2014年9月10日

 慰安婦問題で「強制性」が具体的に証拠として出されるなかでは、韓国以外の女性が多い。韓国の「強制」事例は、慰安婦の総数が膨大な割には、そう多くはない。

 これはある意味で当然の結果である。中国とかインドネシア(オランダ)などの事例は、日本が侵略して一部を占領した国であって、その国の主権はその国にある。だから、そこに住む女性を慰安婦にしようと思えば、日本軍の要望通りに動く地方行政当局が存在するわけではないので、おのずから強制が必要となるわけだ。

 一方、朝鮮半島は日本の植民地である。支配した当初こそ、いろいろな抵抗運動があったが、武力を背景に鎮圧していく。そして、抵抗運動が止んだわけではないが、日本の意向が浸透するような状況がつくられる。慰安婦の問題も、軍がそれを必要とするようになると、日本本土と同じように朝鮮半島でも業者が生まれ、日本で募集すると同様に朝鮮半島でも募集がはじまるわけだ。

 だから、韓国でも日本と同様、強制せずとも女性をスムーズに慰安婦にできた例が多かったかもしれない。だけどそれは、外形的には「自由意思」と言い張ることもできるだろうが、もっと大きな視野でみれば、韓国に対する強権支配が浸透したことの結果なのである。本質的には支配の貫徹であって、自由というものとは真逆なものである。

 しかも、植民地支配を合理化する人のなかには、韓国の人々を日本人と同じに扱ったと言う人もいる。だけど、少なくとも慰安婦についていえば、日本では21歳以上に限られていたが(日本が批准していた「婦人・児童の売買禁止に関する国際条約」が21歳未満の売春を禁じていたから)、植民地はそれが適用除外されていた。韓国で名のり出た慰安婦の大半が慰安婦になったのが10代だったのは、その結果である。条約が10歳代の売買を禁止していたのは、「自由意思」にもとづいて自分を売買が不可能だからであって、韓国で適用除外しておいて「自由意思」を強調することはできないと思う。

 それでも、当時は、とくに10代の若い女性は、生まれたときから日本人として育てられた。だから、韓国の女性が慰安婦になるのと、当時の日本人の女性が慰安婦になる気持ちと、そう大きな違いがなかったかもしれない。

 しかし、日本の敗戦にともない朝鮮半島が独立することになって、慰安婦とされた女性も自分は日本人ではないという自覚をもつことになる。そして、その後、60年代にかけて全世界で植民地の独立が進み、植民地というのはあってはならないのだという認識が地球規模で確立する。その過程で、慰安婦にされたことが「自分たちの意に反した」という気持ちは、どんどんふくらんでいったに違いない。人権問題での意識の向上とか、他方、90年代初頭の地域紛争における女性虐待とか、いろいろな要素も加わってくる。

 だから私は、慰安婦のことを論じるのに、「強制」の証拠集めはあまり必要ないのではないかという立場だ(学問的に大事な意味はある)。スムーズに慰安婦を集められたことが証明されればされるほど、日本が朝鮮半島を植民地にして、その支配を及ぼすことによって女性を慰安婦にできたのだということが証明されるという立場である。

 そして、次には、その植民地支配の問題である。(続)