2014年1月9日

 ちょっと忙しいので、本日は、本の表紙と帯の紹介を。『台頭するドイツ左翼』という本です。16日以降は、弊社のホームページで購入することができます。書店に並ぶのは月末です。

 この本の中身を紹介するには、帯を見ていただくしかありません。どうぞご覧ください。

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 本の表紙は以下のようなものです。いかがでしょうか。ご購入の意欲が湧いたでしょうか。

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2014年1月8日

 昨日の毎日新聞でしたっけ、自民党は、現行の憲法改正案の「国防軍」のままでは世論の反発も強いし、公明党との溝が埋まらないので、2005年の自民党新憲法草案に戻して「自衛軍」にすることを考えていると報道されました。「自衛隊」にすることも検討するそうです。

 まあ、世論に気を遣うのは、悪いことではありません。だけど、「国防軍」が「自衛軍」「自衛隊」に変わっても、本質は変わらないんですよ。

 だって、2005年10 月28 日に草案が発表されたとき、いま時の人の舛添さんが説明にたったんです。舛添さんは、自民党新憲法起草委員会事務局次長で、草案をつくった中心人物だったんですね。

 マスコミが質問しました。だって、憲法改正の焦点は当時から集団的自衛権の行使を認めるかどうかにあったのに、草案には「集団的自衛権」という言葉がなかったからです。

 舛添さんの答は、大要、「自衛軍、自衛権を憲法に明記することにより、個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も認められることになる」というものでした。国連憲章では(51条)、個別的であれ集団的であれ、行使の要件は変わらないのだから、自衛権があることが明確なら、それでいいということだったのです。

 だから、翌日(10月29日)の各紙は、朝日であれ読売であれ、これは集団的自衛権の行使に踏み込むものだと書きました。もう忘れておられる方も多いと思うので、当時の新聞論評を紹介しておきます。

「9 条については、1 項の戦争放棄条項は維持する一方で、『自衛軍』の保持を明記した。自民党はこの条文なら集団的自衛権の行使は可能としており、自衛軍に『国際平和の確保のための国際協調活動』を認めることで海外での武力行使を伴う活動にも道を開いた。」(朝日)

「自衛軍を明記し、『我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため』との目的をうたって、集団的自衛権の行使を解釈の上で容認した。また、『国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動』として、国際協力への参加を規定。海外での武力行使を事実上認めた。」(毎日)

「戦争放棄をうたった現9 条1 項は維持、交戦権否認の同条2 項は削除し、国防と国際協力、災害派遣など公共の秩序維持を任務とする自衛軍の保持を明記した。集団的自衛権の行使と海外での武力行使を容認した。」(産経)

「自衛軍の任務は、自国の防衛や緊急事態への対応に加え、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動とし、海外での武力行使も可能とした。」(東京)

「自衛軍の任務として、新たに国際平和協力活動などを加えた。草案には明記していないが、解釈上、当然、集団的自衛権を行使できるとしている。」(読売)

「集団的自衛権の行使は明文化せず、解釈で行使を認めるが、行使要件は新たに制定する安全保障基本法で規定する。」(日経)

2014年1月7日

 安倍さん、年明けから絶好調ですね。新年のあいさつで改憲への意欲を表明したと思ったら、本日の読売新聞によると、米軍への後方支援を拡大するような法改正を準備中とか。

 その中心が、戦闘地域での医療活動、捜索・救難活動ということらしい。何としてでも自衛隊を最前線に送りたいという、すごい熱意が伝わってきますよ。

 おそらく、自衛隊が前線で戦闘行為までやることについて、アメリカからの理解が得られていないんでしょうね。私が思うに、アメリカにとっては、現在の新ガイドライン・周辺事態法の枠組みがベストですよ。だって、自衛隊がアジアの前線にまで出てきたら、アジアの人びとの脳裏にきざまれた日本の侵略の過去が蘇ってきて、何としてでも日本になんか負けるものかと戦意が高揚するでしょう。だからアメリカは、日本の役割を方法支援にとどめておきたいのでしょう。

 だけど、それでは安倍さんは満足できない。後方でしか活動できないとか言われると、一人前の軍隊でないと批判されているみたいで、「誇り」が傷つくわけですね。

 それで、「医療」だったら文句ないだろうということでしょうか。人道支援するという行為だから、アメリカからだって日本の世論からだって、批判されることはないだろうと。

 だけどね、その浅ましさが、一番の問題なんですよ。一言でいえば、それは人道支援ではありません。

 人道支援というのは、そこに困っている人がいたら、どんな人であれ救うことです。戦闘地域の医療ということでいえば、安倍さんが想定しているアメリカ兵だけでなく、相手国の兵士だって助けなければ、「人道」の名に値しないんです。

 1986年、国際司法裁判所が、ニカラグアとアメリカの武力紛争について判決をくだして、この分野のいろいろな概念を整理し、定義しました。この争いの中で、人道分野の支援なら何をやってもいいだろうという考え方が出され、ちゃんと裁判で議論されたんです。

 その結論が、いま手元にないので、引用する形にはなりませんが、人道支援というのは当事者すべてを支援することを条件にして人道支援になるというものでした。

 安倍さんの頭のなかには、中国人民解放軍の兵士とか、北朝鮮の兵士とか、ちゃんと助けるべきだという概念がインプットされているんでしょうか。まさかね。

 要するに、アメリカから具体的な要請があるとか、この地域で戦争するのにこれが必要だとか、ものごとをちゃんと考えて出てきたものではないのでしょう。そんなことに付き合わされる自衛隊員は、たまったものではないと思います。

2014年1月6日

 年末に予告していたことですが、年明けは5日から東京で仕事をしました。お正月の日曜日だというのに、学校の先生方が全国から集まって講演に招いてくださったのです。

 すでに何回か書いていますが、私にとっては、護憲の課題にとって勝負の年です。というか、本番は2年半後でしょうけど、そのためにいいスタートを切るべき年です。

 その年の最初の仕事が、5日の講演でした。相手が学校の先生方なので、少し緊張していたんです。

 だって、これまで学校の先生に呼ばれたのは、テーマが領土問題だったんです。その関連本を2年ほど前に出したのがきっかけでした。だけど、今回、憲法九条の軍事戦略について語れということでした。

 学校現場を知らない私にとって、先生方というのは、憲法の理想に燃えて子どもたちを教えているというイメージです。誰がどう読んでも自衛隊は憲法違反であって、憲法に忠実であるべき公務員として(公立学校なら)、その信念に忠実に教えているだろうなと思っていました。

 でも、その先生方も悩んでいるんですね。悩みは広く、深いです。

 自衛隊は憲法違反だけれど、それを暫定的には認めないと護憲運動は広がらないのではないか。でも、いったん認めてしまったら、どこまでも認めるみたいにならないのか。

 海外派遣も災害救助に反対していたら共感を得られないから認めるべきではないか。でも、そこを認めたら、「人を助けるためなら」ということで、際限なく拡大していくのではないか。

 九条の軍事戦略の考え方は分かるが、じゃあ、憲法との関連をどう考えるのか。自衛隊違憲の立場なのに、軍事戦略を提起していいのか。

 そもそも、こんな複雑な問題を、子どもたちにどう教えていくのか。等々。

 先生方が悩んでいる現実に、深く共感するものがありました。私だって、「これしかない」という結論を持っているわけではなく、共通の悩みを持ちながら、日々、決断を迫られます。九条の軍事戦略を打ち出すために集まろうとしている関係者のなかでも、大きな違いがあると思います。

 だけど、こんな複雑な問題ですから、違いがあって当然なんです。それをこれから議論していくわけです。

 そして、大事なことは、議論するにしても、意見の違いを克服し、完全に一致させるため、がちがちに議論をつめていくということではないと感じます。そうではなく、意見の違いを楽しむような余裕をもって、議論を進めていかなければ、幅が広く強固な連帯は生まれないと思います。

 私と同じレベルで学校の先生方も悩んでいる。きっと、悩んでいるのは先生だけでなく、この問題をまじめに考えている人びとすべてなのだではないでしょうか。そのことが分かって、すごくやる気になった年明けでした。