2016年8月31日

 昨夜、自衛隊を活かす会の仕事があって、京都で大学の先生とお会いしていた。ドイツから域外に派遣された兵士が、アフガンその他で殺し、殺される状況になっているわけだが、そういう場合の兵士の法的な地位について調査をお願いしている先生である。近くドイツに行かれるというので、事前にいろいろ聞いておきたいと思った次第。

 いちばん有名なのは、クンドゥズで起きた民間人殺害である。2009年9月、タリバンが燃料輸送車を奪ったということで、現地のドイツ軍指揮官がその空爆を命じた。ところがその輸送車の周りに多くの民間人がおり、約100人が死亡したということだ。

 これ、当時は大問題になった。だって、アフガニスタンの人にしてもれば、何の罪もない同胞が殺されることである。いくらアフガニスタンのために派兵してくれているといっても、民間人殺傷は許せないと人びとは怒ったわけだ。同じような事件が続いていて、民間人がいるところで爆撃してはならないとの規則をNATOがつくったりもしていたが、その矢先のできごとだったという。

 ドイツのなかでも政治の大問題になった。メルケル首相も謝罪し、国防相は民間人を殺傷した空爆は不適切だったことを認めた。幕僚長が辞任したりもした。

 私の当時の知識では、この指揮官を裁判にかけるという動きが進行していた。一方、ドイツ連邦軍の労働組合は、派遣を命じたドイツ政府に責任があるのであって、現場の兵士の責任を問うような裁判はおかしいと主張していた。

 その後、あまり情報を追いかけていなかったのだが、昨夜の情報によると、結局、裁判はされなかったということだ。それどころか、この指揮官は3年後、昇進を果たしているそうだ。

 いや、なぜこんなことを書いているのかというと、いうまでもなく南スーダンの自衛隊の任務が増えるからだ。駆けつけ警護って、紛争当事者が争っていて、一方の当事者を「警護」するわけだから、他方の当事者を「殺傷」することになる。ドイツがクンドゥズでやったように、自衛隊が民間人を殺傷することも現実味を帯びてくるからだ。

 そういう場合、自衛官はどう裁かれるのか、それとも裁かれないのか。そこが不明なまま、あるいは議論がされないまま、安倍内閣は11月の派遣に踏み切ろうとしている。それって、おかしいでしょ。

 さて、このドイツの情報、どうだろうか。「交戦規則通りにやっていたら何十人を殺傷しても裁かれず、昇進さえできるのだから」と聞いて自衛官は安心していけるのか、そんなことが日常になる日本の未来を受けとめられるのか。

 もっといろいろ知らなければならない。そして議論がされなければならない。

2016年8月30日

 先日、ある会議に出ていて、びっくりしました。ある政治家の話題になって、私が「ああ、彼は防衛庁長官の時にね……」と言ったら、参加していた人が、「ええ! その人、ハト派の人だと思っていたら、タカ派の右翼だったんですか」という反応をしたんですよ。

 そう、左翼界隈では、防衛大臣をやっているというだけで、タカ派、反動、右翼ということになる場合があるんですね。その人には、「来たるべき時が来たら、私が防衛大臣をやりたいとずっと思っているんだけど、私も右翼ですか?」と聞き返したんだけど。返事がなかったのは、「そうだ」と思われているからだったりして。

 なぜこんな話をしているかというと、民進党の代表選挙がいよいよスタートするからです。選挙を前にしたメディアの前原さんに対する評価が気になるからです。

 多く(全部?)のメディアが前原さんのことを「保守派」と呼んでいますよね。どこが保守派なんでしょうか。

 いま話題になっている雑誌「世界」のインタビューを見ても、社会民主主義的な考え方を打ちだしているわけでしょう。消費税を上げてもそれを福祉にまわすという点では、日本型社民というより欧米型社民でしょうけれど、社民的な考え方であることははっきりしています。

 それなのになぜ「保守派」と呼ばれるのか。それは、前原さんがずっと安全保障の専門家を自任していて、それを売りにしてきたからだと思うんです。そう、この日本では、安全保障を重視するだけで、もうハト派でなくなってしまうわけです。他に代表戦で「保守派」として名前が挙がった長島さん、細野さんも、安全保障重視ですし。

 これって、深刻ですよね。安全保障というのは国民の大きな関心事なのに、それが保守派の専売特許となっているということですから。じゃなくて、重視してくれる人を保守派と呼ぼうというのが、国民の標準的な見方になっているということですね。

 これでは、革新派というか左派は、安全保障の分野では相手にされていないということです。まあ、ずっと長い間、左派、護憲派は、安全保障政策がない状態が続いたというか、ないことを誇りにしていたというか、外交政策だけで十分だ、等々と訴えることで国民の支持を得ようとしてきたわけですから、仕方がないんですけどね。

 どうやったら、この状態を抜け出ることができるのか。真剣に考えなければなりません。

2016年8月29日

 個別的自衛権は侵略に対して発動できるが、他国を助けるための軍事行動は武力攻撃が発生したときだけ。それがアメリカ草案でした。侵略というのは、武力攻撃を含むもっと幅広い概念だったわけです。

 ところが、それに対してイギリスが反対します。侵略を定義することもできないのに、侵略という用語を使って規定しても意味がないというものでした。

 このままではまとまらないということで、アメリカが準備したのが、現行の51条の規程でした。でも、それって、自衛権についての当時の理解からすると、変ですよね。

 だって、51条のようにすると、個別的自衛権を発動できるのも、武力攻撃が発生した時だけ、みたいになるじゃないですか。経済侵略に対して個別的自衛権を発動できるという解釈をする国もあるのに、その考え方を封じることになりかねない。

 だけど、アメリカはこれで草案をいったんまとめます。まだ会議は続いているから、今後も修正できるだろうって、審議を打ち切るんです。ところが、その後もどこからも修正は提起されず、そのまま通っちゃったというわけです。

 以上の経過は、いまから十数年前、東京都立大学(当時)で国際法を教えていた森肇志さんが、大学の紀要に発表されました。すごい研究だとびっくりした記憶があります。いまでは、『自衛権の基層』という本に収録されています。7000円以上するから、手を出しにくいですけど。

 なぜそんなことになったのかについては、この本を読んでもよく分かりません。私の推測は二つあります。

 一つ。これはあくまでただの国連憲章であって、それまで武力紛争を起立していた慣習国際法は厳然と別に存在しているので、たとえ憲章の規定があったとしても、個別的自衛権を制約することにはならないと、多くの国が考えたのだと思います。

 二つ。それよりも何よりも、日独伊三国同盟の問題を体験した直後でもあり、集団的な軍事行動を制約するというところに、各国の主な関心があったということでしょう。「経済侵略に対して個別的自衛権を発動できる」と解釈できるような規定を残しちゃえば、日本の戦争も「自存自衛」だと言ってるみたいになってしかねないですしね。

 ところが、こうやって国連憲章ができて、戦後、いろいろ戦争が起きて、各国が「自分たちの戦争は正当だ」とか「いや、間違っている」と議論が展開されると、決まって援用されるのは国連憲章でした。「自衛権を発動できるのは51条で武力攻撃が発生した時だけと書いているのに、まだ発生していない段階で軍事行動を起こすのは国際法違反だ」みたいになってくる。何と言っても明文として存在するのは国連憲章だけなので、そうならざるを得ない。

 それが積み重なって、だんだん、国連憲章こそが武力紛争を規律するもっとも大事な考え方みたいになるわけですね。個別的自衛権の発動も武力攻撃が発生した時に限られると解釈されてくる。

 国連憲章全体の草案をつくったのは、アメリカの国務長官だったコーデル・ハルです。あの有名な「ハル・ノート」のハルです。51条の挿入の時は、病気で辞任していたので直接には関与していないのですが、「経済封鎖で自衛権など許されるか」という精神がアメリカ代表団にも大きな影響を及ぼしていたんでしょうね。

 だから、これまで左翼の世界では否定的にだけ捉えられがちな51条ですが、見直しが必要だと思います。もっと積極的な意味を与えることも必要ではないでしょうかね。

2016年8月26日

 アメリカはラテンアメリカ諸国の要求に応え、51条の草案を作成しました。それは当初、以下のようなものでした。

 「国家による加盟国に対する侵略が発生した場合には、当該加盟国は自衛のために必要な措置をとる固有の権利を有する」
 「武力攻撃に対して当該自衛措置をとる権利は、国家グループのすべてのメンバーがその一国に対する攻撃をメンバーすべてに対する攻撃と考えることに同意する、チャプルテペック規約に具体化されるような協定あるいは取極にも適用される」

 よく見れば分かると思うのですが、前段が個別的自衛権ですね。侵略があったら、自衛のための固有の権利があるということです。

 そして後者が、いまでいう集団的自衛権にあたる部分です。国家グループがあったとして、その一国に対する「武力攻撃」があったら、それを「すべてに対する攻撃」とみなし、自衛措置がとれるということです。

 現行の51条と比べると、違いは明らかです。ということで、51条を引用。

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。……」

 明らかに違いますね。草案は、二つの自衛権を明確に区別しています。「固有の権利」は個別的自衛権だけ。

 それよりも違うのは、個別的自衛権は「侵略」に対して発動できるけど、集団的自衛権は「武力攻撃」に対して発動するというのが草案だということです。実際の51条は二つとも「武力攻撃」に対して発動できるとなっています。

 これって、よく分かりませんよね。いまでは、侵略とは武力攻撃のことだとというのが、常識的になっていますから。でも当時は違ったんですよ。国連ができた直後、侵略を裁く裁判所の設立のため特別委員会がつくられたんですが、そこに出された案では、侵略の種類として「武力侵略」と並んで「経済侵略」などもあったんです。

 だから、アメリカの草案で「侵略」とあったのは、そういう含みもあったというわけです。経済侵略に対しても自衛権は発動できるぞ、みたいな。

 それに対して、集団的自衛権というのは、「固有の権利」でもなし、第二次大戦でいうと日独伊三国同盟を認めるようなものですから、「武力攻撃」がされた場合だけということにしたわけです。個別的自衛権と比べ、つよめのタガをはめた。

 それがなぜ、現行のようなものになったんでしょう? 不思議ですよね。

 というところで、ブログに費やす1日30分が終了しました。続きはあとで。

2016年8月25日

 若い頃、国連憲章51条って、悪の権化のようなものだと教えられた。いうまでもなく、51条って、集団的自衛権を規定したものだ。

 この51条を根拠にして、戦後、NATOやワルシャワ条約機構や、当然、日米安保条約もつくられた。それぞれの条約の前文では、国連憲章51条にもとづいてこの条約をつくるのだと宣言されている。安保や軍事同盟を諸悪の根源とみなす考え方のもので、そういう51条観が生まれるのは当然だったと思う。

 51条がなければ、国連憲章で許される軍事行動は、安保理が決定して制裁するものだけとなる。各国が勝手に個別的自衛権や集団的自衛権を発動する根拠がなくなる。せっかく理想的な国連憲章ができたのに、51条があるせいで、憲章の理念は浸食されたというのが、左翼的な理解だったと思う。

 そんな51条だから、つくった経過も問題にされた。よく知られているように、国連憲章の草案には、この条項がなかった。いま述べたように、何かあれば各国は勝手に軍事行動できず、安保理が一致して対処することになっていた。

 ところが憲章を確定するためのサンフランシスコ会議で、ラテンアメリカ諸国が、米州機構で独自に軍事行動をしようと思っても、ソ連の反対で動けなくなるのは困ると主張した。それを受けて、アメリカが案をつくり、51条が誕生したのである。

 こうやってラテンアメリカ諸国が求めたのに、案をつくったのが左翼が主敵とするアメリカだったから、もともとアメリカが戦後に軍事同盟をつくろうと思っていて、その意図を貫くためにラテンアメリカ諸国の主張を利用したのだ、なんて言い方がずっとされてきた。

 51条がどうやって誕生したかと言っても、ほとんどが秘密会議の議論だったので、実際にどうだったかは闇に包まれていた。80年代に入って、その会議録が公開されはじめ、真実に接近することが可能になった。

 新しく分かった事実は、アメリカの陰謀みたいな考え方に修正を迫るものだった。しかし、「51条=悪」論が幅を利かす左翼的世界ではあまり目にとめられることもなかった。アメリカは頑張ったんだよねということが分かるような事実は、なかなか左翼に受け入れられないんだよね。

 右翼は理論的関心がなかった。その結果、ずっと注目されないでいた。

 だけど、大事だと思うので、いま書いている『「日本会議」史観の乗り越え方』では、概要を紹介することにした。ということで、明日は、その概要のまた概要をちょこっとだけ書くことにする。