2013年9月2日

 この問題は、軍事攻撃が正当化されるかどうか、という角度で議論されることが多い。化学兵器が使用されたからといって、他国が武力を行使することを認める国際法は存在していないとか、人道上の重大な危機に際しては例外が認められるのだとか、国連安保理が決議した場合は許されることになるとか、いやいやどんな場合も武力行使は認めないとか、そんな議論である。

 現在、欧米で反対世論が強いのも、そういう角度で見て、国民が反対しているからだと思われる。とりわけイラク戦争で間違った選択をしたことが欧米では常識になっているので、そういう意識が強まるのは当然だろう。

 同時に、この問題は、化学兵器の使用をどうやったら止めさせられるのか、という角度での議論が不可欠である。アメリカがあくまで軍事攻撃にこだわるのは、実際に化学兵器が使われたという現実があるからだ(誰が使ったかは明確ではないが)。もし、化学兵器が連続的に使われ、死傷者が増大していくようなことになると、武力行使を容認する世論が強まることがある。その場合のことも考えておく必要があると思うのだ。

 政権の側が化学兵器を使うという問題であるなら、それを止めさせるには、いくつかの方法がある。(反政府勢力が使う、とりわけタリバンやアルカイダとつながる勢力が使うというケースは、今回の記事の主題ではない。)

 ひとつは、軍事攻撃で化学兵器を破壊し、無力化させること。アメリカの攻撃は限定的なものになると言われており、化学兵器製造工場や関連部隊を攻撃するという予測報道もある。しかし、これらの施設や部隊が爆撃されれば、化学兵器が空中に拡散し、甚大な被害をもたらす可能性がある。化学兵器の使用を口実に攻撃して、化学兵器による死者を生みだしたら、冗談では済まない事態である。

 ということで、アメリカの限定攻撃というのは、化学兵器関連というのではなく、いくつかの別の重要軍事施設に向けられるという観測がある。この場合、化学兵器が再び使われれば、アサド政権を支える軍部が打撃を受けるよという牽制効果をねらったものだと言えるだろう。

 けれども、限定的な攻撃が政権を弱らせるということは、実際にはあり得ない。たとえば86年、リビアが関与した西ドイツのディスコ爆破事件があり(アメリカの海兵隊員が多数死亡した)、アメリカはリビアの軍事施設に限って攻撃を加えた。しかし、カダフィ政権は、アメリカの攻撃にさらされたことを盾にして反米の英雄となり、生きながらえた。国際的にも、国連総会がアメリカの空爆を批判する決議を採択し、独裁政権を支える国際網のようなものにつながってしまったのだ。

 この点で、いまのシリアをみると、反体制勢力のあいだに亀裂がある。新聞報道の限りだが、アメリカの軍事攻撃を支持する勢力もあるが、反対する勢力もある。そんなときに攻撃を加えたら、反体制勢力の亀裂を拡大することにしかならない。

 結局、政権による化学兵器の使用とか、国民に対する弾圧をやめさせるには、それを包囲する国民の団結をどうつくるのかということが大事だ。それをつくるのに、国際社会は何をすべきかということだ。

 実際に化学兵器により何が起こったのかという惨状がシリア国内にも国際社会にも明らかにされること。それが誰の手によるものであったのかが解明されること。それが政府の手によるものだということが明確になるのなら、国連の代表権を剥奪するとか、経済制裁を強化するとか、ひとつずつ段階を踏んでいくことが大事である。

 そうやって道理のあることを求めているのに、化学兵器に固執するようなことがあれば、政権にこのまま居座らせてはならないという国民の意思が強まってくる。シリアの反政府勢力の団結が強化される。時間がかかっても、政権の交代につながるこういうやり方が、痛みが少なく、確実なものだと考える。