2017年10月31日

 各紙の報道にあるように、今回の大会で打ち出された方針の核心の一つは、今後の目標にある。中国共産党創立100年までに「小康社会」を完成させ、その後さらに30年奮闘し、建国100年までに「社会主義現代化国家」にするというものだ。軍隊もその時点で一流になるらしい。

 この間の「成長」が今後何十年も続くとすれば、「数」だけでいいなら、そういう目標も見えるのだろう。しかし、中国が抱える矛盾を直視しないと、逆に壮大な破産も見えてくるのだと感じる。

 報告のなかでは、いろいろな矛盾にふれている。都市と農村の矛盾とか、富裕層と貧困層の矛盾とか。共産党がそういうものに目を向け、必死に解決しようとしていることも事実だと思う。そうしないと、共産党の権力が危うくなるわけだから。

 けれども、その程度では解決できない矛盾というものがあって、そこに共産党が目を向けているかというと、そういえないのではないか。2つだけあげよう。

 まず単純なものから言うと、極端な少子高齢化社会の到来をどうするのかということだ。中国は何十年もの間、一人っ子政策をとってきて、それに抗議すると投獄されるようなこともあった。「社会主義現代化国家」が完成する今世紀半ばにおいては、65歳以上の人口が3割近くに達すると言われている。「富むものから先に富む」政策を続けていたら、「富むより先に老いる」社会になってしまうことだ。

 それなのに年金など社会保障はほとんど整備されていない。この報告で改善することを約束しているが、それほどの高齢人口を支えようとすると、半端ではない予算が必要となってくる。しかし、報告のどこを読んでも、それほどの覚悟を持っているように見えない。

 いま中国は、一人っ子政策を転換しようとしているが、何十年も続けてきて、すでに国民のなかに定着しているように見える。一人の子どもを大切にし、投資し、将来に備えるのが体質化しているようだ。この矛盾から脱却するのは容易ではないだろう。問題意識が希薄なところが余計にそう思わせる。

 もう一つは、もっと本質的な矛盾である。なぜこれほど腐敗がはびこり、それを必死で摘発しないと権力が維持できないのかということにもつながる。

 要するに共産党権力そのものがといったら言い過ぎだろうが、少なくとも権力の周辺が、この成長政策のなかでブルジョアジー化しているわけだ(入党も認められるし)。どんどん儲かるので私腹も肥やせるような構造が生まれている。

 一方、国民の目は厳しいから、摘発しないと権力基盤が揺らぐ。今回の報告でもきびしい言葉が並んでいて、権力基盤に与える影響を心配していることが伝わってくる。しかし、その成長政策を引き続き堅持する方針にはみじんの変化もない。それどころか、「市場参入ネガティブリスト制度を全面的に実施」って、「法律でこれとこれはダメ」と決めたら、あとは何をやってもいいというわけだから、実際上、法律で決まっていなければ何でもありなのだ。腐敗構造は変わらない。悪循環に陥っているように見える。

 共産党と言えばプロレタリアートの独裁と言われ、この報告のなかでもその訳語でそのまま使われているが、それは共産党の独裁を正当化するためだけに使われているに過ぎない。実際には、ブルジョアジーの権力が共産党を浸食している。

 その共産党に国民生活最優先という政策が遂行できるのか。遂行できるとすれば、前回に書いたように国民が権利を行使してみずから闘う場合だけだろうが、その権利も薄弱なのだから、そう簡単ではない。(続)

2017年10月30日

 といっても中国専門家ではないし、共産党大会への報告を読んだからといって、平板な自画自賛の報告でもあるし、深いところが分かるわけではない。しかし、いろいろ考えるところがあったので、思いつくままに。

 まず驚いたのは、その経済発展至上主義だ。報告は何章かに分かれていて、最初は「過去5年間の活動と歴史的変革」というものだが、その冒頭にあるのは「経済建設が大きな成果を収めた」という節である。

 経済成長率が主要国のうちで上位であり、GDPは世界第2位で、新興産業も発展したし、インフラ整備も進んだしということからはじまる。有人深海調査艇、球面電波望遠鏡、暗黒物質粒子探査衛星などが固有名詞をあげてこれでもかこれでもかと登場し、科学技術の成果を誇る。それら固有名詞の直後に「南中国海(南シナ海)の島嶼建設」があって、「インフラの一環かよ」「軍事面の成果に持って行けよ」と笑わせるのはご愛敬。

 まあ、仕方がない面もある。とにかく、毛沢東の大躍進、文化大革命でめちゃくちゃな状態に陥って、改革開放政策でなんとか発展しようとしたわけだから。

 でも、「人民の生活が不断に改善された」が5節に来るって、どうよ。建前としても「共産党」を名乗るなら、それを前に持ってくるぐらいは必要でしょ。人民の生活が改善されることが「成果」の本質的な基準であって、そうなったのは経済成長を達成したからだというのが、共産党だと思うんだけどね。中国共産党では、そういう考え方は通用しない。

 それは、他のいろいろなことを見ても分かる。たとえば、だ。この報告をアクロバットのOCR機能でテキスト化したのは、検索を容易にするためだった。

 何をキーワードで検索したかというと、例えば「人権」。5万字の報告のうち、わずか1回しか使われていない。「人権に対する法的保障を強化」とある。しかし、どこで使われているかというと、「党の指導、人民主体、法に基づく国家統治という三者の有機的統一を堅持する」という節においてなのだ。「権利」という言葉も数回使われているが、同じような位置づけである。権利は西洋のもので、嫌われているわけだ。

 つまり、中国共産党においては、成長そのものが第一義的なものなのだ。国民の権利を保障するために何らかの達成を成し遂げるという関係になっていないということだ。「所得再配分」という言葉も一度だけ登場するし、言葉としては格差も重視されているように装われているが、全体として、改革開放の初期にめざされた「富めるものがまず富む」という方向が堅持されている。

 まあ、そういう人々が権力の中枢にいるからなんだろうけどね。本日から東京。(続)

2017年10月27日

 習近平報告を読了。PDFファイルをアクロバットでテキストに変換したら、5万字以上もあった。報告するほうも聞くほうも、ご苦労なことだね。来週から連載します。

 本日は安易な書評。浅田次郎の本は、おそらく全部読んでいると思うし、名作としてオススメするものは多いのですが(本ブログでも『終わらざる夏』を評したことがある)、今回はこれです。

 浅田さんが若い頃、自衛隊に入っていたことは誰もが知っていると思います。本書は、浅田さんがいた70年代初頭の自衛隊を舞台にして、歩兵科(自衛隊用語で言えば普通科)の隊員の姿を描いたものです。

 推測も入りますが、この頃の自衛隊と現在の自衛隊は、だいぶ違っていると思います。何というか、入ってくる隊員の事情とか、そんなところはです。

 70年代初頭は、自衛隊員は肩身が狭かったんですね。高度成長が続いていて、就職は他にいろんな可能性が拓けていて、自衛隊を選ぶのはよほどの事情がある場合が少なくありませんでした。

 しかも、まだ旧軍の記憶が国民の脳裏に残っている上に(70年代初頭にはまだ旧軍出身者が自衛隊にいて、本書にも描かれています)、憲法違反であることがことさら問題になっていた。自衛官が成人式に出るのでも、護憲派が取り囲んで妨害したり、隊員を募集するのを妨害したり、音楽パレードなんかに自衛隊の音楽隊が出るのも、いろいろな理由をつけて反対したり。自分でやったわけではないけれど、思い出す度に恥ずかしいし、申し訳なかったという気持ちになります。話がそれますが、そういう気持ちだったので、十数年前(21世紀になってですが)共産党の参議院比例の候補者をやっていたとき、ある県の女性団体が募集反対の申し入れをやるので同行してほしいと要請され、お断りしたこともあります(嫌われただろうな)。 

 本書で描かれるのは、そういう事情のもとでの自衛隊員の姿です。浅田さんが自衛隊にいたとき、自衛官が極左暴力集団に殺害される事件もあって(「朝日ジャーナル」の記者がそれに関わっていて、記事を独占で書いたり、証拠隠滅をしたりしていた時代です)、この本にもその記述が出てきたりします。基地の外に出た時、自衛官だとさとられてはいけないと気をつけていた時代だったんです。

 そういう時代の雰囲気のなかで、日夜、厳しい訓練に明け暮れ、つかの間の休暇を過ごす隊員たち。軍隊としての非合理性に悩みつつ、軍隊はそれでないといけないと納得したり、そうなのに自衛隊は軍隊ではないという非合理性にも悩まされながら、それぞれの隊員が生きていく姿です。

 そういう現実があったから、自衛隊は本当に気を遣って運用されてきて、国民の支持される現在の自衛隊につながっているんですね。「専守防衛」の考え方だって、長沼訴訟で違憲判決が出ることによって、ようやく中身を伴ってでてくるわけです。統合幕僚長が安倍さんの加憲案を支持しましたが、争いのある問題で一方に荷担することは、自衛隊はかつては避けてきたのです。

 その自衛隊を憲法に明記されることが焦点になる時代です。自衛隊というものを抽象的にしか捉えていない護憲派には、是非、読んでほしいと思います。

2017年10月26日

 中国共産党大会への習近平報告はさすがに長く、読み切れていないので、連載開始は来週だね。退屈な報告だけど、日本の共産党の大会への報告より熱心に、マーカーを片手に熟読しているという事情もあるし。ということで、本日は別記事。

 朝鮮半島で軍事衝突が勃発した際、韓国に滞在するアメリカ人、日本人などをどう退避させるかという問題で動きが出てきているということで、「本気で戦争を準備しはじめたのか」という質問を受けた。そうだともそうでないとも言える。

 実際には戦争なんかできないよという人たちが理由としてあげていたのが、その問題だ。本気でやる場合、韓国にいる20万人のアメリカ人、4万人近い日本人に退避勧告を出すだろうから、それがない段階では戦争は開始されないというものだ。これはそのとおりだと思う。

 しかし今回、そこに微妙な変化があるわけだから、戦争が近づいたという見方が生まれるのも当然である。実際、戦争を覚悟したなら、そういう変化はあるわけだし。

 けれども同時に、そうやって抑止を強めているという見方も可能だ。こうした退避の動きが出て来れば、戦争をするというアメリカの覚悟が本気になってきたことを北朝鮮に自覚させることになるわけで、それが北朝鮮の核・ミサイル開発の意思をくじくことになるという考え方である。

 アメリカの戦略である抑止力というのは、もとともそういうものである。軍事力を行使してお前の国を壊滅させるぞという脅しをかけて、それで相手の軍事行動を抑え、止めるのである。

 だから、そういう点では、「軍事的選択肢をとるな」とアメリカ政府に働きかけるというのは、ちょっと筋が違うのだと思う。軍事的選択肢をとるぞと脅しをかけないと、アメリカの外交は成り立たないからだ。抑止と外交が一体となっているのがアメリカの戦略で、外交だけでは外交にならないのだから。

 まあ、こういう外交ができるのは、強大な軍事力を誇るアメリカだけである。日本が同じことをやっても、バカにされるだけ。そしてアメリカは、このやり方で成功体験をもつから、軍事的選択肢を排除せよと言われても、耳に届かない。軍事的選択肢がない場合は、オバマさんの「戦略的忍耐」みたいに、軍事もないけど外交もないということになっていくわけだ。

 耳に届くとしたら、アメリカの成功体験は北朝鮮には通用しないということを、どれだけ説得力を持って言えるかどうかにかかっているように思える。テロリストのように壊滅するという脅しが利かないとか、金正恩にはおどせばおどすほどやる気になる人物だとか。そこが考えどころである。

2017年10月25日

 安倍さんの加憲案が現実味を帯びてくる状況下で、この間、護憲団体が「最終決戦」に挑もうとしている。それで、いくつかのところから、新聞等で発表する文書などについて意見を求められた。以下は、それに際して考えたこと、相手に伝えたことである。

 ほとんどすべての護憲団体が言うのは、「九条改憲は戦争への道」というものだ。それに尽きると言っていいだろう。

 しかしまず、つい2年前まで「新安保法制(戦争法)は戦争への道」と言ってきたわけで、それとの関係で整理が必要である。結局、戦争法が成立しても、九条が変えられるまでは戦争にならないという認識なのか、現行九条のもとでも、2年前まで言ってきたように「戦争への道」になるのかだ。最近のことで、有権者もみんな覚えているわけだから、みずからの言明への誠実さが問われることになる。

 もう一つ、もっと大事なのは、自衛隊をどう評価するのかを言わなければならないということだ。だって、「自衛隊」を憲法に明記するというのが、安倍さんの提案である。自衛隊についての評価を明らかにしないまま、「改憲は戦争への道」と言っても、「じゃあ、自衛隊について、あなたはどう思っているのか」と聞かれることになるのは必定である。そこを逃げていて護憲の闘争はできない。

 だから、今後の護憲運動は、これまでと違った考え方が必要である。九条の会は、自衛隊の評価を明らかにしないことで成り立っている。自衛隊を認めない人、専守防衛の自衛隊なら認める人、海外に出かけても武力行使しない任務ならOKの人、そういう人々が「九条を守る」という一点で共同しているのが九条の会である。自衛隊を肯定するすることもできないし、自衛隊を否定することもできないということが、成立の最初から宿命づけられているのである。

 それなのに、護憲運動においては、自衛隊についてどう思っているのかをまわりの人々に語らなければ、運動になっていかないわけだ。しかも、自衛隊を否定して、だから憲法に明記してはいけないという立場では、圧倒的に孤立することも目に見えている。

 こうしてつまり、自衛隊をなぜどのように自分は肯定するのかを相手に分かるように伝えた上で、憲法に明記してはいけない理由を述べることが求められる時代になっているのだと思う。九条の会がそういうことをできないわけだから、一人ひとりが自分の責任と判断で発言し、行動しなければならないということでもある。

 楽しい時代だね。習近平報告(3時間半)の全文を手に入れたので、たぶん明日から、長期連載かな。