2015年2月20日

 引き続き忙しいので、新たなものは書きません。昨日、「T君への手紙」をアップしましたが、それについて質問があり、翌月号に書いた回答を紹介します。書き忘れましたが、「学習の友」という雑誌です。

(問) 一〇月号の『T君への手紙』で、戦後すぐの五〇年代に戦犯釈放運動がひろがったと紹介されていました。それはどんなものであり、どう考えたらよいのでしょうか。

(答) 戦犯釈放運動は、当時、大きなひろがりがありました。日本の独立が決められたサンフランシスコ条約締結直後の五一年末から開始され、もっとも高揚した五三年末、東京・両国の旧国技館で開催された集会では、「演壇上には一万三〇〇〇名が参加し、三〇〇〇万人分の釈放要求署名が積みあげられた」(吉田裕『日本人の戦争観』岩波現代文庫)といわれています。当時の総人口は九〇〇〇万人でしたから、最初の二年間で国民の三分の一が署名したことになります。

 しかも、この運動は、特定の右翼的な人びとだけが参加していたわけではありません。「さまざまな宗教団体や日本赤十字社、日本弁護士連合会、青年団体などによって戦犯釈放運動がおこなわれた」(林博史『BC級戦犯裁判』岩波新書)とされています。

 よく知られているように、東京裁判では、最大の戦争責任者である天皇は裁かれませんでした。また、BC級戦犯(捕虜の虐待等、戦争法規に違反したとして裁かれた人びと)のなかには、不十分な裁判手続きによって裁かれた人びともいます。したがって、国民のなかに、なぜこれらの人びとが裁かれなければならないのかと疑念をもった人びともいたことが、この運動をひろげる結果につながりました。

 戦犯は、東京裁判(正式には極東軍事裁判)や各国が独自におこなった裁判で犯罪者だと認定されたものです。その判決は、サンフランシスコ条約により日本も受諾し、条約を締結した各国の了解なしに、戦犯を釈放することはできないとされていました。

 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない」(条約第十一条)

 したがって当時の支配層は、戦犯釈放運動を背景に、国会において、数年にわたり、戦犯の釈放、赦免を求める決議を次々と採択します。最初の決議は、五二年四月一四日、衆議院法務委員会によるものでした。さらに政府は、国民運動と国会決議を受けたかたちで、各国に対して、戦犯を釈放するよう働きかけます。アメリカに対しては、戦犯の釈放がなければアメリカが求める軍備増強はできないとして、強く釈放を求めたそうです。その結果、五六年までに、すべての戦犯が釈放されることになりました(国会による最後の釈放要求決議は五五年七月一九日)。

 一方、戦犯釈放の国会決議に反対した日本共産党をはじめ、国民のなかには、日本の侵略責任を追及する動きがありました。たとえば、五二年六月一二日の衆議院本会議で、高田富之議員は、「過去においてわが国がアジア諸国人民に対して犯した重大な犯罪に対する真剣な反省を鈍らせ」るものだとして、決議に反対しています。しかし、戦犯釈放運動が高揚するなかで、こうした主張は当時、大きな流れにはなりませんでした。

 それから二〇数年が経過した一九八二年、NHKがおこなった世論調査の結果、明治以来の日本の対外膨張を「侵略の歴史だ」と答えた人が約五二%に達しました。これは、五〇年代の国民意識からすれば、大きな変化でした。

 この変化が生まれたのは、六〇年代から七〇年代にかけて、多くの自覚的な人びとが世論に働きかけを強めたからです。

 たとえば「家永教科書裁判」です。六〇年代初め、家永三郎氏は、日本の戦争責任をきびしく指摘した歴史教科書を執筆しましたが、文部省は検定でこれを不合格にしました。そこで家永氏は、検定が憲法違反であることを裁判に訴えます。裁判は、自覚的に立ち上がった人びとの支持を得ながら二十数年にわたって続き、その過程で、少なくない国民は、日本による戦争の実態、責任を知ることになりました。

 これらの結果、国民の認識が変化したため、八〇年代になると、自民党政府の閣僚が侵略美化発言をすると、マスコミも問題にするようになりました。八二年、歴史教科書が侵略の過去を曖昧にしていることが国際的に問題になったとき、政府は、みずからの責任で教科書の記述を是正すると表明せざるを得ませんでした。

 強固に思われる国民の意識も、正義と道理を貫けば変えていけることを、この事実は示しています。了

2015年2月19日

 ちょっと仕事の必要があって、厚生労働省が責任をもって編集している『労働基準法』に書かれているもので、「資本主義社会の法的秩序の根幹をなすものは、私有財産性と契約自由の原則である」という文章を引用することが求められた。それって、自分でかつてどこかで引用したよなと思って調べたら、8年前に書いた論文が出てきた。本日は忙しいので、それを紹介するだけです。

青年は社会の主人公になれる、その自覚をもったときに(T君への手紙)

 T君。暑い夏が終わり、秋の気配がただよってきましたが、お変わりありませんか。
 あなたが言っていたように、小泉さん、やはり八月一五日に靖国神社へ参拝しましたね。後継首相も直系の人のようだし、「がんばっても日本の政治は変わらない」と、あきらめ顔でうつむくあなたの姿が目に浮かぶようです。でも、あなたには強がりに聞こえるかもしれませんが、私は、こんなに首相の参拝が大問題になるなんて、時代も変わったんだなという感想をもったのですよ。
 だって、第二次大戦後しばらくのあいだ、歴代首相はほぼ毎年のように靖国に参拝していましたが、マスコミでそのことが問題になることなどなかったのです。それどころか、戦犯の釈放とか赦免(罪を許すこと)を求める国民的な運動があって、四〇〇〇万もの人びとによる請願署名が国会に提出されたのが、五〇年代の日本でした。
 最初に首相参拝が政治的な問題となったのは、ようやく一九七五年です。戦後三〇年もたっていたのですね。

 そのきっかけとなったのは、六五年、ある市議会議員が抱いた疑問です。建物をつくるとき、神主さんを呼んでお祓(はら)いをやることがあるでしょ。地鎮祭(じちんさい)というのですが、見たことはありませんか。その市議さんは、市が体育館をつくるのに地鎮祭をやるのは、憲法の政教分離の原則に反すると考えたのです。
 そこで裁判でたたかおうと決意した。ところが、弁護士さんに相談したけれど、「そんなこと考えたことがない」「勝ち目がない」と誰も助けてくれません。だから、自分一人で準備書面をつくり、誰も支援者がこない法廷でみずから八回の口頭弁論をおこなうという、孤独なたたかいをやったのです。結果は敗訴。憲法違反ではないという判決でした。
 でも市議さんはくじけません。六七年に控訴します。そのころになると、この裁判が注目されてくるんですよ。強力な弁護団も結成されます。なぜかというと、自民党が靖国神社を国営化する法案をつくり、政教分離という憲法原則が国政上の問題になっていたからです。それで、同じことが問われている裁判の行方が、がぜん焦点となるのです。
 高裁の結論は憲法違反だというものでした(七一年)。この結果、靖国法案は葬り去られます。それなら首相の参拝も憲法違反だろう、いや私的なものだったら構わないという争いがあるなかで強行され、大きな問題になったのが、七五年だったのですね。

 当時は、いま紹介したように、憲法の政教分離のことしか話題になりませんでした。その後、A級戦犯が祭られ、戦争を正当化する展示を満載した遊就館がつくられます。いまでは首相の参拝は、過去の侵略を美化するような日本でいいのか、アジアの国々とどう向き合うのかという、日本の国づくりの根本にかかわる問題として論じられています。
 これは、戦犯釈放運動が高揚していた五〇年代と異なり、国民の多数が侵略の過去を正当化しないという立場をつよめてきた、その変化の反映です。だから私は、歴史は動いているのだな、動かしているのは一人ひとりのたたかいなのだなと、つよく感じた次第です。
 「えっ、昔の人はすごいなだって?」。いやいや、私は、いまの若者も捨てたもんじゃないなと思いますよ。そう感じたのは、去年の一一月、『エコノミスト』という雑誌を読んだときでした。
 「たった二〇〇人のフリーター組合がグローバル企業・デルを追い込んだ」。これが記事の見出しでした。フリーターって、あなたと同じ若い人のことだから、興味をもって読んだのです。アメリカのコンピューター・メーカーであるデルの日本法人が出した求人広告を見て、本社で面接を受けて採用された青年の話でした。
 採用後二年近くたち、青年は、残業代の不払いについて、デルに問い合わせをします。そのやりとりのなかで、じつはデルに採用されたのでなく、別の会社の派遣社員だったことがわかりました。デルは、残業代の支払いを拒否するとともに、派遣も終了するとして、事実上の解雇通告をおこなったのです。
 青年は黙っていなかった。首都圏青年ユニオンに加盟し、仲間の支援を受けて団体交渉し、雇用は継続することになります。青年はデルを刑事告発もしました。その結果、デルと採用担当社員は罰金を払うことにもなりました。

 ねっ、いまの若者もすごいでしょ。しかも、がんばっている若者は、日本各地にいるのですよ。
 たとえば、徳島に光洋シーリングテクノという、トヨタの孫会社があるのですが、実際には派遣労働でありながら、長期間雇用すると直接雇用の義務が生じるので、それを回避しようとして請負で働いているように偽装してきました。二年前、ここで働く青年達が労働組合をつくり、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)に参加してがんばってきたんです。そしてとうとう、五九人が直接の正規雇用となったんですよ。
 私がさらにすごいなと思うのは、こういう若者たちのたたかいが、違法な雇用を許さないという一つの流れをつくっていることです。今年の七月から八月にかけて、「朝日新聞」紙上で、松下やキャノン、日立などの一流製造業の工場でも、「偽装請負」が横行していると報道されました。
 いま、各地の労働局が、これらの摘発に乗りだしているそうです。その結果、キャノンや松下では、派遣社員を正社員として雇用する動きも生まれています。違法を見過ごさないぞと若者ががんばっているから、おじさんやおばさんも助かるんですね。

 もちろん私は、これで雇用をめぐる深刻な問題が解決に向かっているのだとか、政治はよくなりそうだとか、気休めを言うつもりはありません。壁はたいへん分厚い。なぜかというと、雇用をめぐる問題は、日本社会の成り立ちにかかわるからです。
 厚生労働省が編集している『労働基準法』という本があります。政府の考えがよく出ています。何回も版を重ねていますが、どの版を見ても、冒頭にあるのは次の文章です。
 「資本主義社会の法的秩序の根幹をなすものは、私有財産性と契約自由の原則である」。
 難しい文章ですけど、資本主義社会においては、労働者と使用者の労働関係は「契約自由」が原則なのだということです。雇用契約を法律で規制したり、行政が介入するのは、労使の自由を奪うことであり、資本主義の原理に反するというわけです。
 実際、日本が資本主義に突入した明治時代になって、契約関係を律する民法がつくられましたが、労働契約は自由という原理にたったものでした。つまり、合意すれば契約にいたるけれども、どちらか一方が契約したくないと考えれば、契約を解除するのも自由だということです。したがって戦前、使用者が労働者を解雇するのは自由でした。
 戦後、新しい憲法がつくられました。とはいっても、資本主義はつづきます。ですから民法の規定はそのまま残りました。解雇は自由です。

 でも、それではおかしいと感じる人はいたんですね。だって新しい憲法では生存権がうたわれています。勝手に解雇されたら生存権が脅かされる。憲法に違反するじゃないかと考えたんです。
 そういう人びとが、会社に対して、仲間の支援を受けながら、解雇の無効を訴えるようになります。そのなかのある人びとは裁判にも訴えます。
 最初は敗北の連続です。「解雇は契約当事者の自由に行使できる権利である」という判決がつづきます。だって、民法に「契約は自由」と書かれているのですから、労働者にはなかなか勝ち目がない。
 それでも人びとはあきらめませんでした。たたかいをつづけました。六〇年代になって、ようやく地裁や高裁で勝利する事例も生まれます。契約自由という原理は日本国憲法の原理と矛盾するという理解が、少しずつひろがってきたのです。
 そして七五年、最高裁において、合理的な理由のない解雇は無効だという判決が下されます。あなたには以前お話ししたことがあると思いますが、こういう判決が積み重なって、整理解雇四要件(企業の維持ができないほどの必要性がある、解雇を回避する努力がつくされている、対象の選定が合理的である、当人と労働組合の納得を得る努力がつくされている)という判例が確立していくのです。

 こういう変化は、資本主義の原理に固執する人びとにとっては、あまり面白くないでしょう。日本の財界は、整理解雇四要件をくずそうと画策してきました。しかし、今のところ、裁判所が考えを変える兆候はありません。それどころか、三年前に労働基準法が改正され、合理的な理由のない解雇は無効だと明記されました。
 財界にとっては、いったん正規雇用してしまうと、なかなか解雇しづらくなりました。財界は、それだったらなるべく非正規雇用にとどめよう、できれば法の網をかいくぐり、いつでも解雇できるような雇用形態にしておこうとしているのです。先ほどのデルとか、キャノンや松下の話は、こういう状況で生まれているわけです。むきだしの資本主義とでもいうのでしょうか。
 私たちのたたかいは、このような資本主義社会の基本原理に挑戦し、憲法にもとづく原理で修正しようというものです。「人情味のある資本主義を!」とでも名付ければわかりやすいでしょうか。いずれにせよ、資本主義の原理にメスを入れるものですから、簡単に実現するわけがありません。
 でも、いま紹介してきたように、戦後のたたかいのなかで、憲法を高くかかげることによって、基本原理を少しずつ揺るがしてきたのも事実です。あなたと同じフリーターの青年も、そのたたかいに参加しているのです。

 よく「国民が社会の主人公」だといわれます。確かにそうです。でも、国民が主人公であるのは、一人ひとりが主人公であるという自覚をもち、社会のなかで生きていくときなのです。あなたにも労働組合に入ってほしい。
 いつものように説教くさくなってしまいました。こんどお会いするときは、理屈ぬきで語り明かしましょう、居酒屋で。

2015年2月18日

 本日の読売新聞1面は、ゴールデンウィーク明けに出てくる安保法制について、3つの法律からなることを報道しています。現行の周辺事態法とPKO協力法の改正でふたつ、それにくわえていわゆる恒久法という新法。その恒久法によって、多国籍軍の後方支援や人道復興支援などについて、任務を拡大するわけです。

 これを見て、どう思いますか? 私はびっくりしました。無責任もここに極まれり、という印象です。

 何かというと、集団的自衛権ってどうなったの、ということです。他国への武力攻撃が日本の存立を脅かすので集団的自衛権を発動するのだという問題です。

 周辺事態法は、周辺において日本の平和と安全に重大な影響を及ぼす事態で活動する米軍を後方支援するという問題です。改正するといっても、米軍以外も後方支援の対象に加えるということで、武力行使するというわけではありません。

 同じくPKO法も、駆けつけ警護とかできるようにしたり、任務遂行のための武器使用ができるようにしたりします。だけどこれは、国連の活動であって、集団的自衛権とは関係ありません。

 では、その新恒久法で集団的自衛権を発動できるようにするんでしょうか。いま議論になっているのでは、ペルシャ湾に敷設された機雷を破壊するというようなものですよね。

 ところが、この読売の報道を見る限り、そんな法律にはなっていません。読売報道によると、ふたつの柱だということです。

 ひとつは、周辺事態にはあたらないが、国際貢献として行う海外での後方支援です。アフガンの対テロ戦争でやったインド洋上の給油などを想定して、どんなものでもやれるようにするわけです。

 もうひとつは、PKOとは異なる有志連合などによる人道復興支援です。これは、イラクのサマワで行った復興支援などを想定しているそうです。

 いや、これらはいずれも大きな問題ですよ。それぞれ反対していかねばならないと思います。

 でも、この報道が本当なら、「存立事態」が入り込む余地がないんです。日本が武力行使の前面に出るという事態がない。

 もちろん、この報道は議論過程のものですから、これから変わっていくのだとは思います。だけど、憲法解釈を閣議で変えてまでやろうとした問題が、法案の準備過程でまともな検討の対象になっていないなんて、あの閣議決定は何だったの?と言いたくなりませんか。

 おそらくですが、アメリカとのガイドライン改定の協議が進むにつれて、アメリカが実際に日本に対して望む事項が具体化してきた。そのなかには、個別にはいろいろあるでしょうが、「存立事態」などという概念を創出して、日本に武力行使を求めるというような事項は、真剣なものとしては存在しないんだろうと思います。

 実際に求められもしないのに、安倍さんが、何十年も続いた憲法解釈を変えた首相として名を残したいがため、閣議決定を強行したんでしょう。それでも、決定したことですから、何からのかたちで法案には盛り込んでくるでしょうけれどね。こういう無責任さは不愉快です。

2015年2月17日

 はい、行ってきます。憲法九条について何かしゃべれということなので。「自衛隊を活かす会」について話してもいいということでした。ナマではありません。放送日が決まったら、お知らせしますね。

 「自衛隊を活かす会」は、自衛隊を否定するのでもなく、かといって集団的自衛権や国防軍に走るのでもなく、現行憲法のもとで生まれた自衛隊の可能性を探り、活かすための提言づくりのために発足しました。そのためこれまで、自衛官や研究者のご協力を得て、5回のシンポをやってきましたが、こういう種類のシンポはこれで終わりです。

 あとは、ひとつは、その「提言」づくりに邁進します。5月か6月には講談社現代新書から出る予定。もうひとつは、時々の安全保障問題で発言していきます。5月に国会で、6月に関西で、ゴールデンウィーク明けに出てくる安全保障法制を分析するイベントをやります。

 これまで5回やってきて、その成果が着実に出てきたと思います。憲法九条の枠内での防衛政策をつくるわけですから、それを政党、政治家、政治勢力の方々に賛成してもらわなければなりません。だから、チラシはネットで公開するのが基本ですが、紙に印刷したものは国会議員にだけは配り続けてきました。各党の政策審議会には案内状を出してきました。

 その結果、5回目では、はじめて自民党の松本純政調会副会長からメッセージが寄せられました。秘書のかたが参加するのはこれまでもあったんですけどね。

 それに、維新の党の柿沢未途政調会長が参加され、その成果をツイッターで発信しておられます。江川紹子さんがそれをこのようにまとめてくれました。

 安保法制の分析は関西企画だけを予定していたのですが、急遽、5月に議員会館でやることになったのも、参加した国会議員のかたの要望があったからです。政治の現場で求められているんですね。

 では、行ってきます。

2015年2月16日

 「残業代ゼロ」の考え方の土台になっているのは、いわゆる裁量労働制です。もう22年前、これをホワイトカラー全般に適用することが議論されていたとき、「労働運動」という雑誌に以下の雑文を書きました(1993年7月号)。安倍さん、財界の22年来の悲願を実現しようとしているわけですね。

「何をもたらす裁量労働制の導入 」

 今国会で審議された労働基準法改正案は、多くの重大な問題をふくんでいたが、その一つが裁量労働みなし時間制の拡大の問題であった。「みなし時間制」というのは、労使協定で一日の労働時間を何時間と決めれば、実際の労働時間がどうあれ、協定で決められたものを労働時間とみなす制度である。
 現行法ではこれは二つの分野で認められている。一つは事業場外労働、つまり外勤の営業職をはじめ仕事の一部または全部を外でおこなうため、労働時間の算定が困難な労働である。もう一つが裁量労働であり、法律を引用すれば「業務の性質上その遂行の方法を大幅に当該業務に従事する労働者の裁量にゆだねる必要があるため当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難な」労働ということになる。

一、ホワイトカラーヘの拡大の危険

 裁量労働制の内容上の問題に入るまえに、これが人ごとではないことに注意を促しておきたい。これまでは、裁量労働制は「研究開発の業務その他の業務」でのみ認められていた。研究開発に類似する業務に限るというのが政府の解釈であった。これをうけた労働省の通達は、裁量労働制を適用してよい業種として、1,新商品又は新技術の研究開発等の業務、2,情報処理システムの分析又は設計の業務、3,記事の取材又は編集の業務、4,デザイナーの業務、5,プロデューサー又はディレクターの業務、の5つを例示していた。
 今回の労基法改正によって、「研究開発の業務その他の業務」という限定が削除された。これは労働省の労働基準法研究会が、昨年9月に労働大臣に提出した報告のなかで、「ホワイトカラーについては、裁量労働制による対応が考えられる」と提起したことを受けたものである。今後、裁量労働制が認められる業種は、公益、使用者、労働者の三者で構成される中央労働基準審議会の諮問をへたうえで、労働省の命令で定められることになる。このなかで、対象業種が無制限にひろがる危険性は、つねにつきまとっている。
 第一に、三者構成の審議会の諮問といっても、中小企業の労働者の週44時間制への今年4月からの移行という以前の決定を、自民党の横やりによって公益、使用者のみの出席でくつがえした最近の例にみられるように、労働者の利益を守る保障とはならない。
 第二に、立法過程で明示されたホワイトカラーへの適用という考えは、今後の命令を定めるなかでも、一つの基準とされる。労働省はホワイトカラーの正確な定義はないという。しかし、労働省所管の特殊法人である日本労働研究機構は、ホワイトカラーとは「(総務庁の)日本標準職業分類でいう『専門的・技術的職業従事者』『管理的職業従事者』『事務従事者』『販売従事者』の4つの職種」と言い切っている(『仕事の裁量性に関する調査研究』)。この4つの職種は、今年9月に公表予定の90年国勢調査によれば、3081万9900人、就業人口総数の49・9%にもなることが予想されている(標本の20%抽出による推計)。労働者の半数にかかわる開題となりかねないのである。
 第三に、宮沢内閣の「生活大国5ヵ年計画」は、「裁量労働制の普及につとめる」ことを目標にしている。この方針のもとで、研究開発に類似する業務に限定したこれまでの労基法のもとでも、オリンパス光学工業は「(研究職より)事務部門の方が裁量の幅が大きい」(「毎日」4月11日)として、研究開発とはほどとおい事務部門にまで裁量労働制を適用している。この問題を追及した日本共産党の金子満広衆議院議員にたいし、政府は事務部門への適用が法律違反であるとは認めなかった。業務の限定をはずした新しい法律のもとでどうなるかは、推して知るべしであろう。
 こうして裁量労働制がひろがる危険があるだけに、この制度の本質を見抜き、無制限な拡大を許さないたたかいをつよめる必要がある。

二、ノルマ達成へ競争と分断を生む制度

 裁量労働制というと、労働時間にだけかかわる制度ととらえられがちだが、けっしてそうではない。裁量労働制の拡大を提案した労働基準法研究会の保原喜志夫氏も、「単なる時短の次元を超え、労働保護制度の根幹に触れる性質のもの」「広く仕事の仕方、企業運営の基本的な仕組みにさえ関わるもの」(「労働基準法改正の動向と論点」『労働法学研究会報』第1900号所収)とのべている。どの点が根幹にかかわるのであろうか。

<ノルマの達成を最大の基準とする制度へ>
 労務行政研究所は、2年まえに裁量労働制を導入した6つの企業の調査をおこない、その結果を公表した(『労政時報』第3037号)。それによると、各企業に共遁す裁量労働制導入の重要なねらいの一つが、「『仕事量(労働時間)=賃金』から『仕事の質(成果)=賃金』への意識改革を図る」ことであるとされている。
 つまり働いたのが何時間かでなく、ノルマにもとづき、どれだけの成果をあげたかを基準にして賃金を払う方向への転換として、位置づけているのである。裁量労働制のもとでは、労働者の実労働時問は意味を失うわけであるから、そういう側面がおのずからつよまるのは避けられない。裁量労働制と年俸制の導入がワンセットですすむ企業が多いのも、そのためである。
 このことは、いま日本のホワイトカラーにおそいかかっている大「合理化」攻撃 と、不可分にむすびついている。日経連は、昨年5月に発表した「労働力・雇用問題研究プロジェクト最終報告」において、「ホワイトカラーの生産性向上は、今後いっそう、企業の重要なテーマとなってこよう」とのべていた。
 日経連常務理事の成瀬健生氏は、「会杜全体として業績を維持しながらホワイトカラーの人数を減らすことができれば、これは明らかにホワイトカラーの生産性向上と判断できる」として、「ホワイトカラーについては常に人員削減の努力をすべきだ」 と主張している(「ホワイトカラーの生産性向上が鍵」『労働法学研究会報』第1900 号所収)。
 裁量労働制は、こうしたホワイトカラーの「合理化」にとって、きわめて都合のよい制度である。なぜなら、ノルマの達成が賃金支払いの基準になれぱ、ノルマの達成できない労働者は、達成するまで何時間でも残業するか(これも生産性向上につながる)、能力のないものとして切り捨てられるかの選択を、迫られるからである。
 労使協定でみなされた時間内に仕事が終われる労働者にとっても、この制度は過酷な結果をもたらしかねない。労働時間について上司から直接の命令をうけない場合も、今月にあるノルマが達成できれば、来月はそれを超えるノルマが課されるからである。労働基準法研究会の渡辺章氏も、「成果目標にだけ課されて、尻を叩かれるようになると、際限のない労働になる。次期の成果は今期の成果にプラス・アルファされた目標になる。予想された成果を上げるために、日に夜を継いで達成に努める」(「40時間労働法制への検討課題」『ジュリスト』第1009号所収)ことになると認め ている。
 こうして労働者は分断され、ノルマの達成をめざす競争が激化する。マルクスは、成果にもとづき支払われる出来高賃金について「一方では、労働者たちの個性、したがって自由感、自立性、および自制を発展させる傾向」があるとして、裁量性につながるような規定をおこないつつ、「他方では、彼ら相互の競争を発展させることになる」とのべたことがある(『資本論』第1巻九五〇頁・新日本新書版)。裁量労働制も、本質的には同様の問題をかかえるものである。

<実証されている長時間労働と過労死の強要>
 裁量労働制のこのような問題が、労働者に過労死をふくむ過酷な状態をもたらすことは、すでに実証されている。
 国立公衆衛生院の上畑鉄之丞氏は、過労死したもののうち労働や身体状況が分かっている203人の調査をおこなった(『総合臨床』第40巻第6号)。このうちホワイトカラーは107人であるが、その内訳はきわめて衝撃的である。一番多いのは、事業場外の「みなし時間制」が適用され、ノルマの達成が基準となっている営業販売職(39人) であった。裁量労働の「みなし時間制」が適用される記者・編集者(15人)も多く、合計で5割をこえる。技術職(28人)のいくつかも、裁量労働制とかかわると推測される。
 このような結果が生まれるのは、「みなし時間制」では長時間労働が恒常化する傾向があるからである。営業職にかんする東京都立労働研究所の調査(『営業職の労働時間管理』)によると、通常の場合と同様に残業すれば残業手当が出る労働者の場合、月平均残業時問は33・5時間となっている。これにたいし「みなし時間制」をとっている場合、つまり残業時間におうじて手当を払うのでなく、残業時間の長短にかかわらず一律に「営業手当」などで処理する場合、月平均の残業時間は51・1時間 から68・5時間の範囲となっている。上畑氏の先の調査によると、過労死したホワイトカラーの7割以上は、月50時間以上の残業をふくむ長時間労働を強いられており、「みなし時間制」をとる営業職の残業時間の数字と一致することは象徴的である。
 「みなし時間制」の場合に長時間労働が固定化するのは、すでにのべたように、ある月にノルマを達成すれぱ、その次はもっと大きなノルマが課され、そのことがくりかえされるからであると推測される。このノルマの増大は、いまの日本のホワイトカ ラーをとりまく重大問題の一つとなっている。都立労働研究所は80年代、技術革新のもとでの労働・職場の変化にかんして4つの調査をおこなったが、その分析を試みたある医学者は、「主としてオフィス労働者に関して得た結論」として、つぎのようにのべる(「職業性ストレスと『過労死』の社会学的パースペクティブ」山崎喜比古『社会学と医療』所収)。  
 「最も広範にみられた第一の変化は、仕事量が増えた、あるいは人手不足傾向が強まった、仕事の範囲が広がった、責任が重くなったというものである」「変化の第二は、企画判断など頭を使う仕事や創意工夫の余地は拡大したというものである」「すなわち、仕事の自由裁量度は大きくなったかも知れないが、職務上の要請・圧力は少なくともそれ以上に強まった。つまり、職務上の要請・圧力は仕事の自由裁量度が大きくなったことのポジティプな影響を相殺して余りあるほどに強まった」
  こうして労働者に裁量性をあたえ「やりがい」を植えつけつつ、ノルマを増大させていったのが、80年代の企業のやり方であった。この論者は、分析の結論として、過労死をもたらす現在の労働者のストレスを、「ノルマストレス」と名づけている。 裁量労働制は、このやり方を合法化するものであり、無制限に適用されるなら、ホワイトカラーをさらに過酷な状態に追い込むことになるであろう。

<労働基準法の適用除外となる危険はらむ>
 裁量労働制の重大な問題の一つとして、労働基準法の適用を除外する労働者の範囲をふやそうとする動きとのかかわりが指摘できる。5月10日、労働基準法研究会は、つぎの労基法改正にむけた報告を労働大臣に提出した。これはきわめて多面的な内容をふくむものだが、そのなかに「労働契約等法制の適用及び当事者」の項がある。ここでは、現行労基法のもとでの労働者慨念が、使用者の指揮監督下で労働するものと解釈されていることを紹介しつつ、「指揮命令や拘束性といった労働者であることを特徴づけるような要素の少ない者が増加している」「裁量労働により就労する場合には時聞的拘束度が小さい」とのべられている。つまり、裁量労働制の適用される労働者は、労基法による保護があたえられる労働者とは、完全には一致しないというのが、労働基準法研究会の考えなのである。
 この報告は、「労働者性の判断については、当面、昭和60年の労働基準法研究会報告『労働基準法の労働者の判断基準について』により運用することが適当」としている。ここでふれられている昭和60年(1985年)の報告では、つぎのようにのべられていた。  
 「『労働者性』の有無は『使用される=指揮監督下の労働』という労務提供の形態 ……によって判断される」、「業務の内容及び遂行方法について『使用者』の具体的な指揮命令を受けていることは、指揮監督関係の基本的かつ重要な要素である」、「勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されていることは、……指揮監督関係の基本的な要素である」
 これは、勤務時間が管理されていなければ、指揮監督関係の基本的な要素がなくなり、したがって労働者性の基本的要素もなくなるという論理である。裁量労働も、労基法で「当該業務の遂行の手段及ぴ時問配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難」とされているのであるから、裁量労働にたずさわる労働者には、労働者性の基本的要素が欠如している、したがって労働基準法の適用もできない、ということになりかねない。
 労働基準法研究会のメンバーが、すでにのべたように、裁量労働制を「労働保護法制の根幹に触れる性質のもの」と規定したのは、このような背景があるからである。

三、外国との単純な比較はできない

 裁量労働制を推進する人たちは、欧米でもホワイトカラーは労働時間規制の範囲外にあるという。「この問題についても先進国の例をみると、アメリカのエグゼンプトとフランスの力ードルを挙げることができる」(保原・前掲論文)。
 まずこの点では、わが国においても、すでに管理監督者が労基法の時間規制の枠外におかれていることを、指摘しなければならない。この対象となる管理監督者は、労働省の通達によっても「経営者と一体的な立場にある者」とされ、本来きわめて限定された概念である。しかし実態をみれば、企業の課長クラスは、ほとんどが包含されている。
 労働省の「賃金構造基本統計調査」によれば、管理職等の従業員にしめる比重は、部・課長で8・5%である。また、労務行政研究所の調査(「時間外割増率と営業、役職者の時間外の取り扱い」『労政時報』3096号)によれば、係長であっても時間外手当が支給されていないものが12・7%もおり、これらの係長も通達の時間規制をされていないので、日本でも労働者の10%程度は、労基法の時間規制の枠外におかれていると推測されている。

<管理職の働き過ぎが問題になるアメリカ>
 アメリカのホワイトカラーについていえば、公正労働基準法によって二種類の適用除外者(エグゼンプト)があるが、日本と大きく異なるわけではない。適用除外の一つは「管理的、運営的もしくは専門的地位において使用される被用者」であり、もう一つは「外勤セールスマンとして使用される被用者」である。
 まず後者であるが、外勤セールスマンは、わが国においても、すでにのべた事業場外労働の「みなし時間制」の対象であり、それが適用されれば労基法の通常の労働時間規制をうけない。 前者についてみても、管理的、運営的な被用者といえば、両国の法律上の概念の違いはあろうが、日本での管理監督者のことである。専門的な被用者にしても、これまで日本で裁量労働制の対象となってきた「研究開発の業務その他の業務」と大きく変わるわけではない。
 したがって、実際に労働時間規制の適用除外をうけているホワイトカラーの数にも、本質的な違いはない。中窪裕也氏が紹介するアメリカ労働省の統計によれば、 1989年時でで、民間部門の労働者のうち、管理的、運営的、専門的な被用者のしめる割合は14・8%である(「アメリカの適用除外とカナダの二段階規制方式」『日本労働研究雑誌』399号所収)。日本では管理監督者が10%、アメリカの専門的被用者にあたる「研究開発の業務その他の業務」で働く労働者は、前出の5業種で約186万 人、全就業人口の3%(90年国勢調査の推計値)で、実際はアメリカとほとんど変わらないといえる。
 しかもアメリカでは、年俸制で裁量的に働くホワイトカラーの働き過ぎが問題になってきている。『日経ビジネス』誌(92年11月16日号)で、米ハーバード大学のある助教授は、「平均的な米国のビシネスマンが午後5時に帰宅して庭の芝刈りをする光景は、過去のものとなった。今や午後7時過ぎに疲れきって帰宅し、持ち帰った書類の作成をし、週末も出張でつぶしている」「現在のように年俸だけを規定する契約では労働時間が際限なく長くなる。政府の規制で年間労働時間を盛り込むべきだ」とのべている。
 こうしてアメリカでは裁量労働制につうじる年俸制が問題になリ、労働時間にたいする政府の規制が求められているときに、日本ではホワイトカラーへの裁量労働制をひろげ、時間規制からはずそうとしているのであり、逆行以外の何ものでもない。

 <厳格な歯止めのあるフランスの事例>
 フランスでは、ホワイトカラーは事務員、テクニシアン(技術員)、職工長、力ード ル(幹部職員)、エンジニアーに分けられるという。このうち力ードルが、裁量(請負)労働をおこない、時間外労働規制の枠外にある者として典型例といわれている。しかしカードルの割合は、88年の政府統計によっても、雇用労働者総数の11%であるとされ(「時間外労働の国際比較と日本のあり方」神代和欣『労働法学研究会報』1879 号所収)、日本の管理監督者どほぼ同じ割合である。
 しかも、この力ードルも、上級の幹部職員と一般の幹部職員にわけられ、後者の場合は「賃金支払い明細書に包括的な賃金に対応する労働時間数が記載され」「この時間数を超過すると、超過勤務時聞の割増賃金支払いに関する諸規定が適用される」といわれている(「フランスの年単位変形労働時間制と幹部職員の労働時間管理」小宮文人『日本労働研究雑誌』399号所収)。わが国の裁量労働制のように無制限ではないのである。
 またフランスでは、この裁量労働制が他のホワイトカラーにひろがる傾向にあるともいわれている。しかしこの場合、条件はさらにきびしくなる。賃金が残業手当を含んだものと同等かそれ以上であり、本人の承諾を得るという「二つの条件をカバーすれば法的に認められている」(「フランスのホワイトカラーのキャリアーと労働時間」鈴木宏昌『季刊 労働法』165号所収)のである。 さらに、判例上も、割増賃金を支払う義務のないのは力ードルだけであり、「請負労働の仕事の量が多すぎ、残業をせざるを得ないテクニシアンなどの場合、所定外労 働を請求する可能性はある」(同前)のである。
 外国の例をもちだして裁量労働制をひろげようとするのは、かえって日本の裁量労働制の特異性をうきぼりにするだけである。裁量労働制の無制限な拡大を許さないために、今後ともたたかいをつよめていかなければならない。(了)