2018年10月31日

 徴用工問題での韓国大法院の判決。いろいろ考えさせられる。

 戦時下に韓国の人びとを徴用し、過酷な労働に従事させたことに対し、日本は謝罪の気持ちを忘れてはならない。NHKの朝ドラでいまでも戦時中の話が出て来るのは、この時代の出来事がいま生きている人(必ずしも戦中派だけでない)にとっても忘れがたいことだからであり、「昔のこと」では済まされないのである。

 しかしだからといって、国家間で結んだ合意を無視していいわけはない。今回は慰安婦問題での国家間合意と異なり、合意を尊重していないのは行政ではなく司法であるため特有の難しさはあるが、こんなことをくり返していると、謝罪が必要だと考えている日本の善意の人まで離反していくことになりかねない。

 国家間で請求権問題が決着すると、それで解決済みになるというのは、普通の国際法の考え方である。だから今回の問題もやはり基本的には決着済みの問題だ。

 ただ、国家間で決着しても個人の請求権はなくならないという考え方も当然である。だから、アメリカと日本の請求権問題はサンフランシスコ条約で「決着」しているのであるが、例えば原爆被爆者などは個人に対する補償を求め続けているのである。ただしアメリカに対してではなく、「決着」を決断した日本国家に対してであるが。

 また、日本は戦後、国家間条約という形式で賠償などを行ったが、分裂国家になり条約を結べなかったドイツの賠償は個人に対して行われ、それが国際的に評価されたため、被害者個人に対する補償を求める声は多い。しかし、国家間条約も被害の補償のために行われるもので、だから被害者個人に対しては、おカネを受け取った国が個人に配分するという考え方なのである。

 韓国政府も徴用工問題では国際法の常識に立っており、条約(この場合は65年の日韓請求権協定)を尊重するという立場で(従軍慰安婦問題では違っていて、この協定の対象外という立場)、だから何年か前だったか問題になり始めた時、徴用工に対する金銭の支給は日本からもらったおカネを原資に韓国政府が行うものだと明確にした。そして約620億円を支払った。本来はそれで終わるはずの問題であった。だから一審も二審も原告の請求を退けたのである。

 被害者としては、被害を与えた当事者である日本からもらったカネでないと納得できないという感情があるかもしれない。ドイツ方式である。しかしそうすると、条約を結んだことが無意味だったということになり、法の支配という当然の原則が崩れることになる。だから、謝罪は当然と感じている日本国民のなかにも反発が生まれかねないのである。

 植民地支配時代の行為に対しては将来にわたって日本は謝罪の気持ちを持つべきである。同時に、この問題で日本がおカネを払うのはあり得ず、おカネを受け取った韓国が国内で解決すべき問題である。その双方を組み合わせた解決しかないだろう。

 そうでないと、韓国ではどんどん訴訟が提起されまくり、日本では請求権協定で支払った5億ドル(現在の価格に直すと1兆円規模だという)を返せという話になっていって、泥沼である。安倍さんの柔軟な手法に期待したい。

2018年10月30日

 昨日、仕事を休んだので、ブログも休みました。元気ですので、ご心配なく(誰も心配していないか)。

 さて、立憲民主党のことばかり書いたが、一本化という点でカギを握るのは共産党がどう対応するかだ。その共産党は、前回の選挙では一方的に候補者をおろしたが、今回は「本気の共闘」にするために、一本化のためには、①魅力ある共通公約、②相互支援・相互推薦、③政権問題の前向きの合意が必要だとしている。

 私は立憲民主党に対して「専守防衛」を具体化する保守らしい政策を求めているのだが、そうなると①魅力ある共通公約や③政権問題の前向きの合意はどうなるだろうか。そこが問題である。

 おそらく共産党が「魅力ある」と考えるのは、安全保障分野で言うと、辺野古移設反対と核兵器禁止条約の批准ということになろう。それは立憲民主党が態度を変えたといいうか、新しい党だから変えたというより明確にしたことにより、共闘が可能になった分野である。

 しかし、それだけだと安全保障政策とは言えない。この二項目だとアメリカへの依存を減らすということになるが、じゃあ日本の安全はどう守るのかという点での公約にはなっていないからだ。だから、「専守防衛」の魅力ある打ち出しが必要になるのである。

 けれども、共産党のなかでは、「専守防衛」であれ「自衛」であれ、安全保障政策を公約として打ち出す動きはない。その結果、立憲民主党との間で、安全保障政策で一致する可能性はないということになる。

 政権に安全保障政策がないということはあり得ない。だから、「辺野古移設反対と核兵器禁止条約の批准」という合意に止まるなら、「③政権問題の前向きの合意」は無理ということだ。だって、政権をともにした段階で、専守防衛で一致できなければ、毎年の防衛予算も組めないではないか。

 そんなことになるなら、共産党は政権に入らず、課題ごとに協力し合う関係に止まるか、せいぜいよくて閣外協力というのが望ましい。混乱して、かえって国民から見放されることになる。

 あくまで「③政権問題の前向きの合意」にこだわるなら、「専守防衛」は批判の対象だから使えなくても、かつて使ったことのある「自衛」の用語を使って、共産党の側からどう自衛するのかの具体策を提示すべきだろう。核兵器禁止条約の批准と自衛を両立させる政策が豊かに打ち出せれば、かなり「①魅力ある共通公約」になると思うけれどね。(了)

2018年10月26日

 現在の日本で「保守」とは何かというご質問を頂いた。以前は日米安保条約に反対か賛成かで革新と保守が分かれたが、現在、そんなことを対立軸として考えている人そのものがいないからね。

 私流に言うと、戦後の自民党政治をどう捉えるかで、その答えが見いだせるような気がする。経済面で言うとそれなりに整った社会保障制度、安保面で言うと建前とはいえ専守防衛の考え方。こういうものを戦後の自民党政治がつくったと肯定できる人が保守なのではなかろうか。

 じゃあ革新というのは、戦後の自民党政治の成果を基本的に否定するのかというと、それは難しい。革新を自称する人はそう言うだろうけれど、でも、80年代以降、革新勢力の政策は「社会保障制度を守る」ことに重点が置かれるようになった。それは戦後の自民党政治のもとでの達成が貴重だという認識抜きに出てこない。共産党が明治150年記念式典の行事に参加しないことの理由として「150年の前半は、侵略戦争と植民地支配に向かった負の歴史がある。明治以降を丸ごと祝い、肯定するような行事に参加できない」(小池書記局長)と語ったが、これも終戦以降の歴史なら肯定できると事実上は言っているのだが、「戦後の自民党政治を肯定しているのか」と問われれば、「そんなことはない」と答えざるを得ないだろう。以上は余談。

 で、枝野さんが自分は宏池会というわけだが、その宏池会は岸田さんのもとで存在意義が見いだせなくて呻吟している。枝野さんが自分が本当に宏池会にいたらこんな安全保障政策を打ち出せるというものがあるなら、保守として注目される可能性はある。

 だけど、今年の4月19日にに出された「立憲民主党の外交・安全保障政策」は、残念なことにまったく注目されなかった。「違憲の「安保法制」を前提とした現行の外交・安全保障政策」を批判するのだが、それに替わって提唱する「専守防衛に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策」というものに魅力が感じられない。

 というか、これだと、たしかに宏池会的というか、以前の自民党に戻ろうと言っているようだが、でもニュースにはならないよね。何十年も続いた古いものに戻りますというのでは。

 この政策でせっかく「核兵器禁止条約を早期に批准する」と打ち出したのだから(最近まで知らなかった)、「アメリカの核兵器に頼らない専守防衛」とか、戦後の自民党政治ではできなかったものを提示できるなら、話題にはなっただろう。選挙まで時間があるのだから、是非、深めてほしい。

 そうやって、自民党の肯定的な伝統を受け継ぐのが野党共闘で、肯定的な部分を切り捨てるのが安倍政権という構図にならないと、一本化しても勝つのはそう簡単ではない。それが沖縄の経験である。(続)

2018年10月25日

 先日、野党の党首が集まって一本化の必要性を確認したのだから、とてもいいことだ。話が進んでほしいと思う。ただ、乗り越えるべき課題は多くて、深い。

 例えば、沖縄県知事選挙で勝ったから野党共闘に弾みがついたという話があるが、これは見当違いも甚だしい。沖縄で勝てたのは、保守も含む共闘が堅持されたことで、県民多数の共感が生まれたからである。

 保守で日米安保も自衛隊も容認する翁長さんが亡くなり、その最期に命を削りながら、後継知事を保守で日米安保も自衛隊も容認するデニーさんか財界の金城さんに譲ろうとした。それに応えてデニーさんが出馬を決意し、オール沖縄から距離を置こうとしていた金城さんが前面に出て応援した。そこに県民が共感したのである。野党共闘の成果がないとは言わないけれども。

 日米安保の重圧に苦しめられている沖縄でさえ、そういう保守の共感がないと勝てないのである。ましてや本土で勝とうとすれば、保守の共感を得るための何倍もの努力が必要とされる。

 ところが、現在めざされている野党共闘というのが、それをどこまで意識しているのか、はなはだ心許ない。紛れもない保守である小沢さんの自由党の地盤沈下で、共闘のなかで存在感が薄れていることが大きいが、それだけではない。

 第一党の立憲民主党についていうと、以前、枝野さんは自分は保守だと発言し、安全保障政策でも宏池会に近いと言っていたように記憶するが、現在の枝野さんを「保守」と思っている国民はほとんどいないだろう。どちらかと言えば左翼抵抗路線の代表だとみなされているように思える。

 選挙を前にして「抵抗」路線が今後とも強まることは避けられない。国民民主党が前国会で対話路線で腰砕けになって批判を浴び、さらに支持率を減らしたので、「やはり抵抗」と思っている指導部も少なくないのだろう。

 だけど、「抵抗」路線は仲間内からは拍手喝采を浴びても、幅広い保守層を獲得する上では役割を果たさない。その部分をどう打ち出していくかが、立憲民主党の課題でもあり、野党共闘の課題でもあろうと思う。

 例えば、外交・安全保障政策。枝野さんがアメリカに行って辺野古の問題で新しい態度を打ち出した。それはいいことで、野党共闘にとっても意味のあることだ。

 しかし、こうやって、いわゆる左翼的な立場だけが注目されるものだから(本当はオール沖縄に見るように保守的も含む国民的な課題なのだが)、「保守」の側面はどんどん弱まることになる。

 沖縄県知事選挙において、野党の党首などが前面に出て演説するなど、目立つようなことはやらなかったとされる。野党の党首が突出すれば保守層が逃げていくという現状では、本土での勝利は難しい。(続)

2018年10月24日

 明日から安倍さんが訪中し、習近平主席と首脳会談を行う予定だ。会談のテーマとして報じられている内容は肯定的なものであり、安倍首相の努力を応援したい。

 例えば海、空の連絡メカニズム。隣り合った国で軍隊同士の予期しない出来事が軍事的な衝突に発展しないことを防ぐためには不可欠の枠組みである。

 あるいは東シナ海ガス田問題での条約等の締結。2008年にせっかく共同開発等で合意したのに(中間線の中国側については中国の事業に日本企業が参加し、線上のものは共同開発)、10年間も放置されていたが、ようやくである。

 海、空の連絡メカニズムについていっても、安倍さんが最初に総理大臣をやった2006年に合意していたのだが、これもようやくである。民主党内閣の時、尖閣にやってきた漁船の船長をどうするかで失敗し、ずっと放っておかれたのだ。

 安倍さんって、総理大臣になって最初の訪問先を中国にすることで、小泉さんの靖国参拝で冷え切っていた日中関係を元に戻したりもした。いろいろ左翼から言われるけれど、評価すべきは評価しないと、国民世論から乖離してしまう。なんでもかんでも安倍さんのやることだから反対というのでは、それなりに存在するコアな反対層の結束は高まるだろうが、その結束ぶりを見て中間層まで違和感を抱く結果になると思う。

 今回の訪中も相当練られたものだと思う。最大の課題は中国の一帯一路構想に日本が関与することだ。

 右翼的な言論者のなかで沸騰しているのがいるけれど、それは国益を考えないものだ。安倍さんは当初、トランプさんと仲良くして日本の国益を守ろうとしたのだけれど、仲良くしても捨てられることがこの間の防衛摩擦で明らかになったので、中国に近づくことで牽制しようとしているのだと感じる。

 昨日も書いたけど、いまはアメリカの勢力圏と中国の勢力圏が争うような時代ではない。その時代の変化をとらえた外交が必要で、安倍さんにはそれをできるだけの柔軟性と判断力がある。見習わなければならないね。