2014年4月22日

 さっき送信。集団的自衛権について3000字程度という依頼原稿である。

 書きながらつくづく思ったのだけれど、「限定容認」って、ホントにまやかしだよね。日本の存立に関わることに限って集団的自衛権を容認するという議論のことである。

 政府・与党内では真剣に議論されているようだ。まだ部分的な調査だが、世論のなかにも受容傾向があるみたい。自民党って、こうやって世論づくりをするのが、それなりに上手だよね。

 だけど、集団的自衛権って、もともと他国の存立にかかわる問題である。日本の存立に関わるなら、それは個別的自衛権の話しである。

 そこをごまかすために、アメリカの艦船が攻撃されて、それを放置すれば次は日本が標的にされるような事態があるなんてことが言われている。いいかげんにしてほしい。

 だって、日本が攻撃されることが明白ならば、やはり個別的自衛権が行使できるのである。これまで自民党政府は、自衛権は日本が攻撃され、日本の国土・国民が被害を受けるまで発動できないという野党の追及に対して、被害を受けないでもいいのだ、相手国が攻撃に「着手」することが明白ならば発動できるのだと言ってきた。今になって、集団的自衛権を容認するため、過去の何十年もの考え方をくつがえすのだろうか。

 しかも、「日本の存立」というけれど、じゃあ、日本海でアメリカの艦船が攻撃されるケースって、「アメリカの存立」に関わる事態だと言えるのか。もちろん重大事態ではあるが、アメリカ本土が攻撃され、国民のいのちが奪われるケースではないのだ。これまで日本政府は、シーレーンで日本の艦船が攻撃されるというだけでは、ただちに「武力攻撃された」として自衛権を発動することにはならないと言ってきた。その攻撃が組織的なものかどうかの見極めが大事だといってきたのだ。それなのに、アメリカの艦船に対する攻撃は、アメリカの存立どころか日本の存立にかかわるとして、集団的自衛権を発動するのか。支離滅裂である。

 要するに、政府・与党は、アメリカが攻撃されるという事態を、真剣に考えてはいない。日本が攻撃されることも同様だ。そういうケースを心配し、人々のいのちが脅かされることを憂えて、議論しているのではない。集団的自衛権の障害をクリアーするには何を言えばいいのかを考え、いろいろ言っているだけなのだ。人々のいのちを守る防衛問題をもてあそんでいるとしか言いようがない。

 日本の国民のいのちも、アメリカの国民のいのちも、真剣に考えているのは護憲派だという状況をつくる必要があるよね。だから、やはり、「自衛隊を活かす会」なのだ。

 ティザーサイト運用開始。

2014年4月21日

 先ほどまで、朝日新聞の記者の取材を受けていました。1時間半以上も。

 先日、神戸市西区にある岩岡というところの九条の会に呼ばれたんです。その取材に来ていた記者でした。

 そこで憲法九条の軍事戦略に関する私の話を聞いて、びっくりしたようなんです。主催者に対しては、「よくこんな勇気ある講演会を開きましたね」と言ったとか。それで、なぜ私がそういう考え方が必要だと思うにいたったのかとか、そういう話しを聞いた人がどういう反応をするのかとか、そんな取材でした。

 いやあ、それを説明しようとすると、出版社に入る前からの話になりますよね。だから、そういう過去の話も含め、リアルにお話ししました。

 理論が現実に合わない、国民に支持されないなら、理論の方がおかしい、新しい理論構築がいるというのが、大学生のときに教えられた私の左翼運動の原点ですし、ずっとそういう立場で活動してきました。どんな記事になるんでしょうか。

 それにしても、私を講演会に呼ぶのに「勇気がいる」と思われてしまうんですよ。護憲運動って、自衛隊を否定する人の運動だとまだまだ思われているんですね。というか、運動の現状はそうなんでしょうか?

 九条の会も、そういう主旨のことを主張したことがないはずです。憲法学者の小林武さんなんかは、九条の会について、非武装中立論者と、自衛隊を日本防衛には使うという論者と、国際貢献でも自衛隊の役割はあるとする論者と、三つの層が入っている運動だと説明しておられます。

 だけど、九条の会をそういう目で見ている人は、きっと少ないんでしょうね。自衛隊否定運動だと思われてしまっている。だから、気持ちは護憲であっても、護憲だと表明したら自衛隊否定論者だと受けとめられてしまうから、自分の気持ちは表には出さないという方も大勢います。

 九条の会がみずから、そこを打ち破る努力を意識的にしなければと思います。だけど、運動の中心を担っているのは非武装中立論者ですし、その理想を貫くタイプの人が多いので、難しいかもしれません。

 「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」は、そこにも役割があると思います。ゆくゆくは、「九条の会」と「自衛隊を活かす会」のコラボなんて、どうでしょうかね。無理かなあ。

2014年4月18日

 昨日の記事で書いたプレゼントですが、すでに10名を超えています。抽選になります。5月はじめ、送り先住所をお尋ねするメールがいけば当選ですが、何もこなければ落選ですので、ご容赦を。

 さて、ごらんの写真の通りです。仕事の名刺と間違わないように、縦でデザインしてもらいました。

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 ホームページも着々と完成に近づきつつあります。すごく美しく、動きのあるものができあがりそうで(動きだけでなく中身もありますが)、公開するのが楽しみです。このブログでつくってくれる方を応募したんですが、それに応えてくれる方がいて、うれしいです。

 「会」の取り組み等を関係者にメールでいっせいに送るシステムも、もうすぐ完成。これもお二人の方に手伝ってもらいました。国会議員のみなさん、マスコミ関係者、関心のある研究者などが主要な対象になるでしょうか。ホームページができたら賛同者を募りますので、自衛官も含め、そういう方々にも送らなければなりません。

 以上を手伝っていただいたのは、西日本の方々ですが、6月7日の第1回シンポジウム(兼、発足のお披露目)も、東京在住の数名の方に手伝っていただきます。これらみなさんがボランティアなんです。ありがとうございます。

 5月の連休を前後し、名刺をもって、まず政党や国会議員のみなさんにご挨拶にいくつもりです。その際はお手柔らかに。

2014年4月17日

 5月末に出版予定の私の本を10名にプレゼントします。『集団的自衛権に関する「安保法制懇報告」 50の論点」(1200円+税)です。

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 これ、「50の論点」となっていますが、「安保法制懇」の報告が発表されるのが連休明け(いまのところ中旬と言われています)で、それを見てから決めるので、少し違ってくるかもしれません。「52の論点」とか「47の論点」になる可能性もあるということです。

 希望される方は、ブログのメールフォームを使って、直接、私宛にメールをください。「集団的自衛権の本を希望」と書いてください。本名での申し込みが必須です。フェイスブックのメッセージではダメで、あくまでブログまで来ていただいた方だけです。

 締めきりは4月末。当選された方には、5月はじめ、送り先をお尋ねするメールを差し上げます。それが来ないかたは落選ということで。

 来月か再来月は、『13才からの領土問題』も出しますので、それもプレゼントしますね。しばらくお待ちください。

2014年4月16日

 先日、内閣法制局の弱点について書いたが、その続きである。いくつもあるのだ。

 たとえば、集団的自衛権というのはどういう種類の行為かという問題である。国際法上、集団的自衛権というのは武力の行使にかかわる概念であるが、そのなかには戦争する国に対する基地の提供や後方支援も含まれる。

 一九六〇年に日米安保条約を強行可決した国会で、岸首相は、「他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている」とのべた。また、一九八六年の国際司法裁判所判決は、「兵器または兵たんもしくはその他の……援助は、武力による威嚇または武力の行使と見なしうる」とのべ、「兵たん=後方支援」が武力の行使だとしている。

 ところが現在、内閣法制局は、基地の提供や後方支援は集団的自衛権(武力の行使)ではないと解釈している。この解釈は、純粋な法理論から生まれたものではなく、日米安保条約が存在し、米軍に対する基地の提供や後方支援まで否定すれば、自民党政治が成り立たなくなるという政治の現実にあわせた結果に他ならない。

 この解釈が、国際基準からはずれるのに国民のなかで通用し、定着したのは、日本的な現実があったと思う。一方では、憲法九条を支持し日本が他国民のいのちを奪うことは嫌うが、他方では、不安定なアジア情勢のもとでアメリカの駐留を願うという、国民がそんな気持ちを持っていたという現実である。

 しかし、内閣法制局が、これから解釈改憲の片棒をかつぐようになっていくことが想定されるもとで、新たな探究が必要となる。内閣法制局の論理を乗り越えないと、これからの闘いは成り立たないということだ。

 集団的自衛権が違憲だという内閣法制局の論理の代表は、81年の政府答弁書である。以下のようなものだ。

 「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきものと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」

 13年前、『「集団的自衛権」批判』という本を書いたとき、その冒頭あたりで、問題意識を書いている。それは以下のようなものだった。

 「この答弁書は、改憲勢力の攻撃の標的となってきたこともあり、平和勢力のなかでも一つのよりどころとする考えがあった。しかし、筆者は、この答弁書の論理をのりこえることなしには、集団的自衛権の推進論を批判しつくすことはできないと考えている」

 いま、13年前の初心に立ち返り、政府答弁書の論理をのりこえるため、全力をつくしたい。それ抜きに、この闘いに勝利することはできないと思うから。