2018年3月30日

 さて、この火曜日、水曜日に開かれた内田樹さんと石川康宏さんの対談。ご存じのように、本来ならアメリカに行って対談する予定だったけど、壮大な破産を遂げたので、京都の禅宗のお寺である妙心寺大心院でやることになった。

 これもツアーとして実施したのだが、二日間とも何の楽しみもなく、ただただ対談を聞いて議論するというものだったのに、30人近くが参加。みなさんうたた寝をすることもなく熱心に聞き入った。

 1日目は内田さんの報告で石川さんのコメント。テーマは「アメリカとマルクス、マルクス主義」。石川さんがコメントの冒頭で言っていたけれど、「アメリカの共産主義の歴史についてこれだけまとまった話(90分)を聞いたのは初めて」という貴重品だった。

 2日目は石川さんの報告で内田さんのコメント。テーマは「マルクスとは何者だったのか」というもので、これはマルクス生誕(5月5日)200年にふさわしく、マルクスを歴史的、包括的に捉えようとするものだった。

 この二つの交錯が面白かったというのが最大の感想である。前者はアメリカの話で、後者はおもに日本の話だったのだけれど、マルクス主義というものがそれぞれの国で土着のもの自生するものになるうえで何が大事かという点で、共通の問題意識に貫かれていたからだ。

 昔のアメリカ共産党の文献には、アメリカの共産主義というのは、アメリカの歴史と伝統を受け継ぐものだという記述があるそうだ。その歴史と伝統のなかには、初代大統領ワシントンだけでなく、なんとマーク・トウェインまで含まれるという。いろんな民族で構成されるアメリカのなかで、共通してアメリカの象徴として認められるということなのだろう。

 日本の共産主義にはそれと同じようなものがあるのだろうかということであるが、それとの関連で議論になったのは、やはり「共産主義」という用語である。欧米の人びとにとっては、共産主義と言われても、それは身近に存在するコミューンのことなので、土着ものとして実感することができる。しかし、日本での「共産主義」というのは、コミューンという聞いたことのないものの訳語に過ぎない。

 昔、宮本顕治さんの「日本の風土にふさわしい社会主義への道」というインタビューが、「文化評論」という雑誌に掲載されたことがある。そこでは、そばの出前なども日本の社会主義には引き継がれるという記述があり、「へえー」と思ったものだ。

 でもそれが、「共産主義」という外来用語で表現されている限り、日本の歴史と伝統から生まれたものではなく、「舶来品」という受け止めから逃れられないのかもしれない。それで、江戸時代の村落共同体ってどう呼ばれていたのだろうかと思って調べてみたのだが、統一したいい言葉はいまのところ見つかっていない。

 共産主義が日本で土着のもの、自生しているものと受けとめられるようになるため、いったい何が必要なのか。もちろん理論の内容が日本的ということが大事なのだが、それを表現する言葉も等しく大事なように思える。これって大事なテーマなので掘り下げていきたい。