2018年4月6日

 さて、「明日への選択」の論者と私で決定的に異なるのは、日本の平和と安全をどうやって守っていくのかの考え方だろう。どっちつかずの護憲論の私だが、そこだけは断言していい。

 一言で言えば、私は「専守防衛」を貫くべきだと考えている。一方、この論者は、「専守防衛を……時代遅れの愚策」と述べている。「今日の国際環境において全く時代遅れの危険な政策」というのである。そうして、集団的自衛権の行使の必要性を説き、日米同盟が破綻したら中国に対抗するのに「どれだけの軍備増強が必要になるか、(松竹氏は)果たして考えているのだろうか」と、批判をエスカレートさせるのだ。それを防ぐためにも憲法改正が必要なのだそうだ。

 よく耳にする批判である。憲法を変えなければ日本は侵略されるということになれば大変なことだから、「ああ、そうか」と改憲にまわる人もいるのだと思う。

 だけれど、「こうしなければ必ずこうなる」という論理って、とっても強いが故に、陥穽もあわせもつ論理だと思う。だって、それを認めてしまうと、憲法が変わらない限り、日本はかならず侵略されることになってしまうからだ。そして、加憲論議の行方がどうなるか読めないが、いまのところ、憲法が変わる可能性は半分くらいというところだろう。常識的に言えば、9割の国民が支持する自衛隊が憲法に書き込まれることにもっと多くの国民が賛成するのが普通のように思えるが、実際の世論調査では半々程度にとどまっている。それほど国民にとっての9条は特殊な存在なのである。

 じゃあ、その結果、9条が変わらないということになると、「変えない限り必ず侵略される」と言ってきた人は、どうするのだろうか。侵略を甘んじて受けとめるのか。そういうことではないだろう。

 だから、本当に日本の平和と安全を願っているなら、別に改憲を主張してもいいのだけれど、現行憲法のもとでどうするのかということもあわせて考えなければならないと思うのだ。「現行憲法でここまでできる」と言ってしまうと改憲の論理が弱まると感じて言えないのだろうけれど、それでは日本の平和と安全に責任を持つということにならない。

 改憲論って、日本の平和と安全が売りのはずなのだけれど、そこの弱さはあると思うのだ。そして、「現行憲法でここまでできる」という立場で議論してくれるなら、護憲派との破壊的な議論ではなく、建設的な議論が可能になるように思える。私だって改憲にも意味があると認めているのだから、改憲派が護憲に何らかの意味を認めることだって、あっていいのではないだろうか。(続)