2018年3月2日

 英語で言うと、Raqqa is Being Slaughtered Silently。渋谷のアップリンクで観たのだが、その紹介文はここにあるので、関心があったらどうぞ。

 ラッカというのは、言わずと知れたシリアの町である。2014年にISが進攻してきて支配者となり、町は恐怖に包まれた。公開処刑や虐殺が横行したのである。覚えている方も少なくないだろう。

 なぜ我々がその事実を当時から知っていたのか。報道されたからなのだが、別にマスコミがラッカに入って取材していたわけではない。この映画で初めて知ったのだが、ラッカの市民たちがみずから記者となり、ある人はラッカに残って取材し、ある人はトルコに出て中継局の役目を務め、ある人はドイツから世界に広げていたのである。

 その市民記者たちの組織名が、Raqqa is Being Slaughtered Silently。縮めるとRBSSということになる。RBSSは、映画の中でも紹介されるが、ラッカで起きたことを正確に伝えたことを評価され、2015年にアメリカの何かの賞を受けたりもしている。

 いや、そんな大事なこと、全然知らなかった。ISがやっていることが報道されるのは当然だと考え、誰がそれを伝えているかなんて、想像もしなかった。

 当然、命がけである。ISは事実を知られることをもっとも忌み嫌い、RBSSのメンバーを特定し、海外にいても殺しにやってくる。ラッカ市内ではなおのことだ。その使命感、あるいは恐怖、迷いなどがリアルに伝わってくる秀作だと言えるだろう。

 しかも驚くべきことに、この映画は、ISに関してRBSSが世界に広げた事実を伝えているだけではない。それを伝えるRBSSの活動そのものを伝えているのだ。つまり、RBSSは、ISに関する事実を映像に収めているだけではなく、それを収める自分たちを映像に残してきたというわけだ。

 いつの日か、自分たちのやっていることを、この映画のようにして知ってもらう時が来るという確信がないと、こんなことは出来ないだろうね。偉い。

 それにしても、映画を観て一番グサッときたのは、別のことである。こうやってラッカの市民がISのテロと戦っていたとき、自分は何をやっていたのだろうと考えさせてくれることだ。

 2014年から15年にかけて、日本では集団的自衛権に関する閣議決定があり、新安保法制が成立する過程であった。ISの実態が報ぜられる中で、日本は何をすべきかが議論されていた。自衛隊の任務を拡大するのかどうかが、その議論の中心だった。

 でも、ISと闘うというなら、このラッカの市民記者たちとどう連帯するのか、その活動をどう支援していくのかが大事な課題だったはずだ。そういうことがすっぽりと抜け落ちたまま、賛成するにせよ反対するにせよ、新安保法制の議論に明け暮れていた。テロの現場から遊離した議論だった。

 すごく反省。その反省をこれからの憲法論議のなかでは生かしていかねばならない。