2018年3月9日

 伊勢崎賢治さんは3.11の直後、お一人で原発から数キロという地点に行き、線量を計った上で、自分がかかわる国際紛争のNGOを福島に派遣した。当時、岩手や宮城にはボランティアがあふれていたが、福島には誰も行かなかった。伊勢崎さんは、自分で線量を計ることで、「行ける場所がある」ことを確信したわけだ。それにしても、いのちの危険に立ち向かう覚悟のあるNGOしか、当時は行かなかったのである。

 その数年前、伊勢崎さんの本をつくっていた。『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』、続いて『アフガン戦争を憲法九条と非武装自衛隊で終わらせる』というタイトル。身体を張って紛争を終わらせる日本人がいるんだという感動がつくらせた。私の息子も感激して伊勢崎ゼミに入ることになる。いついのちが断たれるかもしれないという状況が、伊勢崎さんをプロのジャズトランペッターの道に向かわせる。

 1年目の3.11。現地の人に伊勢崎さんのジャズセッションをやりたいと申し出た。残っている人は高齢者が多く、「?」という受け止めだったけど、相馬高校出身のジャズメンも協力してくれたり、その相馬高校の吹奏楽部も出演しれくれたり、とっても盛り上がることになる。

 翌年、その伊勢崎さんが、福島高校に招かれ、高校生を相手に国際紛争論の講義をすることになる(悔しいが、他社から『本当の戦争の話をしよう』という本になっている)。その場で、日本の高校のなかで唯一、福島高校にジャズ研があることを知った伊勢崎さんが戻ってきて、「いっしょにセッションをしたい」というわがままを言いだす。

 そこで、3年目の3.11ツアーでは、わがままを聞いてあげた。半年ほど前に福島高校に行って、ジャズ研の顧問の先生(と校長先生)にお会いし、頭を下げて出演許可を得たのである。

 ジャズ研の顧問をしていたのが、初代部長の大森真さん。当時はテレビユー福島の報道局長で、あらたなつながりができた。第三代目の部長が、あまちゃんの音楽で有名な大友良英さんだということを聞き、当時、生業訴訟の裁判の度に原告団を相手に実施していた講演会にお呼びすることを計画した。大森さんが仲介してくれたので、二つ返事で引きうけてもらえることになる。大友さん、昨日のNHKの「アサイチ」にも出ていましたね。

 本日、大友さんは、福島地裁前でお昼頃に開かれる生業訴訟の第二次提訴行動に参加していただける。その後、原告団長の中島さんとの対談があり、夜の福島ツアーのご一行の懇親会にも参加してくれることになっている。生業訴訟のなかで生まれた『福島が日本を超える日』を読んだ札幌から参加するツアーの人が、「どうしても大友さんと会いたい」と、これもわがままを私に言ってきたので、心を鬼にして頼んだ結果である。本当にありがとうございました。

 明日は飯舘村を経て浜通りに向かう。飯舘村では、テレビ局を退職して村の職員になった大森さんが出迎えてくれる。給与は半分になったけど、そこに生きがいを見いだしたんだね。いろんな人生があって、私も、これからの人生をどうするのか、いろいろな可能性に挑戦していきたいと感じる。

 伊勢崎さんとはその後もずっと付き合っているので、「自衛隊を活かす会」につながっているんだよね。その伊勢崎さんと山尾志桜里さんとの関係が生まれたので、今月31日の公開討論「安倍加憲論への対抗軸を探る」も実施できたんだよね(これは申込が多くて、あと数日で締め切りになりそうです)。秘密ですが、いま空想の段階から現実に移せる段階になったのは、伊勢崎さんのジャズセッションを国連会議場でやる企画です。

 もう今年で7年目だし、10年目は会社を退職していてツアーは実施できないので、今年で終わりかなと感じてきた。でも、こんなことを続けていると、人のつながりがどんどん増えてきて、来年はこんな挑戦をしたいなと思わせてくれるものもあるんだよね。さあ、どうしましょうか。