2014年9月4日

 一転、池上さんの文章が載ることになった。いいことだけど、今回の問題で傷ついたことは完全に修復することはないだろう。池上さんのコメントも突き放したような感じを受ける。

 また、身内からの批判があって、それが表に出てくることは、言論機関としてまだ生き残れることを示しているとは思う。ただ、なぜ掲載拒否という判断をして、どういう議論があって、最後は載せるということになったのかについても、何らかの検証と公表が必要だと思われる。

 私のこの記事は、朝日の慰安婦検証記事に「欠けていること」を書くことを目的としている。だけど、それは明日に延ばして、池上さんの記事を見て感じたことを一言だけ。

 池上さんの書いていることは、おそらく多くの方が共通して感じたことだろうと思う。その中身について朝日がどう考えるのか、よくよく説明していかないと、読者と朝日の溝は埋まらないと思われる。

 池上さんがあっさりと書いていて、私が「これは問題だな」と感じたのは、他の新聞も同じ間違いをしているのだと弁解していることだった。それ自体は事実だし、そういう事情があることも理解するが、当事者がそう言っては身もふたもない。

 しかも、他の新聞は、早めに方向転換したわけだし、朝日が30年もかかったことの説明になっていない。当事者は自分自身の検証につとめるべきだ。

 それに、この言い方がすごい違和感をもたらすのは、慰安婦問題での橋下さんの言い方と同じだからだ。日本がやったのは悪いけど、他の国もみんなやっていたではないかという、あの言い方である。

 おそらく、慰安婦問題を憂えている方の多くは、橋下さんの言い方を見て、聞いて、慰安婦問題で橋下さんが何らかの反省をしているとは感じないだろう。自己弁護のように捉えるはずだ。それと同じようなものを感じさせるわけだから、やってはいけなかった。

 ただ、私がいちばん問題だと感じるのは、そういうことではない。その検証をふまえて、朝日は慰安婦問題をどうとらえ、どう解決しようとしているのか、そこが見えてこないことである。そこが欠けていることである。

 強制連行はなかったけれども強制性があったので本質は変わらないということなら、これまでと同様、法的な謝罪と賠償が必要だと言うのか。あるいは、そこが明記されていないことをとらえて一部の方が批判しているように、「決着済み」という政府の考えに近づいていくのか。そこは何も書かれていない。(続)