2017年1月10日

 慰安婦問題がこじれにこじれている。おそらく誰も先行きを見通せないだろう。というか、先行きが明るいと見通せる人は誰もいないだろう、というところだろうか。

 これまで韓国政府もそれなりにがんばってきた。あれほど合意に反対する根強い世論があるなかで、生存する慰安婦の7割が基金からのお金を受け取ったわけだから、そこは努力のたまものなのだ。少女像の問題で行き詰まっているわけだが、これまでの努力は正当に評価されなければならない。

 その上で、いま当事者にとっていちばん大事なことは、日韓合意を大切にするための発言と行動である。そこを基準にしてものごとを考える必要がある。

 その点で、この間いちばん驚いたのは、稲田防衛大臣の靖国参拝だった。韓国の世論があれだけ沸騰しているなかで、そして釜山の少女像を自治体が撤去した直後の時期に(12月28日)、それは行われた。別に稲田さんが個人の信念を持つのは勝手だが、いま日本政府に求められるのは、日韓合意をどうやって守り、促進するかという判断と行動だろう。どんな信念があっても、その国益を裏切ることがあってはならないのが政治家、とりわけ政府の代表である大臣ではないのか。案の定、稲田さんの行動は韓国世論に火をつけ、いったんは少女像の設置を拒否した自治体が許可することになってしまった。

 大使の一時帰国などの日本政府の対抗措置をどう評価するかは難しい。もともと一時的と銘打っているわけで、そういう象徴的なものなら全否定するつもりはない。大切なことは、どんな行動をとろうともその行動を通じて、日韓合意が大切なものであることを、どう両国民のものにしていくかだ。

 この点では、この間の日韓のやりとりのなかで、日韓合意の中心点が語れていないことが残念である。中心点とは何かというと、合意の日に岸田外相が語ったように、「(慰安婦問題とは)当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」ということであり、「安倍晋三首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」ということである。

 こういう表明があって、10億円を拠出することが決められ、日韓合意は不可逆的なものだとされた。それなのに、その中心点は語られないまま、不可逆的なのにおかしいだろうとか、もうこっちは10億円を出したんだとか、その部分だけが強調されているような気がする。

 なぜこの中心点が大事か。それは、慰安婦問題では日本に責任があり、心からのお詫びと反省を表明するのだということは、そのまま素直に伝わるならば、韓国国民にも、もちろん慰安婦にも通じるものだからだ。率直に言って、韓国国内からの批判は、この中心点を真摯に受けとめるようなものではない。でも、だからこそ、日本側はそこを繰り返し語っていくべきなのではないか。

 日本政府はアメリカの支持を得られそうだということで対抗措置に踏み切ったようだが、そのアメリカの支持だって、日本が日韓合意でこういう中心点を表明したことへの対応なのであって、そこを欠かしていては不安定なものにならざるを得ない。今後、この合意がどうなっていくにしても、日本側はこの中心点ではぶれていないことを示していくべきだ。日韓合意がほんとうに不可逆的なものになるとしたら、日本でも韓国でも世界でも、そのことが伝わったときだけだろう。