2013年9月9日

 さて、自衛権の発動として戦われた対テロ・アフガン戦争だが、どれだけ自衛権の要件を満たしていただろうか。武力攻撃の発生に対する対処だといえたか、他の手段で解決するよう努力したか、反撃の規模は必要最小限だったかという、国際法上の3要件のことである。

 9.11テロが「武力攻撃の発生」と言えたことは疑いないだろう。3000人という死者の数をとっても、アメリカ国家の象徴が攻撃されたことからも、この第一要件は満たしたと言える。

 第二要件はどうか。これは全く満たしていない。だって、前回書いたように、国連安保理はこの問題を「法の裁き」で解決しようとした。そのため、タリバン政権にビンラディンの引き渡しを求め、それが実現しないということで経済制裁を開始したばかりだった。

 しかも、この制裁が効果を発揮する可能性があった。実は、ビンラディンは、ケニア・タンザニアの米大使館爆破事件でも起訴され、国連は2001年はじめから経済制裁を開始したが、制裁実施状況の報告期限である01年2月末、報告を提出したのは46カ国、国連加盟国の4分の1に過ぎなかった。日本も報告しなかった。その程度の位置づけだったのだ。しかし、9.11テロ後、大きな変化が生まれていた。タリバン政権と国交をもっていた3カ国のうち、サウジとアラブ首長国連邦は断交を宣言した。パキスタンも容疑者引き渡しを求めた。はじめてタリバン包囲網がつくられたのだ。

 アメリカの自衛権発動は、この努力を踏みにじった。経済制裁による容疑者引き渡しの道を閉ざし、武力行使へと走ったのである。

 第三要件はどうか。自衛権というのは、相手の武力攻撃に相当する、均衡する程度の反撃にとどめることになっている。その基準からいえば、いくら多数の死者が出たとはいえそれに対する反撃として、政権の打倒まで行ったのは、完全な行きすぎであった。しかも、タリバン政権は、9.11の攻撃当事者ではなく、アルカイダをかくまっていたという「罪」なのだから、よけいにおかしい。

 結局、個別的自衛権、集団的自衛権というのは、各国任せになってしまうので、自衛権の要件など考慮せずに戦われがちなのである。自衛のつもりが、そして実際に自衛戦争として開始された場合も、それが侵略に転化することだってあるのだ(1870-71年の普仏戦争もそういう経過をたどった)。

 その点が、国連安保理決議にもとづく戦争とは、本質的に異なるところだ。その典型が湾岸戦争だったように思う。(続)