2016年7月19日

 秋に出す予定の本(『日米関係の謎──戦後70年以上経ってもなぜ対米従属か』)の補論の部分だが、ようやく書き終えた。そもそも産経新聞デジタルiRONNAに寄稿したものだったが、参議院選挙で論点が明確になったのでそれを新たに丁寧に論じた。すでに書いたものについても、時々に出された政策の背景にある考え方を解説したり、事実関係をかなり詳しく記述した。そうしたら、もともと1万字だったものが、2万字になってしまった。その「はじめに」部分だけ、以下、ご紹介。

 今年(二〇一六年)の夏に行われた参議院選挙は、ここ数回の国政選挙と同様、安倍自民党の圧勝に終わり、いよいよ憲法改正が現実の政治日程にのぼろうとしています。同時に、この選挙は、野党共闘で闘われたことと関係し、安全保障問題での「野合」が争点となったことが特徴的でした。

 いうまでもなく、日本の諸政党のなかでは、通常、自衛隊と安保条約の存在が当然の前提となって安全保障政策が語られるのに、ひとり日本共産党(以下、共産党)だけが安保条約の廃棄と自衛隊の段階的解消を綱領で掲げているので、共産党が他の党と選挙で協力しあおうとする場合、この問題がついて回らざるを得ないのです。とりわけ、この選挙の過程で、共産党の藤野政策委員長が、防衛費を「人殺しのための予算」と発言し、「党の方針に反する」として辞職に追い込まれたことをきっかけに、「では、その共産党の方針とはそもそも何なのか」「藤野発言こそ党の方針、本音ではないのか」という議論も巻き起こりました。

 本稿は、共産党の安全保障政策とはどういうものなのかということを、過去の歴史のさかのぼって解説しようとするものです。私は、一九九四年から二〇〇六年までの一二年間、共産党の政策委員会に勤めており(藤野氏とも数年間、同僚でした)、安保外交部長という肩書を付けていた時期もあります。その経験から感じるのは、共産党の安全保障政策をめぐる現在の議論は、それを批判する側からのものも、支持する側からのものも、十分にものごとの事実関係やその背景にある考え方を正確に把握しないまま行われているということです。これでは生産的な議論になっていきません。

 私は、あとで述べるように、野党共闘が保守の方々も含むかたちでもっと発展してほしいという立場です。なぜかと言えば、本書で論じてきたように、日本が独立国家としてふさわしい国になっていくには、日本型抑止力依存政策に替わって、新たな安全保障政策を確立することが求められているからであり、野党の共闘にはそれを生み出す可能性があると思うからです。一見、本書のタイトルと関係なさそうな補論をここに載せるのも、そういう見地からのものです。

 共産党の安全保障政策は過去も現在も矛盾に満ちています。それを説明しても、ふつうの人にとっては理解を超えているでしょうし、右派に属する人から見ればお笑いの対象になるかもしれません。しかし、矛盾に挟まれて苦闘してきた私にとっては、その矛盾のなかにこそ、新しいものをつくりだす価値がひそんでいるように思えます。共産党の安全保障論が他の考え方とぶつかりあうことによって、新しい安全保障政策が打ち出せるのではないかという期待があるのです。

 共産党をめぐる論考を読むに際しては、批判する側も支持する側も、特定の価値観から自由になるのは簡単ではないでしょう。しかし、私の考え方に問題ありとするのは構いませんので、事実関係だけは間違わずにおさえてほしいことを事前に希望しておきます。