2017年11月24日

 いまさら前原さんを擁護するつもりはない。しかし、彼が、日米安保を廃棄するという共産党と政権をともにできないと考え、行動した問題をどう評価するかにはは、安保を廃棄するという立場の人にとって克服しなければならない問題が潜んでいる。

 日米安保廃棄という考え方は、戦後ずっと革新勢力の中心スローガンであった。いわば「絶対悪」のような位置づけであって、安保を廃棄しなければ平和になることはない、戦争に巻き込まれるということをつねに主張してきたわけだ。

 それが現在、共産党は野党連合政権では安保も自衛隊も認めるということになっている。その結論はいいのだが、安保が廃棄されなければ平和にならないという基本政策との関係は、まだ何も解き明かされていない。

 基本政策が変わらないなら、なぜ当面は維持するのかが明らかにされなければならない。日米安保を維持すると必ず戦争になるという考え方は多少は変わったのか。変わったのならその理由は何なのか。日米安保を戦争の道具にせず、うまく運用するやり方があるという判断なのか。

 あるいは変わらないのか。新安保法制の廃止という一点で協力しあうのであって、野党連合政権でも戦争に巻き込まれる危険は存在するという認識なのか。日米安保を戦争の道具にせず、うまく運用するやり方はないという判断なのか。

 共産党は、新安保法制以前の法律(自衛隊法や周辺事態法、武力攻撃事態法だよね)、条約(安保条約、地位協定、思いやり予算協定等々)の枠内で対応すると表明している。それはいいのだが、うまく運用すれば戦争にならないと考えて表明しているのか、いやどんなに野党政権ががんばっても戦争になる危険があると考えて表明しているのかは、連立の相手である立憲民主党などにとっても大事なことではないか。

 前者なら「野合」批判は免れないし、後者なら安全保障分野でも意味のある政権をつくるということになるのだから(新安保法制を廃止するにとどまらず)。

 言い換えれば、日米安保に国民の命を守るという機能を、こちらが頑張れば付与できるのかという問題でもある。参議院選挙のとき、自衛隊が国民の命を守るために必要だということは法定ビラで(その1回だけだけど)表明したが、それが日米安保についてはどうなのかという問題でもある。

 昔だったら、大事な課題を達成したら(この場合は新安保法制の廃止)、再び解散総選挙で新たな枠組みをめざすということだったから整合性はあった。だけど、いまはそうではないようだから、この点の解明は不可欠なように思える。