2016年12月12日

 先週末は土曜日のほぼ最終の新幹線で帰ってきました。土曜にもやることが二つあったんですよ。

 ひとつは、金子満広さんを偲ぶ会でした。金子さんは共産党の書記局長・副委員長などを歴任された方で、私は秘書として3年間、お仕えしました。選挙区の地元の秘書とか、党の本部の秘書とか、秘書と言ってもいろいろありますが、私は国会の秘書でした(衆議院議員を長く務められました)。

 こんな幹部の秘書をするのは経験がありませんでしたが、みなさんが共通しておっしゃるように、たいへん気さくで明るい方でした。秘書って、仕える人との関係でいろんな経験をしますし、病気にもなったりする場合も少なくありませんが、私は、金子さんの秘書をしていて、一度たりともイヤな思いをしたことがありません。これだけでもすごいことです。

 それだけではないのです。本当に自由に仕事をさせていただき、人生のなかでもっとも勉強した期間でもありました。大学に7年間も通いながら、最後の5年間は一度も授業に出ないという不勉強な日々を送ったので(卒業はできました)、この時期に系統的に勉強させてもらえたことは、いまにも生きていると感じます。というか、現在は、その時期の遺産を食いつぶしているだけかもしれませんが。

 自由にやらせていただいた分、責任感をもって自覚的に仕事ができた日々でもありました。一度だけ、はげしく衝突したことがありました。

 小選挙区制が導入されそうだということで、社会党までもそれに引きずられたことを覚えておられる方も、少しはいると思います。あの時、共産党のなかからは、「社会党も自民党と同じだ」ということで、「社会党同罪論」と名づけられる批判が吹き出しました。

 それを本会議で金子さんが質問することになったんですが、金子さんが私が起案したモノを採用してくれないんです。理由は、「冒頭から社会党も同罪だという展開になっていない」ということでした。そうなんです。当時、宮本顕治議長の発言などを見ても、そういう論調だったんです。

 でも私は、社会党が同罪なのは間違いないけれど、自民党の罪が深いということを国民が自覚しないと、社会党も同罪だという認識には到達しないのだから、まず自民党の罪深さを展開すべきだと主張しました。それで納得できるものができれば、社会党も同罪だというのは、最後の付け足しであっても心に響くと思ったのです。

 まあ、数日議論しましたけど、最後に金子さんが「松竹君の言う通りだね」とおっしゃってくださり、本会議に臨むことになったのです。それ以降、本当に信頼してもらって、その分、信頼に応えなければと思って頑張りました。

 自分の人生のなかで貴重な日々を送らせてもらい、金子さんには頭が上がりません。いまでも金子さんの数々の言葉は、私の頭にも心にも残っています。安らかにおやすみください。