矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である」
 この修正文を加えた上で、その直後に「そうした過渡的な時期に、……自衛隊を国民の安全のために活用する」としたというのです。これは、「過渡的な時期」とは、「民主連合政府」の時期であることを示すものだというのが、常任幹部会の説明でした。

 しかし、大会では、そういう説明はされていませんでした。この大会の最終日、この部分をなぜ修正したのかという理由が、志位委員長より三つ示されました。一つは、「自衛隊の段階的解消という方針と日本国憲法との関係についての解明を、報告をふまえて、決議案に明記した」ことです。二つ目は、「『必要に迫られた場合』について、『急迫不正の主権侵害、大規模災害など』と具体的にのべた」ことです。三つ目は、「活用することは当然である」というと憲法上当然といっているように誤解されるので、表現を工夫したということです。

 どの修正理由にも、「自衛隊の活用は民主連合政府の段階」という説明はありません。それに、たとえそういう趣旨で修正がされていたとしても、それ以前の段階で侵略されたらどうするのかといえば、当然自衛隊で反撃することになるでしょうから、大会決定が明示的にそれを否定していない以上、「侵略されたら自衛隊が反撃するといえる」と私は主張しました。

 しかし、合意に達することはできません。その結果、この問題は引き続き議論していこうということになりました。そして、それとは別に、私の論文には「自衛隊は憲法九条違反」という規定がないことが問題となり、そこを自己批判すべきだということになったのです(最後に自己批判書全文を掲げます)。

 その後も、議論は続きました。けれども、私の主張は受け入れられることになりません。それならそれで仕方ないのですが、大会での修正がそういう意味を持っていたということを知らない人が多いのだから、次の大会で説明すべきだというのが私の立場でした。しかし、次の大会でもその説明はありませんでした。

 それらをふまえ、私は退職することになります。退職に際し、常任幹部会からは、「意見の違いは留保して活動することが大事であり、何が正しいかは実践で明らかになる」との指導がありました。

 それから10年が経ち、昨年、国民連合政府構想が呼びかけられ、その説明のなかで侵略された際の自衛隊の活用が打ちだされました。国民連合政府とは、いうまでもなく民主連合政府以前の政府構想ですので、以前の段階であっても自衛隊を活用するという方針の明確化でした。「意見の違いは留保して活動することが大事であり、何が正しいかは実践で明らかになる」という、共産党の組織原則は、本当に大切なものだと思います。(了)

(以下、自己批判書全文)

前号「九条改憲反対を国民的規模でたたかうために」に関連して

 本誌の前号に標記の論文を寄稿したところ、多くのご意見が寄せられました。その
なかには、憲法や自衛隊の問題で日本共産党の見解が変わったのか、などの疑問も寄
せられています。
 前号論文の基本的なねらいは、自衛隊をめぐる問題での意見の違いをこえ、海外における武力行使をめざす国づくりに反対する一致点で、憲法九条改悪反対闘争をひろげようとするものでした。
 ところが、前号論文のなかには、自衛隊が憲法違反であると明記された筒所がありません。それを明記しないまま、「自衛権や自衛隊に反対しているわけではありません。むしろ、自衛隊は活用しようというのが、私たちの現在の立場です」とのべ、海外で戦争する国にすることに反対する一致点をつくろうと提起しています。これは、自衛隊は違憲であるという見地を堅持し、それを一貫して主張すべきとする日本共産党の基本的な見地と異なるものでした。
 党綱領は、憲法と自衛隊の問題で、次のようにのべています。
 「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」
 ここには、〝第九条違反〟という認識と、〝自衛隊の解消によって第九条の完全実施にすすむ〟という目標」が「はっきりと書かれて」います(第二十三回党大会での綱領改定報告)。
 私は、前号論文で、日本共産党が「憲法九条を将来にわたって堅持するという方針」であること、「九条の文面どおり、戦力(常備軍を必要としない時代がやがてはやってくる」ことなど、自衛隊解消の問題を強調しています。しかし、自衛隊解消の一般的な強調にとどまり、憲法違反だから解消するのだという見地が明記されていなかったことは、正確ではなかったということです。
 もちろん、前号論文でも指摘しているように、九条改悪反対のたたかいは、そういう認識を一致点として求めるものではありません。自衛隊をめぐる問題での意見の速いをこえ、海外で武力行使する国づくりに反対することで共同をひろげるものだということは、あらためて強調しておきたいと考えます。