2018年5月11日

 6か国協議のオモテの場面では、北朝鮮の非核化の見返りとして議論されていたのは、北朝鮮を攻撃しない保障であり、かつそれを朝鮮戦争の終結と米朝国交正常化にどうつなげるかということであった。しかし、金一族の支配体制維持を保障するかどうかこそが、あまりオモテには出てこなかったが、6か国協議で一貫して通奏低音のようなものであった。

 そもそも2003年に6か国協議がはじまったが、その第1回目の会合でも焦点となる。北朝鮮が非核化されたのちにしか見返りを与えないという当初のアメリカの態度は、早くも北朝鮮の粘り腰で後退し、核放棄の意思が表明されれば安全保障上の考慮をすることをアメリカは表明した。

 さらに、伊豆見元氏によると、この際、「脅威を与える意図はなく、侵略あるいは攻撃する意図もなく、体制変更を求める意図もない」という3つのノーまで表明したとされる(「中央公論」2005年3月号)。まあ、「体制変更を求める意図もない」と言っても、体制を支える資金源を断つ自由はあるということだったのかもしれないが。

 しかし、これらをきっかけに6か国協議は軌道に乗り始める。2004年の第3回会合になると、北朝鮮の新提案に対して、アメリカが初めて「見返り」に言及することになった。

 2005年になると協議の様相は複雑さを増す。アメリカはブッシュ政権が第2期に入るのだが、年頭の一般教書演説において、「我々の最終目標は世界から圧政を消し去ること」だと表明する。パウエルに代わって国務長官に就任したライスは、上院の指名承認公聴会において、北朝鮮を攻撃する意図はないとは表明したが、北朝鮮が最も関心を寄せる体制変更には言及しなかった。

 そういうなかで、さまざまな駆け引きの結果として、9月の会合で初めて共同声明が出され、朝鮮半島の非核化がうたわれるのである。しかし、この共同声明では、アメリカが北朝鮮を攻撃しないことは明確にされたが、体制保障までは明示されなかった。そして、体制保障にとって不可欠な資金源を断つか断たないかで米朝が激しく対立し、協議は頓挫して現在に至っているのである。

 この経緯が示すことは簡単である。アメリカが、北朝鮮の金正恩体制を支えることを明確にすれば、核問題は進展するということである。どんな残虐な支配体制であれ、それは北朝鮮の国内問題であって、体制維持に必要な資金を断つようなことはしなければいいということなのである。

 連載の最初で私が今回はこれまでと比べて可能性が高いと述べたのは、トランプならその程度のことはやると感じるからだ。これまでの歴代大統領と比べて、他国の人権問題への関心ははるかに薄く、それよりも自分が「平和の使者」となるのを選ぶと思うからだ。

 ただ、現実に起きるであろう事態の進行を予想すると、本当にそうなるのかと懐疑する自分がいる。自由と人権をあれほど重視するアメリカ国民が、そしてその代表であるトランプ大統領が、これから本格的に明らかになる北朝鮮の人権問題を見過ごすことができるのかと不安になるからだ。(来週へ続く)