2018年5月7日

 伊勢崎賢治さんとのバトル「これからの憲法の話をしよう」が、「現代ビジネス」で公開されています。「憲法9条が日本を危険にさらしてる!? 護憲のジレンマを超える方法」が5月3日、「日本がいつまでもアメリカと「対等」になれない本当の理由」が5月4日の公開でした。

 読んでいただければ分かることですが、1点についてだけ若干の解説を。伊勢崎さんが提起している「交戦権」の問題点です。

 私なりに伊勢崎さんの提起を解説すると、日本がいくら憲法で交戦権を否認したところで、自衛権は認めているわけだから、実際問題として交戦することはある。交戦すれば国際人道法上の義務(民間人を殺してはいけないなど)を果たすことは免れないのに、日本はそのための法整備をしていない。本来は人道問題に敏感であるべき護憲派までもが「日本は戦争しないのだからそんな法整備は不要だ」という立場に立っている。そういうことならば、人道問題を重視する日本国憲法を尊重するためにも、9条2項の交戦権否認規定は削除すべきだ、それこそが憲法を大事にする道だ。そんな感じでしょうか。

 人道法上の義務を果たすための法整備をすべきだという点で、私は伊勢崎さんに共鳴します。また、それを護憲派が提起すべきだという点でも、強く共感します。人道問題に無関心な護憲派という現状のままでは、護憲の訴えは人の心に届かないでしょう。

 これは軍法や軍事法廷をどうするかということにも行き着く問題です。「軍法会議」の過去を知る人には受け入れがたい面があるとは思います。しかし、軍法が扱う分野そのものが、戦争をやり放題だった過去とは様変わりし、戦争が禁止される時代に即して、交戦者にどう人道を重視させるかに変化しているわけで、軍法が必要とされる時代になっているのだという自覚が必要でしょう。

 護憲派のメッカであるコスタリカが軍法を整備していることも見逃せません。いくらコスタリカが憲法で常備軍を否定していても、戦争するかどうかはコスタリカ一国の意思では決められません。相手のあることですから。そうならば、戦争することも想定し、人道法を守るための法整備は必要になるのです。

 私が伊勢崎さんと異なるのは、そのために憲法の改正は不要だろうということです。いや、憲法の改正が必要だということになってしまうと、いつまで経っても人道法の整備はできない可能性があるので、憲法規定にかかわらずやるべきだということになるでしょうか。

 幸いなことに、9条2項で否定されているのは交戦の「権利」です。一方、問題になっているのは、交戦に伴う人道法上の「義務」を守ることです。

 国際法上の権利を各国が憲法で否定することはあり得ます。集団的自衛権は国際法上の権利なのに日本国憲法で否定してきたのは、その一環です。しかし、国際法上どの国も守らなければならない義務を、各国が勝手に「わが国には義務はない」と宣言することはできません。しかも、日本国憲法が否定しているのは権利であって義務ではない。

 それならば、伊勢崎さんの提起は現行憲法のもとで実現可能だし、即刻護憲派が提起すべきだというのが、私の立場だということになります。明日から、北朝鮮の核・ミサイル問題について連載します。