2018年4月10日

 昨日は月曜日ですから、いつもならブログを書く日でした。ところが「あれ、まだ書いていないぞ」と思ったのが夜、会社を出たところで、戻るだけの気力がなかったのです。

 経過は省きますけれど、実はこの一か月ほど、背中の痛みに襲われていまして、土曜日にそこから回復するための対策をしたのですが、日曜日はそのぶり返しがあったのが、最悪の状態で一日ベッドに伏せっておりました。月曜日に回復して出勤したのですが、やはりまだ普通じゃなかったのですね。ボヤッとしていたのでしょう。

 やはり仕事は65歳までと思いました。65歳を過ぎて現役で頑張る人のことは尊敬しますが、こんな激務を続けることは私には到底できないと自覚しました。

 ということで、本日は新しいことを書く気力はあるのですが、その気力を「3人の幹部自衛官は加憲をどう考えているか」のインタビュー原稿の整理に注ぎ込んだので(先ほど終了)、先週、「全国商工新聞」に「公文書改ざん問題の底流」と題して寄稿したものをアップしますね。お手軽で申し訳ありませんが。
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 これまでも「安倍首相はこれで終わりだ」と言われた事態は多々あった。当時、私にはそこまで思えなかったのだが、今回だけは違う。

 これまでは「忖度」にせよ「隠ぺい」にせよ、法令上問題がなかったとは言わないが、あくまで政治責任の問題だった。しかし今回は、公文書改ざんという誰もが法令違反だと認める行為が存在し(だから検察が乗り出している)、安倍首相もそこから逃れられない。関与していれば当然だが、関与がないことを証明しようとすればするほど、法令に平然と違反する官僚機構の存在が証明され、首相をトップに戴く行政に対する国民の不信は増幅していくのだ。将棋で言えば「詰み」の状態である。 

 日本政治が「官僚主導」から「政治主導」になったことを、今回の事態の底流にあると指摘する人がいる。しかし、官僚と政権との関係で言えば、政治主導は正しい姿である。国民に約束したことを官僚が妨害するなら、政治の力で克服する必要がある。

 今回の事態の問題は、それとは性格が異なる。国民の前では申し開きができないことを行政が行うため、隠ぺいを重ねた上に、隠ぺいの事実を覆い隠すため法令違反に手を染めたという問題だ。行政は法令を適正に実行するために存在するのであって、行政が法令に違反するとなれば、そういう国家は崩壊しているのと同じである。国民が望まないことを国民に隠れてやろうとすることの結末がここにある。それこそが底流であろう。