2013年9月13日

 今週はこのテーマばっかりだったですね。まあ許してください。来週の17日(火)、安倍さん肝いりの「安保法制懇」(集団的自衛権の行使を提言する有識者懇談会)が再開され、短時日のうちに提言を出す予定になっているので。

 そして、その17日が『集団的自衛権の深層』の発売日。「安保法制懇が再開 集団的自衛権行使を答申へ」というニュースが流れ、本屋に行ってみたら、私の本が並んでいるという算段なんですけど、どうなるでしょうか。それで『憲法九条の軍事戦略』までふたたび注目されるという、なんとかの皮算用。生まれて初めてですが、私の本のワゴンセールをやるという本屋も大阪にあるそうで、見に行かなくっちゃ。

 さて、冷戦終了後の集団的自衛権発動事例を検討してみて、いちばん感じるのは、やはり冷戦時代との違いです。連載初期に書いたように、冷戦期の集団的自衛権というのは、米英仏ソという超軍事大国が海外で軍事行動を展開するための根拠だったわけです。どの国も行使するのが集団的自衛権だなんて安倍さんは言うけれど、実態は違っていました。しかも、その軍事行動は、ほとんどすべて「自衛」とは関係のない侵略行動のようなものでした。

 冷戦が終了して、様変わりしました。特定の国が勝手に軍事行動するのに集団的自衛権を使う時代が終わり、国連がオーソライズするようになった。でも、湾岸戦争に見られるように、集団的自衛権を国連がオーソライズするということは、「侵略があった」ということを安保理が一致して認定したということです。

 そして、安保理が一致するということは、もう各国が勝手に発動する集団的自衛権は不要だということです。「侵略があった」という認識で一致するわけだから、行動も一致してやれるのです。湾岸戦争はそういう戦争でした。

 そして実際、湾岸戦争後、いろいろ失敗も多かったけど、その方向で努力が進んできたのです。ところが、そういう流れを断ち切って、いっしょにやろうとしていたのに、報復感情で突っ走ったのが9.11をめぐる対テロ・アフガン戦争だったのです。

 こうして、冷戦時代も冷戦後も、集団的自衛権の実態というのは、どう見ても否定的にならざるを得ないものです。ところが、そういう現実にふたをして、世界が集団的自衛権を求める方向に変化していて、日本もそれに対応しなければならないと虚構の論理で突き進んでいるのが、安倍さんとその取り巻きというわけです。

 学者のなかにも集団的自衛権を認める人はいます。しかし、そういう学者であっても、集団的自衛権が濫用されやすい権利である程度のことは、最低でも言っています。ところが、安保法制懇の報告書にはそういうことが一言も出てこないし、そういうものしか読まない安倍さんは、疑ってもいないんでしょうね。
 
 ということで、あとは、発売される本をどうぞご覧ください。よろしくお願いします。