2014年3月14日

 たくさんの読者を獲得した『若者よ、マルクスを読もう』ですが、第2弾刊行の可能性が拓けてきました。秋かなあ。

 これ、内田樹さんと石川康宏さんが、マルクスの本を一つひとつ取り上げ、それに関する紹介や評価を往復書簡で論じるものです。第1弾は、『共産党宣言』をはじめ、マルクスの20歳代の著作が取り上げられました。

 第2弾は、最初に論じられるのが、『フランスにおける階級闘争』と『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。つづいて『賃金・価格・利潤』が対象となります。

 だいたい5つくらいを対象にして、1冊の本になるんです。だけど、お忙しいお二人ですから、なかなか前に進まない状況が続いていました。

 だけど先日、朝日カルチャーセンター中之島教室で、お二人の対談があったんです。「若者よ、いまこそマルクスを読もう──蘇るマルクス・レーニン主義」というタイトルでした。それがかなりの分量になるものですから、往復書簡とあわせて、1冊の本になるだけの分量になります。

 第1弾は、その性格にふさわしく、サブタイトルは「20歳代の模索と情熱」とつけました。今回、つけるとすると、「社会の変え方」という感じでしょうか。

 取り上げられるマルクスの著作のひとつが、フランス革命を論じたものですから、そもそも社会の変え方に通じています。しかも、第1弾以降、3.11があり、そしてブラック企業問題をはじめとする日本の労働環境の深刻化があり、対談も往復書簡も、いきおいそういうことが主題にならざるを得ませんでした。

 とりわけ対談で議論になっているのは、「連帯」という主題です。同じ労働者なのに分断されていることによって、現状を打開する道筋が見えにくくなっている。男と女とか、正規と非正規とか、若者と高齢者とかは、本来は連帯し合って、向こう側にある資本と闘うべきなのに、仲間同士が相手から何かを奪うんだという構図になっている。そんな感じでしょうか。 

 だからこそ、マルクスが「万国の労働者、団結せよ」と言ったことが、いまの日本でこそ求められているとうことが論じられています。3.11も、日本社会にとって大事なのは連帯であり、共同体の復活だということを示しましたよね。

 グローバリズムに対抗するのは労働者の国際連帯、インターナショナリズムです。そんなことを示唆する本になるでしょうか。

 なお、第1弾は在庫切れになっていますが、現在、文庫版が角川から出ています。角川ソフィア文庫です。

2014年3月13日

 ウクライナといえば、一度も足を踏み入れたことがない国である。ソ連時代、キエフ空港にトランジットで数時間滞在したことがあるだけだ。

 この国に関する知識もほとんどなかった。チェルノブイリがある国という程度か。

 だから、今回の問題を通じて、クリミア半島がウクライナ領だと知ったとき、びっくりした。過去、何度も戦争の舞台となった戦略上の要衝を、ロシアが手放していたなんて、ほんとうにびっくりである。

 そうなんだね、フルシチョフが自分の出身地であるウクライナに与えたんだね。そんなことが権力者にとって自由にできたんだ、ソ連という国は。そのツケが、いま回ってきているというわけである。

 今回の問題は、勢力圏という考えが、いまでもロシアにも西側にも残っていることを浮き彫りにした。ただ、ウクライナ全体を我が物にしようというのではなく、ロシア人が多数を占めるクリミア半島だけでも確保しようという動きになっているのは、勢力圏思想もこぶりになってきたことのあらわれかもしれない。

 議会の多数は分離独立だという。このまま進めば、住民投票の結果、分離独立を支持する世論が多数を占めると予想する声が多い。そうなるかもしれない。そして、今回の行為は許せないにしても、ロシア系住民の多さとかなどを理由にして、最終的には、クリミアがウクライナから協議離婚すべきだという声もある。

 だけど、本当に、クリミアの世論は分離独立なのだろうか。本日の朝日新聞で知ったのだけど、いまのクリミアの首相は、つい2週間前に選ばれた分離独立を唱える政党の党首だが、3議席しかない政党だそうだ。そして、首相を選ぶ議会は、ロシア軍とみられる武装した兵士が監視するなか、定足数に足りない状況で開かれたそうだ。

 つまり、議会の多数だって、実は分離独立を望んでいない可能性が強い。軍事圧力があるなかでの投票だって、少しも正当性を保障しないのである。

 6割を占めるというロシア系住民だって、ソ連崩壊後、西側の「自由」を体験している。ロシアに帰属する気持ちの部分もあるだろうけど、政治制度としてロシアに親密な感覚をもたないだろうと感じる。

 ロシアは、本当に住民投票で勝つ自信があるなら、平時に、軍事手段など使わないで、投票に持ち込めばよかったのだ。そうではなく、今回のような手段でなんとかしようとするのも、自信のなさの裏返しではないだろうか。

 やはり、ウクライナのことはウクライナに任せるべきなのだ。クリミアの問題も、分離独立の是非やあり方も含めて、ウクライナのやり方で解決べきだろう。今回のことを通じて、古い勢力圏思想が完全に消え去ることを望む。
 

2014年3月12日

 昨日は3年目の3.11。これまでと同様、南相馬市の追悼式に参加し、黙祷してきました。

 これまでと違ったことは、主催者から式次第を渡されたこと。そして、主会場の大ホールに参加してもいいと案内してもらえたことです。その意味は、3年間を体験したものでないと、分からないかもしれません。

 1年目に現地の企画(蓮池透さんの講演会と伊勢﨑賢治さんのジャズヒケシ)を組み、それに参加するツアーを旅行社にお願いしたんですよ。そのツアーの大事なプログラムのひとつが、追悼式での黙祷でした。どうしても私自身がそうしたかった。

 だけど、直前になって旅行社が市に連絡をとると、参加はご遠慮願いたいということでした。あくまで遺族のもので、その心情に配慮してほしいということだったんです。犠牲者を利用して反原発を叫ぶなんてやり方をする方たちもいましたから、それと同列視されたかもしれません。

 困ってしまって、企画の実行委員の一人が桜井南相馬市長とは懇意だということを思い出し(九条の会などのつながりで)、直接、市長にお願いしました。市長はOKということで、ホッと一安心。

 だけど、市長からの指示があったことをふまえても、担当部局はやはり遠慮してほしいということでした。それほど、ご遺族の心情に配慮しなければならないという気持ちが切々と伝わってきたんですが、結局、サブの会場をつくってもらうということで決着したんです。

 だから、はじめて式次第をいただき、主会場でもOKと言ってもらえたことは、大きな変化でした。3年間、まじめに通い続けたこちらがわの愚直な気持ちを、少し理解してもらえたということでしょう。そういえば、共同通信も、この最後の日のツアーを取材していました。

 来年以降は、この3年間の積み重ねをふまえ、さらに前に進みたいなと思います。どういう方向に進むかは、現地の方とのご相談をへてのことですけれど、キーワードは「すべての被害者の連帯」というところでしょうか。

 福島にとどまっている人も、避難した人も、すべての人が集う場所をつくり、それをツアーに参加した全国の方が支援・連帯するようなものができればいいなと思います。原発訴訟の本をつくることは、そのためにも有意義なことだと感じます。

2014年3月11日

 昨日は福島2日目でした。明日、いよいよ、3年目の3.11ですね。

 今回のツアーの目的のひとつは、福島第一原発を自分の目で見ることでした。そして、ようやくそれが叶いました。写真をご覧ください。看板の「注意」と書いてある上あたりに塔が見えますが、それが原発の建物です。

 ここは原発から3キロか4キロという地点です。昨年3月時点ではここまで来ることができなかったのです(4月から可能になりました)。ここの線量は低いのですが、柵を越えると急に高くなるそうです。

 なぜ原発を見たいんだ、原発を見たからどうなんだと問われると、返す言葉はありません。日本にこれだけの災害をもたらしたものを、どうしてもこの目で見たい、という以外にはありません。

 実際、すでに見たわけですが、だから私の思想に何かをもたらしたわけではなく、次は、敷地内に入って見てみたいという気持ちがわき起こっただけです。これはいつ実現するのか分かりませんけれど。

 さて、昨日は、ここをはじめとして、20キロ圏内にあるいろんな場所を案内してもらいました。放置されたままの場所も多く、3年前の様子がそのまま残されているという感じのところも少なくありません。変わっているのは、仮置き場が建設され、ガレキが分別され始めているという程度でしょうか。

 30年ローンを組んで引き渡されたばかりの家というのも紹介されました。ところが、ここには帰れない(昼間は可能だが泊まることは禁止されている)一方で、避難先の方が線量が高いというんです。どうすればいいのか、本人も判断がつかない。究極の矛盾で、福島が抱える問題の深刻さを知らされることになりました。

 いつもお世話になっている農民連の三浦さんが同行し、夜の交流会にも参加してくださいました。そのお話が印象に残りました。

 三浦さんは、20キロ圏の南相馬市小高区で農業をやっておられたわけですが、そこでの農業に見切りをつけ、相馬市の北にある新地というところで農業を再開しておられます。同時に、元の農地にはソーラパネルを設置しているそうです。仲間の農民ともいっしょにそれを推進している。

 なぜソーラパネルかというと、もちろん、原発でむちゃくちゃにされた場所に自然エネルギーを根付かせるという、理念的な問題もあります。農地は日当たりのいいところじゃないとダメなので、エネルギー効率としても最適だということもありますね。でもそれだけではないんです。

 何十年と長期間にわたって農業ができない土地です。だから、農民にとっては、このままでは手放すしかない。だけど、ソーラパネルを設置して、そこから利益が得られるなら、手放さないですみます。

 そういう状態のままであれば、何十年か先、農業ができる状態になったとき、自分の土地なのだから再開できるかもしれません。もちろん、その時は自分は住んでいて、子どもや孫は農業に関心を示さないかもしれないけれど、可能性を信じて生きていけるわけです。

 それって、人間の人生にとって大事なことだと思います。福島に来る度に、こちらが支援しているというより、福島から励まされることが多いです。ありがとうございます。

2014年3月10日

 昨日、「福島で子育て中の家族集まれ! 音楽のつどい」でした。すっごく感動しました。

 第一部、ZABADAKの歌が、まずすごかった。小峰さんの歌、心にしみいります。会場一番のりは、千葉から来られたファンの方だということで、人気の強さの秘密を垣間見た感じでした。7日には京都講演をやったばかりで、8日の日、一日かけて福島まで車で強行軍。ありがとうございました。

 最二部、『あの日からずっと、福島・渡利で子育てしてきました』の著者である佐藤秀樹・晃子ご夫妻に池田香代子さんがつっこむ企画、感動的でした。最後の方で、晃子さんが、子どものために反原発というスローガンに覚える違和感を指摘されたことは、とっても響きました。この本があり、さくら保育園があり、わたり病院があることで、もしかしたら「渡利」をキーワードにして反転攻勢に挑む運動とか、本とかが可能になるかもしれません。

 第三部のジャズヒケシ。突然、私が、安斎育郎先生を迎えたトークの司会をすることに。伊勢﨑賢治さんと福島高校ジャズ研究部の音楽の方は、出演者も参加者もとっても楽しんだ企画になりました。途中、菊地誠さんのテルミン友情出演があり、それにZABADAKの小峰さんが「蘇州夜曲」で加わって、ジャズとの共演、こんな取り合わせは歴史上初でしょ。ジャズ研の創設者でテレビユー福島の大森真報道局長もアルトサックスで飛び入りしたりして、ホント、やってよかったと思える企画になりました。

 本日、これから浜通りです。飯舘村、浪江町などに入り、福島第一原発が見える場所まで行ってきます。ネット環境はどうなるでしょうかね。