2017年1月26日

 さて、その日米安保と自衛隊の問題である。本日の朝日新聞に、政治学者の中北浩爾氏が、「野党共闘 問われる本気度」という論評を寄稿しているので、そこからはじめてみよう。

 中北氏はこの論評で、民進党にも共産党にも本気度が問われるとして注文をつけているわけだが、注文の内容は、共産党がこの問題で路線転換をすべきだということにつきる。民進党に対する注文も、「共産党に対して路線転換を積極的に働きかけるべきではないか」というものだ。その路線転換とは、「野党共闘に(日米安保と自衛隊に関する)独自の立場を持ち込まない」という共産党の態度は「小手先の柔軟対応」であって、日米安保と自衛隊に関する立場そのものを転換すべきだというものである。

 これに対して、「連合政権は綱領や理念の違うもの同士が、その違いを脇において協力しあうものである」というのは筋としてはあり得る。しかし、実際に政権を担うことを具体的に想定すると、解決不可能な困難を背負い込みかねない問題だという自覚が必要である。

 例えば焦眉の問題として南スーダンに派遣された自衛隊をどうするかという問題がある。共産党は撤退という立場だが、南スーダンの自衛隊はそもそも民主党政権のときに派遣が決まったものであって、現在の民進党にも撤退という主張はない。せいぜい、派遣された隊員の命を防護するための、いろいろな対策を主張する程度である。当然、野党政権の閣議では対立が予想されるが、共産党は主張が入れられない場合、どうするのか。「独自の立場は持ち込まない」というのは、民進党の主張を容認するということなのか。

 もっと困難なのは核抑止力への対応である。歴代自民党政権は核抑止力への依存でべったりだったが、民主党政権も普天間問題で迷走した上、核抑止力依存を明確にした。「独自の立場は持ち込まない」というのは、共産党の閣僚もそういう立場に立つということなのか。あるいは、現在、国際的には核兵器禁止条約の議論が開始されようとしていて、日本政府はそれに反対する立場で議論に加わるわけだが、民進党の首相がそれと同じ立場だったとして、共産党の閣僚は閣内不一致という事態を招かないため、それを容認するのか。

 政党と閣僚の使い分けという手法も想定される。閣僚としては首相の方針に従うが、政党としては独自の立場をとるというものである。今回の党大会でも、日米安保についていろいろ批判的に言及し、その立場を貫くとしている。

 しかし、そういうことになると、野党政権が南スーダンでの自衛隊派遣継続を決めたり、防衛大綱で核抑止力を容認したり、核兵器禁止条約に反対したりしたとき、共産党は独自の立場を貫いて、政権の態度を批判するのだろうか。政権を批判して閣僚を引き揚げるのか、それとも批判するが閣僚は残して、引き続き連合政権にとどまるのか。

 閣僚を引き揚げるということは、野党政権が崩壊することにつながる。自民党政権が復活する。そうなると、新安保法制を廃止することもできない。

 基本政策が一致しないということは、それほど重大な問題なのである。その違いを棚上げするのが連立政権だなどと、軽々しく言える問題ではないのである。(続)