2013年9月11日

 前回書いたように、9.11をきっかけとしたアメリカとNATOの戦争に対して、湾岸戦争は国連決議をふまえた戦争となった。

 これを国連の戦争とまで言えるかについては、当時からいろいろな論争があった。国連憲章が想定している国連の戦争とは、あくまで国連軍が結成され、常任理事国各国から選ばれた参謀で構成される「軍事参謀委員会」が戦略的指導をおこなうようなものだった。ところが湾岸戦争では国連軍は組織されず、各国が国連決議を受けて自主的に軍隊を派遣し、いわゆる「多国籍軍」が組織されたわけだ。軍事参謀委員会による戦略的指導などはされず、事実上アメリカが指揮することとなった。

 国連憲章の想定とはあまりにかけ離れていたということで、その後、ソマリアに国連が軍事介入を決めたときは、国連の特別代表を決め、全体の統括をおこなうような仕組みをつくった。その統轄下に入るのがいやで、アメリカは独自の部隊を派遣し、惨憺たる結末を迎えることになるのだが。

 しかし、国連憲章の定めとは異なっていたとはいえ、この戦争が個別的・集団的自衛権の発動でなかったことは確かである。アメリカは、ソ連崩壊後の世界で覇権を握ることをもくろんでいたが、そのためにはこの戦争において、国連の総意をふまえて米軍等が戦うことをめざした。だから、当初の安保理決議の個別的・集団的自衛権の確認にとどまることなく、武力の行使を安保理決議で認められるよう全力をあげたわけである。

 この経過と結末は、ふたつの点で重要だと思う。ひとつは、安保理決議にもとづく戦争になった結果、多国籍軍の行動も決議にしばられたことである。

 安保理決議が一貫して求めていたのは、イラクのクウェートからの撤退であった。その目的を実現するため、武力行使を各国に授権したのである。それを超えて米軍がイラクに攻め入ることなどは、決議の枠内のことではなかった。

 そして実際、多国籍軍は、イラクをクウェートの領域から追いだした時点で、戦争を終了させたのである。アメリカは、この時点から、フセイン政権の打倒をめざしてはいたが、世界的な支持を得ようとすれば、決議の枠内で行動するしかなかったという側面がある。自衛権にもとづく戦争は歯止めがなくなりやすいが、この場合は、歯止めがあるということだ(もちろん、守らない国は出てくるだろうが)。(続)