2017年8月9日

 原水禁世界大会の核兵器禁止条約の分科会に顔を出してきた。このテーマの本を売るのだから、当然だけど。ちなみに、『核兵器禁止条約の意義と課題』は500冊持っていって322冊売れました(それ以外に、持って帰るのは重いからということで、20冊の注文も)。かつて経験したことのない売れ行きでした。ありがとうございます。

 それで分科会ですが、条約に造詣の深い方々が報告し、その意義を説かれるわけです。それぞれ説得力のあるお話でした。

 一方、誰がどういうお話をされても、参加者の意見、質問が集中するのが北朝鮮問題でした。「この条約ができても北朝鮮が核開発を邁進するのだから条約は無意味だ、という議論にどう反論したらいいか」とか、「北朝鮮を批判する人が多いけれど、核兵器を持っている点ではアメリカも同じだ。両方の側を同じように批判するべきなのに、そうすると世論が納得しない。どうしたらいいのか」等々。

 そうですよね。結局、ここをどう説明したらいいのかだと感じます。

 これまではNPT条約でしたから、アメリカやロシアなど5か国には核保有が(当面)認められていて、他国が核開発をすることに対しては無条件にだめ出しをできました。でも、このやり方でやってきて、結果は、5か国は核軍縮に取り組まないし、新たに核開発に乗り出す国は出て来るしということで、うまくいかなかったわけです。

 核兵器禁止条約ができたということは、NPTのような差別的体制なしに、どの国にも等しく核兵器が禁止されるということです。その点では、5か国も北朝鮮なども同時になくせという要求が、それなりに浮上してくるのかもしれません。

 ただ、目の前で北朝鮮の核ミサイル開発が加速していて、国民のなかには不安がある。その北朝鮮は国家としての大規模な殺傷事件をくり返した実績もあって(しかも拉致問題以外は自分がやったと認めておらず反省もしていない。よって今後もくり返す可能性がある)、5か国と同列視するやり方が果たして国民の共感を得るのかというと、それは怪しいと感じます。

 私は、この問題は、北朝鮮に対する国民の不安を共感できないと、国民との対話も成り立たないと感じます。「北朝鮮はヒドいよね。何をするか分からない国だよね。5か国はどうあれ、北の核開発を止めさせないとダメだよね」ということで、まず共感する。そして気持ちが通じ合ったところで、じゃあどうするのかと冷静に話し合っていくことが大事だと思います。

 その上で大事なことは、北朝鮮だけを相手に考えるとすると、いくらこの延長線上で核ミサイルを開発しても、国民の命を守るうえでこちら側が核兵器を使う必要はないということなんです。ミサイル対処手段として議論されているのは、ミサイル防衛と敵基地攻撃と特殊部隊による潜入破壊工作ですが、どれもこちらが核兵器を使うという話ではありません。通常兵器による対処なんです。だから、核兵器禁止条約の批准を日本政府に対して(5か国に対しても)求める運動と矛盾するわけではない。北朝鮮が核開発をしているから、日本が条約を批准するべきでないということにはならない。北の核ミサイルには通常兵器で対処できるので、日本はアメリカの核の傘に入っていなくていいと主張できるんです(相手が中国だとこの論理では通用しませんが)。

 ただ、日本の平和運動は、核兵器を使うのはもちろんダメだけど、ミサイル防衛もダメ、敵基地攻撃はもっとダメ、特殊部隊なんて想定外ということで、通常兵器による対処も全否定でやってきたので、回答が見いだせないわけです。

 核兵器禁止条約の批准を求める運動を本格的にすすめる場合、核兵器による安全保障を否定するなら、通常兵器による安全保障をどう構築するのか、真剣な議論が必要になってくると思います。それを感じさせた原水禁世界大会でした。