2018年7月19日

 自衛隊に対する護憲派、平和運動の側の本質規定として、この見方がある。私とて、これを否定するつもりはない。

 そもそも自衛隊の前身である警察予備隊が出来る過程がそうだ。アメリカの命令でつくられ、米軍の装備を供与され、米軍に訓練されて創設された。

 現在もその本質は変わらない。とりわけ海上自衛隊は情報通信網が米海軍と一体化して運用され、しかも大事な部分は日本側には知らされていないため、アメリカとともに行動する際、自主的な判断とは言い切れない部分が残るわけである(同盟国だから信頼するという構造)。ミサイル防衛網にしても、日本に落ちてくるミサイルと、アメリカに向かうミサイルへの対処が一体となっているため、純粋に日本防衛のためのものとはいえない。

 いや、そういう軍隊の運用は、全体から見れば些末なことである。もっと根本的な日本防衛の戦略というものが、アメリカの核抑止力に依存していて、独自の戦略というものを持てない。専守防衛というが、アメリカの核抑止力依存のもとでは、まやかしに過ぎない。

 ではしかし、対米従属の軍隊だからといって、どうするのか。本質は変わらないから廃止するしかないというのか。

 じゃあ、誰が廃止するのか。安倍政権にさせるのか、石破さんに期待するのか、安保も自衛隊も当然のこととして認める枝野さんにお願いするのか。

 「対米従属の軍隊だから廃止する」という公約をかかげて国民多数の支持を得て政権をとれば廃止することも可能だろう。しかし、そんな公約をかかげた政党はこれまで皆無だし、それで国民の支持が得られるとは思わない。

 そういう考え方は夢物語に過ぎない。結局、自衛隊を改革するという公約を掲げ、自分で政権をとって改革するしかないのだ。

 しかも、対米従属の軍隊という本質規定が、自衛隊のすべてに浸透しているわけではないことも知る必要がある。少し自衛隊の幹部に話を聞けば分かることだ。

 すでに書いたかもしれないけれど、兵庫県の弁護士九条の会に招かれた元陸将の渡邊隆さんが言っていた。陸上自衛隊は米軍にノーを言ってきた自負があると。

 最初に米陸軍との共同演習が北海道で行われた時のことだ(図上演習)。対米従属の軍隊という本質規定だけで物を見ていると、どんな共同演習も外国で侵略を手助けするように見えるだろう。島嶼奪回の訓練も侵略のための上陸演習に見えるのと同じように。

 しかし、当時、陸上自衛隊は米陸軍にノーと言い続けた。アメリカの軍隊は外制軍だから、戦場に自国民がいることを想定していないので、自衛隊と共同演習していても北海道民が住んでいる場所を戦車で通ってソ連軍と対峙しようとする。しかし陸上自衛隊は、「そこは道民が住んでいるのだからノーだ」というわけである。ここを理解してもらうのに数年かかったそうだ。

 それでも自衛隊がアメリカに従属して侵略の訓練をしているという認識が変わらないなら、まあ、それでもいいよ。しかしそれなら、侵略されたら自衛隊を活用するなんて無理で、それは間違った考え方だと堂々と言うべきであろう。