2016年12月9日

 本日、某大新聞社の方から取材を受けるので、自分の考え方をまとめてみた。盟友の伊勢崎賢治さんの受け売りだけど、自分の言葉で語るとするとこういう感じかなというもの。

 現在派遣されているのは施設隊。施設(建物や道路、橋など)をつくる部隊である。これも戦闘行為を継続するには不可欠の部隊であって、そのため高い能力が必要とされており、実際、自衛隊は道路建設などをして南スーダンで歓迎されている。

 ただ、停戦合意が崩れ、戦闘行為が発生してしまうと、道路建設どころではない。現在の局面で現地で必要とされるのは、まさに「警護」できる部隊で、住民を守らなければならないが、それをできるのは歩兵部隊(自衛隊では普通科部隊)である。施設隊も襲われるときに備えて武器使用の訓練はしているが、「警護」は基本任務ではないので、やれることは限られている。

 それなのになぜ施設隊が派遣されているかといえば、歩兵部隊を派遣することになると、南スーダンが戦場だということを認めることになり、PKO五原則にもとづいて派遣するという日本の法律の建前に反することになるからだ。PKOはもはや過去のようなものでなくなっているのに、日本の法律はそのままなので、矛盾を抱えているわけだ。

 一方、いま述べたように、住民の保護は求められている。アムネスティ・インタナショナルの報告書などを見ても、PKOが住民を守らないことを非難する立場である。ルワンダの大虐殺以来、PKOにはそれが求められるようになり、人権団体もそれを支持する立場である。

 それなら、日本は何をすべきなのか。何かやれることがあるのか。

 その回答が自衛隊による停戦監視である。抗争をくり返す大統領派と副大統領派の間に丸腰・非武装で割って入って、停戦合意が守られるよう監視するのが仕事である。PKOの重要な仕事のひとつである。

 これはまず、日本の憲法上の問題が生じない。最近の国会論戦を見ても、憲法の武力不行使原則を守れという論調が強いが、国連の停戦監視員はそもそも丸腰・非武装なので、武力行使をするという問題そのものが生じないのである。

 さらにこの任務は、平和国家・日本の自衛隊に適している。

 いま国連が送ろうとしている部隊は、周辺諸国が中心である。南スーダンの利害関係国の部隊であり、そもそも先制攻撃ができるような部隊であって、一時的に沈静化に役立つことはあっても、根本的には問題を大きくしかねない。

 日本は利害関係国ではないので、紛争当事者に対して中立を保てる。自衛隊が海外で一人も殺したことがないという実績もモノを言うだろう。

 自衛隊はこれまで、ネパールに停戦監視員を送った実績もあり、成果をあげている。防衛省のホームページでは、その成果について、次のように述べられている

 「国連からUNMINへの軍事監視要員派遣の要請を受け、政府は閣議により派遣を決定しました。 2007年(平成19年)3月から第1次軍事監視要員(陸上自衛官6名)を派遣し、第4次軍事監視要員6名が2011年(平成23年)1月18日に帰国するまで、約3年10ヶ月、24名を派遣し軍事監視任務を継続してきました。
 UNMINへの軍事監視要員の派遣にあたっては、国連の規定に従い、武器は携行していません。
 派遣隊員は、7ヶ所のマオイスト・キャンプとネパール国軍兵舎において、武器および兵士の管理の監視などを行ってきました。
 派遣隊員の高い規律心・責任感、リーダーシップ、誠実な職務遂行などは、現地の国連、諸外国のUNMIN軍事監視要員などから高く評価されました。」

 現在のままだと、自衛隊は求められる任務と現実のなかで、矛盾を抱えたままだ。その結果、自衛隊の施設隊は、よけいな緊張を強いられる。

 安倍首相や稲田防衛相も「撤退」を口にすることがあるのは、その矛盾に自衛隊がさらされていることを、それなりに自覚しているからだろう。しかし、ただ撤退するということになると、日本は人道危機を見過ごしてしまうのかと言われてしまうので、打開策が見つからないわけだ。

 だから、「施設隊に替わって停戦監視員を」なのだ。どうだろうか。同時に実行すれば、「日本は逃げ出した」ということにならない。自民党だってこれなら大丈夫ではないのか。

 いまネパールの例をあげたが、武器は持っていかないので、「自衛隊が一人も殺さない」という実績は引き継がれるだろう。一方、危険な任務なので、「自衛隊が一人も殺されない」ということは保障できないかもしれない。ただ、紛争を終わらせるということを考えると、日本と自衛隊にもっとも適した任務だと思う。