2017年11月30日

 昨日、こんな本をつくりたいと書きました。『改憲派です。でも、「加憲案」には異議があります。──陸海空自衛隊幹部の直言』。

 年末から年始にかけて、関係者にインタビューする予定です。まず最初は、12月6日に東京で、空将補の方に。先ほど、こんなインタビュー項目を送りました。

1、自衛官を志した動機は──当時の政治、社会状況も含めて
2、自衛官になるにあたって憲法のことはどう意識したか(しなかったか)
3、自衛官としての歩みの概略
4、その歩みの中で憲法をどう意識したのか(しなかったのか)
5、自衛隊がおかれた位置をどう改革したいか(それは憲法と関わるか)
6、安倍首相の加憲案をどう評価するか

 自衛隊のことを憲法に明記してほしいと切望しているのは、誰よりも自衛官だと思います。泥憲和さんなどは、「軍隊は日陰者くらいのほうがいいんだ」と言っておられて、それは自衛官が言えば説得力があると思いますが、そうでないわたしのようなものが言うと、「やっぱり自衛官の気持ちを知らないから」と反発されるでしょう。

 だから、護憲派に求められるのは、いろいろありますが、その一つは、自衛官と心をどう共有するのかということです。心が通じないと、改憲か護憲かの議論では、人の立場を変えることができません。議論の入り口にさえ立てないでしょう。

 自衛隊を志すのは、そう簡単ではなかったはずです。73年に自衛隊違憲判決が出るという状況でした。護憲派は、成人式などで自衛官が制服を着て出るのを妨害したり、音楽パレードにも反対したり、当然、採用にも反対した時代でした(今でも、そういう風潮は残っています)。

 そういうなかで自衛官になった方々の気持ち。9条との関係をどう整理していたのか。

 気持ちだけの問題ではありません。幹部になり、真剣に任務を遂行しようとすると、現行法制のいろいろな不備を自覚したのだと思います。その不備は、憲法を変えないとできないものか、そうでないのかも、思いをめぐらせたことでしょう。しかし、そこに声をあげることなく(あげた人も一部にいましたが)、黙って仕事をしてこられた。

 そういう方が、安倍さんの加憲案に感じる違和感。そこをうまく表現できれば、いい本になるのではないかと思います。頑張らなくちゃ。
 

2017年11月29日

 本日の午前中、東京で元自衛隊幹部の方とお会いし、安倍さんの加憲案に関する本を出版するご相談をしてきました。タイトルをつけるとすると、こんな感じなんですが、いかがでしょうか。

 『改憲派です。でも、「加憲案」には異議があります。──陸海空自衛隊幹部の直言』

 ようやく自衛隊のことが憲法に書き込まれ、日陰者扱いから解放されるのですから、自衛官の多くは加憲案を支持すると思います。だからこその本です。自衛隊に愛着を持っていて、だから改憲だという方々に、どうやったら「加憲案」反対に回ってもらえるのか。その挑戦ですね。

 現在、すでに京都におります。夜には会社の株主総会があるので、それに出なければなりませんので。

 ところで、『改憲的護憲論』の帯付き表紙画像ができてきました。ちょっと刺激的かなあ。実際に発売されるのは2週間以上先ですが、もうアマゾンでは予約が開始されていて、それなりの予約状況みたいです。

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 池田香代子さん(九条の会・世話人)に推薦文を書いていただきましたが、この画像だと見えませんよね。それで、以下、その文をご紹介しておきます。どうも、ありがとうございました。

 「あるがままの9条が大切、そして災害救援と専守防衛の自衛隊をリスペクト。そんな国民合意が、すでに広く深く根付いている。これが、憲法とともに歩んだ私たちの70年目の到達点だとしたら、それはまた、「9条のもとの自衛隊」はどうあるべきかを、腹をくくって追求する出発点であるはずだ。9条に自衛隊を付記するという安倍改憲パフォーマンスの出る幕はない。」

 先日、ある方から、「松竹さんはブログでいろいろ書いているから、本を読んでも、すでに見たことがあるのが少なくない」と言われました。でも、今度の本のほとんどは、まだオモテに出したことのないものです。お楽しみに。

2017年11月28日

 はい。「自衛隊を活かす会」の次のシンポジウムのご紹介です。

 タイトルは上記の通り。12月25日(月)の午後1時半から、参議院議員会館101号室です。午後5時までやって、その後、歩いて5分の星陵会館に移動し、忘年会をやります。

 そういえば、この会が発足して以降、ずっとクリスマスに何かをやっているんですよね。一緒に過ごす相手がいない人の寂しい会だと思われているみたいです。がくっ。

 チラシを見ていただければ分かりますが、豪華メンバーです。とくに注目してほしいのは、この問題を包括的に捉えようとしていることです。北朝鮮の核・ミサイル問題というと、どの程度の開発段階だとか、当たるのか当たらないのかとか、迎撃ミサイルの精度はどうなのかとか、そんなことが議論になりがちですが、そういう議論にはほとんどならないでしょう。

20171225_北朝鮮の核・ミサイル問題にどう臨むか_20171108

 この問題を、政治、外交、軍事、経済の大きな視野で捉え、議論したいというのが、このシンポの動機です。北朝鮮経済に詳しい今村弘子先生に加わっていただいたのは、その一環です。もう10年以上前になりますが、今村先生が出された『北朝鮮 虚構の経済』(集英社新書)を読んで感動した覚えがあります。今回、初めてお電話をして、快諾していただきました。こんな会に出ることでは迷いもあったでしょうが、感謝です。

 昨日、紹介文を自衛隊を活かす会のホームページにアップしたのですが、すでに会場の四分の一は埋まっております。みんな、一緒に過ごす相手がいないんでしょうか。とにかく、早めの予約をお願いします。

 来年はまだ確定していませんが、シンポジウム路線ではない道を進もうかなと思っています。改憲国民投票にあわせて、日本の平和を根底から捉えるような議論をして、問題提起をしていければと考えています。

 例えば、「抑止力の代替案を探る連続講座」みたいなものを一年をとおして実施し、その結論として、その代替案を出すみたいになればいいなあ。さて、どうなるでしょう。

2017年11月27日

 というタイトルで、昨日、神戸市北区の九条の会の催しにおいて、柳澤協二さんと対談してきた。その前に柳澤さんの講演があったのだが、それを聞きながら対談の流れをどうしたらいいか考えていて、結局、柳澤さんがなぜ「護憲」になったのかを明らかにすることが大事だと思った次第である。

 だって、今後の国民投票において護憲派が相手にしなければならないのは、圧倒的多数の自衛隊を大事に思っている人びとである。自衛隊を否定的に見る護憲派の信念が揺るがないように、自衛隊を大事だと思う人びとの信念も変わらない。お互い、何十年もかけて形成されてきた信念なのだから、変えようがないのである。

 それなのに、相手の自衛隊に対する考え方を変えさせることによって護憲派に迎え入れるのは、無理のあるやり方だ。迎え入れるどころか、かえって反発を買って、議論にさえ入れないだろう。

 柳澤さんの『抑止力を問う』という本をつくったのが、もう7年以上前。護憲派界隈で話題になって、講演依頼がそっち方面からも来るようになる。だけど、ある県の九条の会からのオファーがあったので柳澤さんに打診したら、「九条の会だけは絶対にイヤ」というものだった。ところが現在、昨日のように、九条の会の催しにも参加していただけるようになっている。

 これって、柳澤さんの自衛隊に対する考え方が変わったからなのか。そうではない。柳澤さんの自衛隊に対する愛情は、年々深まっている。だから真剣に日本の安全保障のことを模索しておられる。

 それでも柳澤さんが変わったのは、護憲派のなかにも自衛隊に愛情を持つ人がいることが伝わってきたからだろう。人を変えるには、どこか共感が必要なのである。相手への共感である。心が通じ合って、ようやく心の本音を出し合って議論し、相互に理解を深めることができる。

 そんなことを感じた一日であった。本日から東京。

2017年11月24日

 いまさら前原さんを擁護するつもりはない。しかし、彼が、日米安保を廃棄するという共産党と政権をともにできないと考え、行動した問題をどう評価するかにはは、安保を廃棄するという立場の人にとって克服しなければならない問題が潜んでいる。

 日米安保廃棄という考え方は、戦後ずっと革新勢力の中心スローガンであった。いわば「絶対悪」のような位置づけであって、安保を廃棄しなければ平和になることはない、戦争に巻き込まれるということをつねに主張してきたわけだ。

 それが現在、共産党は野党連合政権では安保も自衛隊も認めるということになっている。その結論はいいのだが、安保が廃棄されなければ平和にならないという基本政策との関係は、まだ何も解き明かされていない。

 基本政策が変わらないなら、なぜ当面は維持するのかが明らかにされなければならない。日米安保を維持すると必ず戦争になるという考え方は多少は変わったのか。変わったのならその理由は何なのか。日米安保を戦争の道具にせず、うまく運用するやり方があるという判断なのか。

 あるいは変わらないのか。新安保法制の廃止という一点で協力しあうのであって、野党連合政権でも戦争に巻き込まれる危険は存在するという認識なのか。日米安保を戦争の道具にせず、うまく運用するやり方はないという判断なのか。

 共産党は、新安保法制以前の法律(自衛隊法や周辺事態法、武力攻撃事態法だよね)、条約(安保条約、地位協定、思いやり予算協定等々)の枠内で対応すると表明している。それはいいのだが、うまく運用すれば戦争にならないと考えて表明しているのか、いやどんなに野党政権ががんばっても戦争になる危険があると考えて表明しているのかは、連立の相手である立憲民主党などにとっても大事なことではないか。

 前者なら「野合」批判は免れないし、後者なら安全保障分野でも意味のある政権をつくるということになるのだから(新安保法制を廃止するにとどまらず)。

 言い換えれば、日米安保に国民の命を守るという機能を、こちらが頑張れば付与できるのかという問題でもある。参議院選挙のとき、自衛隊が国民の命を守るために必要だということは法定ビラで(その1回だけだけど)表明したが、それが日米安保についてはどうなのかという問題でもある。

 昔だったら、大事な課題を達成したら(この場合は新安保法制の廃止)、再び解散総選挙で新たな枠組みをめざすということだったから整合性はあった。だけど、いまはそうではないようだから、この点の解明は不可欠なように思える。