2017年12月5日

 本日から東京。来週も東京出張が入りそう。再来週もだけど。

 北朝鮮の核・ミサイル問題はなかなか先が見通せない。私が気になるのは、軍事的解決か平和的解決かという対決構図でこの問題を捉え、クロかシロかみたいに断定することである。

 誰であれ、平和的解決を望んでいる。トランプさんだって安倍さんだってそうだと思うよ。軍事的解決ということになったら、どれほどの惨事が襲いかかるかということも、トランプさんや安倍さんだってその責任から免れないということも、あまりにも明らかだから。

 じゃあ、なぜ、トランプさんや安倍さんは、あれほど北朝鮮に対して軍事的圧力をかけ、ときには北朝鮮の壊滅まで口にするのか(これは安倍さんは言っていないけど)。それは、これが抑止力ということの本質だからである。

 抑止力というのは、相手国を壊滅することを明確にし、それを相手国に自覚させることによって、ある目的を達成しようとすることである。この場合、北朝鮮に核・ミサイルを放棄させるという目的を達成するために、そんなことをしたらお前を滅ぼすぞと言って脅かすのである。

 これは、その脅しが効かない場合、さらに軍事的圧力を強めることになる。空母2隻では足りなければ3隻、4隻と派遣することになる。軍事演習だってどんどんエスカレートすることになる。

 ただ、抑止力というのは、そういう脅しだけで外交目的を達成しようとするわけだ。最後は相手が屈してきて、平和的に核・ミサイルを放棄する外交交渉に出てくることを想定している。

 その点で、抑止力というのは、平和的解決と矛盾しないのである。少なくとも、トランプさんや安倍さんの頭のなかでは矛盾していない。

 だから、対決構図は、軍事的解決か平和的解決かにあるのではないのだ。軍事的圧力による平和的解決(抑止力)か、ただの平和的解決かにあると思われる。

 抑止力理論がやっかいなのは、軍事的解決が本心なのだと相手に思わせないとダメなことである。いろいろ勇ましいことを言い、軍事演習をエスカレートさせているけれど、心の奥底では平和的解決を望んでいて、軍事的解決に出てくるはずはないさと、相手国に思わせてしまえば、犬の遠吠えということになる。どんどん核・ミサイル開発に狂奔しても大丈夫だと相手国に思わせてしまう。

 だから、平和的に解決したいと思っていても、安倍さんのように「今は平和的交渉の段階ではない」と断定しなければならない。その安倍さんを「軍事的解決しか考えていない」と批判しても、どうもかみ合わないように思えるのだ。批判するとしたら、軍事的圧力はどんなものでもダメという立場からのものか、あるいは「こんな軍事的圧力なら平和的解決に効果的」という立場からのものか、どちらかになるのではないか。(続)