2013年9月10日

 では、湾岸戦争の場合、集団的自衛権というのは、どのようなものだったのだろうか。若い方は、もう湾岸戦争という言葉さえ知らないかもしれないなあ。1990年8月2日、イラクのフセイン政権はクウェートに侵攻し、その日のうちに全土を占領したのだが、それにつらなる戦争である。

 この事態を前にして、国連安保理は同日、決議660を採択し、イラクのクウェート侵攻によって「平和と安全に対する破壊」が生まれたと認定し、そういう事態における安保理の権能を定めた憲章第39条、40条にもとづいて行動することを決定した。具体的には、この侵攻を非難し、イラク兵力の撤退を求めるとともに、イラクやクウェートなどに対して交渉を呼びかけたのである。

 イラクが撤退に応じないと見た安保理は6日、新たな決議661を採択する。これは前文で、「憲章第51条」を明示しつつ、イラクのクウェートへの武力攻撃に対する「個別的又は集団的自衛の固有の権利」が存在することを確認した。決議は、そのうえで、イラクに対する広範な経済制裁(憲章第41条)を実施することを決め、各国にそれを義務として遂行するよう求めることとなったのである。

 この決議にもとづき、アメリカは湾岸地域に大規模な兵力の展開をはじめる。在日米軍も出動した。これは、決議で認められた集団的自衛の権利に依拠したものだったのである。

 ここまでは、9.11と同じような展開だったといえるかもしれない。しかし、ここから先は、全く異なる様相を見せる。

 国連が開始した経済制裁であるが、ただちに、その実効性が問題になる。イラクの船は、とくにどこからの妨害を受けることもなく、自由に港を出入りしたのであって、そこにはもしかしたら、安保理で輸入禁止の対象になっている武器なども含まれているかもしれない。しかし、経済制裁というのは、次に引用する国連憲章41条にあるように、「兵力の使用を伴わない」措置だったのだ。

第41条〔非軍事的措置〕
 安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。

 湾岸地域に展開した米軍は、集団的自衛権に依拠して、疑わしい船舶を検査(臨検)することもできた。しかし、米軍は、そうしなかった。

 そう、国連安保理が、決議六六五を採択し、「当該地域に海上兵力を展開している加盟諸国に対して」安保理が臨検を求めたのであった。国連が許可したわけだから、アメリカによる集団的自衛権の発動ではあり得なかった。

 より重要なことは、一一月、安保理が決議六七八を採択し、加盟国に対して「必要なあらゆる手段をとる権限」を与えたことである。これは国連が加盟国に対して武力の行使を認めたものであった。この決議を根拠にして多国籍軍が組織され、湾岸戦争が戦われるのである。個別的・集団的自衛権の発動であった対テロ・アフガン戦争とは全く違う戦争になったのだ。(続)