2016年12月29日

 来年の建国記念日は、なんと3つも講演依頼がありまして、びっくり。他の講演会とは異なり、必ず2月11日でなければならないわけですから、2つはお断りせざるを得ませんでした。ところが、ちょっとした行き違いで、最初に決めていた講演会がキャンセルになったのです。
 ということで、但馬の方だったと思うんですが、2週間ほど前に電話をいただいた際にお断りしたんですけれど、もしまだ決まっていなかったら、お引き受けする用意はありますので、ご連絡ください。1月4日までは会社の電話は通じませんので、メールでお願いします。

2016年12月28日

(会社のメルマガへの投稿です。今年はこれで終わり。来年1月5日から再開です)

 新しい年、2017年が間近です。いかがお過ごしでしょうか。

 2016年は、人々のつながりということ、そのなかでの言葉のありようということを、例年にも増して深く考えさせてくれる年でした。一昨年の新安保法制に反対する闘いを通じて、意見の異なる人々の間で共闘が進み、それが昨年、選挙というかたちでも表面にあらわれることになったので、出版する上でも、そこを避けて通れなかったからです。

 思い起こすと、1979年に社会党と公明党が「共産党排除」を決め、それに共産党の側も対応したことをきっかけに、分断が政治の隅々にまで広がりました。労働運動、市民運動もその影響を免れることはできませんでしたし、「野党は分断」ということが、政治や運動の分野だけでなく、社会全体を貫く通常の現象になったかのようでした。

 79年から30年以上そうだったのです。十年一昔という言葉がありますが、この移り変わりの激しい社会のなかでは、10年前のことはもう昔に属します。ましてや30年以上です。運動の中心を担った人々が引退し、新しい人々が登場したとして、その新しい人々は「共闘」を体験したこともなければ、もしかしたら考えたこともないのです。こうして「分断」が日常の作法になっていきました。

 そういう状況下で共闘が進んだわけですから、画期的ではあります。共闘への熱意は、誰もが本気で持っていると思います。ただ、本当につながる考え方をしているのか、その言葉は通用しているのかと問われると、何十年もの間の分断を克服するには、まだまだだと感じます。

 自分のことで言うと、最近、ある元自衛官の方と心に隙間が生まれることがありました。その方にある会合で「報告」をお願いしたんですが、その言葉をめぐってのことです。私にとっての「報告」とは、価値概念を含まないものですし、たとえ含んでいたとしても、報告する人が少し偉いというか、会議などで参加者に対して少し高みに立って考えを述べるというニュアンスです。でも、自衛隊のなかでの「報告」は、下のものが上に対して欠かしてはならない義務みたいな使われ方をされるらしいですね。私は上に立っているつもりは皆無なんですが、ちゃんと伝わらなくて、しばらく鬱々とした日々を過ごしました。いまは明るい関係を築いていますけれど。

 これは一例で、しかも個人的なものです。でも、同じようなことは、いたるところに存在するのではないでしょうか。たとえば、連合が野党共闘に反対しているという話があり、克服しなければならないことだとは思います。しかし、民進党に対して、「野党共闘をとるか連合をとるか」と迫っても、前向きなものは生まれないでしょう。労働運動は30年以上の分断路線の象徴のようなもので、体験した心の傷というのは、双方に根強く存在しています。それをどう克服するのかの努力こそ求められるでしょう。

 この間、野党共闘が進んだ一因としてあげられるのは、連合のなかの一部の人たちが、過去の労働運動、平和運動の分裂の責任に対する考え方までは変えないけれども、そこを脇において一致点で努力してくれたことです。そこまでの人間関係をつくる努力が双方にあったのです。それなのに連合にすべての責任をなすりつけるような考え方、ものの言い方では、この間の努力を無に帰することになるでしょう。

 だいぶまえ、辻井喬さんにお願いして『心をつなぐ左翼の言葉』という本をつくったことがありすが、その後、京都にお招きし、講演会を開催しました。講演のあとの質疑応答で、ある男の方が、「妻の父親に対して日本の戦争は侵略だと何回説得しても認めないがどんな言葉が必要だろうか」、と問いかけました。その時、辻井さんが、けんか腰で説得するのではなく、お酒でも酌み交わして心を通じ合わせるのが先決ではないかと答えられました。そうなんです。言葉が通じ合うためには、相手の言葉に耳を傾けようとする人間同士の関係をつくることが不可欠だと感じます。

 この過程を通じてこそ、共闘が本物になっていくでしょう。すべての人が、自分の周りで来年、そこに挑戦していくのでしょうけれど、かもがわ出版は、やはり出版社にふさわしい手段で、そこに挑んでいきたいと思います。来年も引き続きよろしくお願いします。

2016年12月27日

 昨日午後、弊社の会議室において、歴史総合研究会がスタートした。2022年に高校で日本史と世界史を統合した「歴史総合」の授業が開始されるのにあわせ、その両方をいっしょに学ぶという新しい考え方に沿って、大人向けに歴史の本をシリーズで出すための研究会である。日本史、東洋史、西洋史の大御所の先生が出席し(最終的に6名を予定)、非常に充実した議論となった。

 歴史総合を高校でどう教えるかというのは、まだ学術会議や文科省のなかでも議論中である。教科書もこれからだ。ただ、これまでの歴史と異なり、「通史」的な教え方はしないらしい。近現代史を中心にして生徒に考えさせるようなテーマを設定し、それを教え、議論することを通じて歴史の見方を培っていくということらしい。そういうことだと、教科書も出版社によって千差万別のものになる可能性があるし、先生の教え方にも自由度が広がるかもしれない。

 弊社で出すのは、別に高校生向けではないので、その議論に縛られる必要はない。だけど、いま検討されているコンセプトは大事なので、大いに取り入れていきたい。

 昨日議論されたなかでは、たとえば、天皇陵やピラミッドなど古代ではなぜ権力者は大きな墓をつくったのか、それが次第に小さくなっていったのはなぜかなどを通じて、国家権力というものの性格、その歴史的な変化を捉えさせるという提案もあった。なるほどなと思う。

 ただ、現状では、日本史の研究者と世界史の研究者は分離しているので、一人がこれを書くというのは容易ではない。それどころか、同じ日本史でも、天皇陵の時代を研究している人と、官僚機構が発達して墓が小さくなっていく時代を研究している人との間でも、有機的なつながりはない。「このテーマですぐに着手してほしい」と依頼しても夢物語だろう。

 それでも歴史総合の授業が始まるのは2022年なわけだから、「4年後に出版したいから、十分に研究を積み重ねて書いてほしい」ということなら、対応できる研究者はいるだろう。研究者にとっても刺激されるようなテーマ設定ができれば、やる気も起きるだろう。それが読者の関心を惹くことにもなると思う。

 歴史書って、それこそ歴史と伝統のある出版社のいくつかが仕切っていて、弊社の参入余地は少ない。だけど、このコンセプトでなら、どの出版社も同じスタートラインである。伝統のある出版社だと、「このテーマならこの人は外せない」という制約もあって、よけいに難しいこともあると聞いた。

 ということで、私の定年退職時を超えるような、すごく長丁場の仕事になります。どなたか、「これをやりたいので入社したい」みたいな人はいませんか? もちろん、それだけやっていればいいというような、甘い出版社ではありませんけれど。

2016年12月26日

 一昨日、自衛隊を活かす会の今年最後のシンポジウムでした。トランプさんが登場することになって、各国が自国の防衛をどうするかを真剣に考えることが求められるので、「自衛隊は尖閣を守れるか」がテーマはタイムリーだったと思います。

 実際に尖閣をめぐる衝突が起きるとすると、海→空→陸の順に対応することになるでしょう。ですから、元2等海佐の伊藤祐靖さん、元空将の織田邦男さん、元陸将の渡邊隆さんの順に報告をお願いし、最後が会の代表・柳澤協二さんでした。

 なるべく早く動画そしてテキストと公開しますので、是非ご覧頂きたいのですが、私にとって大事なのは、やはり自衛官のナマの発言が聞けることです。日本の防衛を現場で担っているのが自衛官なのに、何を考えているのかを聞ける機会って、ほとんどないのが現状です。政治に従うというスタンスを貫いている方がほとんどなので、個人の考えを発信することはしないということもあるでしょう。あるいは憲法九条があって、自衛官に発言することを認めないという、護憲派を中心とする政治の雰囲気もあったかと思います。

 だけど、実際に防衛を担う20数万の人々の考えが伝わらないというのは、やはり正常ではないと思います。防衛政策を立案するのは官僚で、それを決定するのは政治の責任であったとしても、国民も現場の自衛官の考えを知っておく必要があると思います。

 そういうことで、この自衛隊を活かす会は、いわゆる市民というだけでなく、いまやマスコミの勉強会みたいな性格も帯びてきましたね。ここに来ないと、自衛官の本音が聞けないわけですから。

 それに加えて、防衛政策と言えば政権がつくるものしかないという現状を脱して、別の選択肢を議論し、提示する場としての意味も持ちつつあると感じます。この間、アメリカとかロシアの大使館からも軍人や政務官などが参加するようになっています。きっと、安倍政権のものと替わるものが提示されるのか、興味と関心を持たれているのだと思います。

 そういう「期待?」に応えなければなりませんね。今後は、こうやってシンポジウムを開いて議論するというシンクタンク的なものに加え、実際に防衛政策に影響を与えるような形で発信できるよう、いろいろ努力したいと考えます。ここに参加しないと取り残されると言われるような場にしたいですね。

 来年は日米同盟をどうしていくかが大きなテーマですが、そのなかで地位協定問題、沖縄問題、海兵隊問題などにも挑んでいきます。とりあえずは南スーダン問題での対案の提示です。来年も自衛隊を活かす会をよろしくお願いします。

2016年12月22日

 昨日から東京に来ております。もろもろありまして。

 狭い意味の仕事としては、東京事務所の実務。来春から人も増えるので、京都との間でテレビ会議をやれるようにしたり、事務所の棚を設置したり。東京は女性ばかりなので、こんなこともしなければなりません。

 広い意味の仕事としては、自衛隊を活かす会のシンポジウムです。「自衛隊は尖閣を守れるか」をテーマに、24日(土)の午前10時開場で、午後4時半まで。自衛隊の元陸将、空将、二等海佐など総出です。トランプさんが登場して、「自分でやれよ」という方向が強まるわけですから、自衛隊に何ができて、どこができないのか、ちゃんと考えておく必要があると思います。年末の、3連休の中日の、そしてクリスマスにこんな取り組みをするなんて、どういう会でしょうね。場所は日比谷図書文化館大ホール。よろしければ申込みをして、ご参加下さい。夜の伊勢崎賢治ジャズヒケシはすでに希望者いっぱいで、締め切りました。広い意味では仕事というのは、大手出版社も参加していただいており、意欲を持って頂いたらそこから出版ですが、躊躇された場合、弊社で出そうと思っているからです。

 なお、来年のことを言うと笑われるそうですが、1月26日に京都で、会社主催で私の講演会があります。とりあえずチラシができたので添付します。電話かファックスで受け付けると書いてありますが、私にメールをいただければ結構ですので、是非、お申し込み下さい。では来週。

松竹伸幸講演会