2017年12月28日

 2年前の日韓合意を検証する韓国側の報告が出され、議論になっている。自国の外交のあり方を検証し、今後に生かしていくのは、それぞれの国の自主性に任せるべきことだとは思う。しかし、今回の検証程度の水準では、報告書が提起する問題の解決にはつながらないのではないか。

 韓国の大統領や外相がくり返し述べているように、2年前の合意を7割の国民が受け入れていないという現実がある。そういう世論のなかで、合意に賛成と言いにくいことは理解できる。

 しかし、一方で、慰安婦だった方々は多くが合意を受け入れ、日本政府の拠出で設立された財団からのお金も受け取っている。合意当時に生存していた慰安婦の7割(正確にいうと76.6%)がである。

 なぜそうなるのか。そこを検証しないと、いつまで経っても、この複雑な問題への解が見えてこないと思うのだが、どうだろうか。

 率直に言って、この違いを生み出しているのは、「当事者性」の違いであるように思える。当事者である慰安婦の多くは受け入れているが、直接の当事者ではない一般国民は受け入れていないということである。

 「受け入れたのは高齢になって判断力がないからだ」と言う人もいる。そんなあまりにも失礼な立場は論外だけれども、同時に、慰安婦の方々が合意を100%満足して受け入れたわけではないことも事実だろうと思う。

 慰安婦問題は日韓関係に突き刺さったトゲのような存在だった。慰安婦にとっては、いろいろな希望や願いはあるだろうが、自分が納得しない状態が続けば、そのまま日韓関係は改善に向かわないわけだから、悩みや苦しみもいかほどのものだったか想像できる。残された人生が長くないことを自覚しているからこそ、生あるうちに解決したい(解決したことにしたい)という願いもあっただろう。だから、日韓政府合意に不満な点はあっても、苦渋の選択肢として受け入れたのであろう。

 一方、直接の当事者ではない一般国民にとっては、そこまでの切実性がないということである。当事者の願いをおもんばかるよりも、問題のある点を問題にし続ける「正義」に立場に魅かれているわけだ。

 今回の報告書をもとに、韓国政府は方針を決めるという。韓国の国民が納得しない限り、韓国政府にとって問題が終わらないことは理解できる。しかしなぜ慰安婦が受け入れているものに国民が反対するのかという問題の設定にして世論に呼びかけるのでない限り、韓国の国民の納得を得る手段は見えてこないように感じる。