2018年6月29日

 本題に入る前に、もう一度、対談本の話。野党が共闘を深めるに当たって、正式の協議を大切にするのは当然ですが、本のために対談することにも意味があると思うのです。

 もう十数年前、私が共産党の政策委員会で仕事をしていた時のこと。当時は自民党政権で、野党間には政権共闘の議論などみじんもない時代でしたが、それでも政策責任者の協議は野党間でやられていました。民主党は岡田克也さんで、共産党は筆坂秀世さんで、他党代表は忘れたけれど、私もうしろのほうで傍聴したことがあります。

 だけど、まあ民主党が原理主義者と言われる岡田さんだったこともありますけれど、協議は非常に実務的で、心が通い合うようなものではありませんでした。合意事項は確実に守られるんですけどね。

 その頃から思っていたのは、正式協議と平行して、もっとレベルを落とした協議というか、責任度の低い協議も必要ではないかということです。だって、正式協議というのは、党を背負って来ることもあり、決定にしばられるので、融通が利きません。だから、人間同士の信頼関係をつくることを目的にして、徹底的に議論をするけれども、そこでの協議事項のしばりは緩いような場が必要ではないかと。

 それには本のための対談って有効だと思うのです。これが政党の機関紙とか雑誌の対談だと別の気遣いも出てくるかもしれませんが、政党色のない出版社(笑)の本ということだと、気軽じゃないですか。

 そういうこともあって、前回の総選挙のだいぶまえに、民進党の代表だった前原さん(京都2区)と共産党の穀田さん(京都1区)の対談本を提案したんです。ちょうどどこかの街頭演説で二人が並んで立ち、肩をたたき合った場面もみたしね。でも、政策的には乖離が大きいから、そこで一度、突っ込んだ議論をしてみたらどうかと思ったわけです。その結果、政策的な一致が広がらないにしても、1区と2区の「すみ分け」が実現すればいいなという野望を持って。

 だけど、穀田さんの京都の事務所は前向きだったのですが、やはり中央委員会からはだめ出しが来ました。そういう種類のことは中央委員会主導でしかやってはいけないということでした。政党同士の正式協議だけしかないということなんですね。

 でも、枝野さんと志位さんが、まず正式協議するってことになると、破談した時の衝撃が大きいです。だから、まず本のために対談して、探り合いするようなことも、あっていいと思うんです。対談のあとにカラオケに行ったりしてね。

 まあしかし、そうやって意味のある対談が実現し、本になっても、従来からの「赤旗」の一貫した方針があって、広告には載らないわけです。ということで、その広告に載らない本が発売されるのにあわせて、来週、本題に入っていきます。(続)

2018年6月28日

 私に編集者としての力量がもっとあったなら、いまどうしてもつくりたい本がある。それは立憲民主党の枝野さんと日本共産党の志位さんとの対談本である。

 だって読みたくありませんか。野党共闘をめぐっては、それを切望する声も強いし、難しいだろうというあきらめもあるし、野合だという批判もあるけれど、そういう議論のドンピシャの当事者がこのお二人であるにも関わらず、本音で話し合った気配がないわけで、それを本にできれば読者は歓迎すると思うのです。

 お二人に聞きたいことはたくさんありますよね。いくつか列挙してみましょう。

 まず、次の選挙での共闘のあり方です。立憲は「すみ分け」に止めたいと考えており、共産は「政策協定に基づく相互支援」ということです。最近の報道によると、野党共闘が前面に出た(加えて共産が実働部隊の大半を占めた)新潟県知事選挙では敗北したが、立憲、自民、共産の対決となった東京都の中野区議補選で立憲が圧勝したことから、立憲は独自路線に傾斜しているとされます。立憲は国政選挙においても、共産が対立候補を出したとして自民党の候補に勝てると考えているのか、それとも共産には降りてほしいのか、降りてほしいとすると立憲は見返りに何か与えるのか、共産は政策協定がない場合、必ず候補を立てるのか等々かな。

 立憲が「すみ分け」に止めたいと思う最大の理由は、基本政策でのあまりの違いの大きさにあると思われます。なかでも日米安保、自衛隊政策での違いは、それが平和にとって必要だとする立憲と、それが平和への逆行だとする共産の違いですから、真逆だということになります。共産はそこを、自分たちの独自の立場は野党共闘に持ち込まないとして、安保と自衛隊を容認する姿勢を示しているわけですが、立憲が政策協議に応じないのは、共産のその姿勢を信じていないからなのか(政権に入ると引っかき回されるということなのか)、別の理由からなのか。共産は、一方では綱領を重視して学習運動をしているわけですが、安保と自衛隊をなくすという綱領の路線と、それを容認する野党共闘の路線をどう整合させているのか、等々。

 あとは消費税ですね。先日の党首討論で枝野さんは10%への予定通りの引き上げを求める感じがしたけれど、それで次の選挙を闘うのかということ。共産はそこで一致しなければ野党共闘には応じないという態度を貫くのか、等々。それ以外にもいろいろ聞きたいことがあります。

 ところが、です。もし私に力量があって、そんな本がつくれたとしても、その本の広告は「赤旗」に載せてもらえないんです。がっかりですよね。

 先日、「赤旗」編集委員会の確認事項として、他党の議員が著者に加わっている本の広告は載せないということが伝えられました。共闘対象の野党の人が著者であったとしてもです。(続)

2018年6月27日

 先週末の土曜日は仙台。みやぎ弁護士9条の会が開催した「憲法と自衛隊」企画に参加してきた。

 11年前に『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』という本を出した。自民党の国防族であった箕輪登元防衛政務次官、防衛庁の局長や官房長だった小池清彦さんや竹岡勝美さんの本だ。

 それ以降、改憲が現実の問題になってくるなかで、その本で打ち出した路線を広げようと努力してきた。11年経って、これではまだまだだなと思う反面、元空将補の林吉永さん、おなじみの柳澤協二さん、そして私の3人が並んで護憲を訴える場面が来るなんて、想像もしていかなった。国民投票に向けて加速しなければならないと思う。

 当初、私は司会するのが適当かなと思っていた。だって、防衛省と自衛隊の幹部が護憲を訴えるわけだから、私の立ち位置は中途半端かなと感じたからだ。「自衛隊を活かす会」の事務局長を名乗ってはいるが、その自衛隊の装備をさわったことさえないのだからね。

 だけど、主催者から私の話も聞きたいと言われたし、いろいろ考えたのだ。その結果、防衛の最前線を担ってきた人びとが護憲に行き着いたという話と、もともとの護憲派が防衛の最前線にいる人との交流が必要だと考えついて努力してきた話と、その双方がかみ合ったほうが、聴衆にも理解しやすいのではと考えるに至った。そこでそういう種類のお話をしてきた。

 中身はそのうち、動画付きでどこかで見られるようになるでしょう。軍事力を忌諱する気持ちと、自衛隊を大切にしたいと思う気持ちと、その矛盾を克服できるようになると、国民投票はコワくないと思うんだけどね。

 これからの道のりは大変だなあと思っていたら、ひょんなことから、来月初め、防衛省では柳澤さんより高い位置にあった人とお会いし、出版のご相談をすることになった。こんなこともあるんだね。これも乞うご期待だな。

 今週の土曜日、京都の農村で講演する。3000万人署名をやっていると、「自衛隊は大切だから憲法に明記するなという署名はできない」という声が強く、ひるんでしまうそうだ。そういう話なら私がいいだろうということで呼んでくださったわけ。

 農作業の合間に話してくれということだったので軽い気持ちで引きうけたのだが、昨日、参加者はどの程度とお聞きしたら、「50人」ですって。緊張するなあ。

 画像は仙台の企画を報じた「赤旗」東北版。私の名前まで載っていますけど、地方版だから点検が緩かったのかな?

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2018年6月26日

 先週末、金曜日の夜は「自衛隊を活かす会」の抑止力連続講座、土曜日は仙台で宮城県弁護士九条の会の「自衛隊と憲法」座談会ということで、忙しかったです。そのため月曜日はお休みをいただき、ブログも書きませんでした。この年になると無理できませんからね。

 さて、抑止力連続講座は、防衛研究所戦史研究センター長の石津朋之さんのお話を聞きました。興味深いお話がいろんなテーマで聞けて、勉強になりました。

 個人的に関心を持ったのは、歴史学の分野では、チェンバレンの宥和政策(appeasement policy)の再評価が進んでいるということです。ヒトラーの膨張政策に対して、イギリスのチェンバレン首相が断固として立ち向かうのではなく、宥和政策をとったということで、その後のヒトラーの侵略を許してしまったという、あの宥和政策のことです。1938年のミュンヘン会談で、ドイツがチェコスロバキアのズデーテン地方の併合を求めたのをイギリスが認めたことで、その後、どんどん侵略が拡大していったとされることです。

 石津さんによると、「宥和」と訳されてはいるけれど、国際政治の世界では、もともとの意味である「なだめること」というところから離れて、「弱腰外交」「土下座外交」というふうになっているとか。まあ、そうでしょうね。

 ところがです。現在、歴史学の世界では、それが評価されているそうなんです。当時、イギリスはまだドイツに対抗できるほどの軍備はもっておらず、強硬政策をとったとしてドイツが軍事的にイギリスに歯向かってきたら困った事態になった。宥和政策をとったことで、なんとかドイツと戦えるだけのものを手に入れる時間的な余裕を確保したということらしいです。

 現実をリアルに見つめると、そういうことはあり得るでしょうね。だけど、一度定着した政治的評価というのは、歴史学が発展してもなかなか見直しされることが難しい。

 現在の政治の評価というのも、あれだけ安倍さんへの批判が高まっても、なかなか支持率が下がらないのは、民主党政権時代の評価が定まったみたいになっているからでしょう。鳩山さんなんかは、左からも右からも毛嫌いされていて、その評価は動かしようがない感じです。

 野党がこれから少しでも政権政党としてみなされていくには、民主党政権の総括に真剣に取り組むことから開始しないとダメかもしれません。その上で、「ここはすごかった」と国民が納得できるものを提示しないと、いつまでも現在のような状況が続く可能性があると思います。どうしたらそれができるかですよね。

 今週に連載開始と予告していましたが、来週に延ばします。政治的なものではまったくなく、あくまで商売上の損得を考えた結果です。

2018年6月22日

 さて、一日空いてしまった。コロンビアとかなり事情は異なるが、国民を何十万人も虐殺し、抑圧してきた金一族が、今後どうなるのかという問題である。

 まず断っておくが、私はそういう北朝鮮に対してアメリカが「安全の保証」をしたことを問題視しているわけではない。コロンビアでFARCに対してある程度の免責がされたように、非核化を約束している金一族の安全が保証されなければ、その約束の具体化や履行もままなくなる。

 また、北朝鮮の人権問題(拉致問題も含め)を解決するという視点に立っても、そういうやり方しか残っていないように思える。矛盾に満ちたやり方ではあるが、金一族の安全を保証しつつ、北朝鮮がいまのような全体主義国家からゆるやかに開発独裁体制に移行できるよう支援することが、ゆくゆくは人権問題の解決につながっていくと考えている。

 だから、人権問題が解決しない限り、北朝鮮に対してどんな支援もしてはいけないという態度は取らない。逆に、日本の得意分野であるが、北朝鮮のインフラの整備などに直結するような支援を大いにしていくべきである。おカネを北朝鮮に渡して使い道も北朝鮮が決めるというやり方では、そのおカネが軍隊にまわったりする危険性があるので、道路や港湾や発電所その他、日本が乗り込んでいってつくっていくという、戦後に東南アジア開発で試されたやり方を推進していくべきである。

 そうやって日本の資本と日本人が北朝鮮で目立つようになっていけば、北朝鮮の実態をいまのように隠すことは難しくなっていく。いろいろ規制や制限があるとインフラ整備できないぞとおどしたりする駆け引きも必要になるだろう。

 でもこうやって、少しずつ北朝鮮の国民の自由度が増していけば、どこかで国民と金一族の支配体制の間の矛盾が爆発するような局面が訪れる。その時のことをよく考えておかねばならないということだ。

 ハードランディングするような場合でも、それが国民主導で進むなら、非核化の進展に障害はないだろう。しかし、金一族主導で進むなら、「こんなことになるなら元のやり方に戻すぞ」ということになりかねない。だから、金一族の支配体制をどう考えるかということは、北朝鮮の国内問題であるように見えて、すぐれて日本と周辺諸国の問題でもあるのだ。

 その点で日本は、あれだけ日本国民を弾圧し、アジア諸国民を殺戮した戦前の体制をソフトランディングで残すことに成功した。金一族を永遠に残すようなことは無理だし、やってはいけないことだろうが、一台限りの「象徴」ならあり得るかもしれない。流血なしに収めるためにはね。

 ま、そんな程度のことは、北朝鮮に責任をもって関わっている人は、とうに考え尽くしているんだろう。よろしくお願いします。

 来週は、「野党共闘と対極にある「赤旗」」という連載を開始します。乞うご期待。