2018年4月27日

 本日は南北会談一色でしょうね。演出されたものを深く考えずに論評しても間違うというのが、第1回首脳会談以来の教訓ですので、それは後まわしにして、会社のメルマガに書いたものをアップします。

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 5月5日がマルクス生誕200年ということを、どれだけの人が知っているでしょうか。そもそも関心の外でしょうか。弊社は、その日にはマルクスに関する新刊本を書店に並べたいと思って2つの本をつくり、営業の担当者が書店に案内しましたが、受け止めは「へえ、そうなんですか」という程度ものだったそうです。残念!

 調べてみたら、他社からもそれなりに本はでているのです。昨年末のロシア革命100周年の際はほとんど関連本は出版されませんでしたが、さすがにマルクスとなると、レーニンやロシア革命とは違うのでしょう。

 でも、違うのは筆者の側であって、マルクスは引き続き研究と論述の対象にするけれど、読者の関心はそこにはない。だから、話題になるような本がでてきておらず、書店員の反応ももう1つというところなのだと思います。

 以前、弊社よりもっとマルクスに近い大月書店の編集長(当時)と話していて、聞かされたことがあります。「本のタイトルに「マルクス主義」を付けたら絶対に売れないよ。せいぜい「マルクス」まで」と。

 なんとなく分かるような気がします。要するに日本では「主義」というのは嫌われているということでしょう。その「主義」にあわない現実に直面することがあっても、「主義」は変わらないものなので、よく言えば「筋が通っている」ということなのでしょうが、それよりも現実に合わなくても変化しないものの代名詞のように思われているのかもしれません。

 ということで、弊社が出す本のことです。1つは『マルクス「資本論」の方法と大混迷の世界経済』(工藤晃)、もう1つは『ラディカルに自己刷新するマルクス』(岩崎信彦)。明日から書店に並ぶと思われます。

 この2つは、後者の「自己刷新」というタイトルでも明白なように、「主義」とは無縁です。変化を許さないどころか、マルクスを変化するものの代名詞として捉えているところに特徴があります。

 『マルクス「資本論」の方法と大混迷の世界経済』は、リーマン・ショック後の世界経済分析が白眉です。各種の統計資料などを駆使して現実を分析するのは、工藤さんの一貫した姿勢です。日本経済を論じるのに日本経済新聞を読まない経済学者もいますから、この本はそうした姿勢とは対極にあると言えるでしょう。

 『ラディカルに自己刷新するマルクス』は、一言で言えば、社会学者が捉えたマルクスというところでしょうか。マルクスはずっと政治経済学的な捉え方をされてきて、それに違和感をもった著者が、「労働価値説だけでは説明が付かないだろう」「労働者を商品ではなく市民としても捉えるべきだろう」と迫ってきます。

 5月5日には間に合いませんでしたが、今年のうちにさらに2冊を出す予定です。1つはおなじみの『若者よ、マルクスを読もう』(内田樹×石川康宏)の第3弾。もう1つは、まだ詳しく言える段階にありませんが、タイトルをつけるとすると、「200歳のマルクスが語るマルクス主義』でしょうか。お楽しみに。