2014年9月8日

 日々議論されているので、私も、ずっと考え続けてきたことを書き留めておく。不定期にだけど。

 まず「強制」という問題だ。強制連行はあったのかなかったのか、吉田証言は虚偽だったけれど、強制性は引き続き本質的なものかどうか、そういう問題である。

 吉田証言の虚構は以前から明白だったとはいえ、慰安婦問題での市民運動は、強制連行を重視してきたと思う。そのため、個々の慰安婦の証言だとか、裁判資料を集め、公開してきた。

 強制連行って、それが事実なら、やはり人の気持ちに入り込んでくる。いやがる少女に銃剣を突きつけて連れ去る図というのは、そんなことをやったヤツは絶対に許せないという気持ちを起こさせる。

 実際、日本から韓国に行って慰安婦問題を学ぶツアーとかがあると、必ずそういう場面を描いた絵を見せられる(当然、写真ではない)。そして日本軍への怒りがかき立てられ、それを謝罪しない現在の日本政府を糾弾するということになるわけだ。

 こういうツアーに何回もかつがれた(○○さんと訪ねる慰安婦問題を学ぶ韓国ツアーということで)ある人が、朝日の検証記事を見てがっくりきているという。そういう話を、そのツアー会社の社長から聞いた。

 そうだろうなと思う。それに対して、吉田証言にかかわらず強制連行はあったのだから間違いはないとして、同じようなツアーを続けるのか。そこを根本的に考え直すのか。

 もう8年ほど前になるのだけど、慰安婦問題に熱心なある学者と議論をしたことがある。その方は、当時から吉田証言は信用しておらず、一方、強制連行にかかわるいろんな資料を発掘することに熱心であった。

 私は、研究者がいろんな資料を発掘するのは研究者としての当然の仕事であって、ずっと高く評価している。学問の世界では、そういうことは大事である。

 でも、その時に私が言ったのは、いくら事実をたくさん集めても、歴史学として大きな意味はあるが、それを市民運動の方針の証拠文書するようなことでは、強制はなかったとする右派の攻勢には勝てないのではないかということだった。大事なのは考え方の転換ではないのかということだった。どういうことか。

 右派が根拠としているのは、政府や軍が組織的に強制連行をやれと指示した文書はないというものだ。それに対して、個別の慰安婦の証言だとか兵士の証言、個々の派遣部隊の文書をいくら集めてみても、それは個別の事例があったよねということであって、政府や軍がそういう方針をもっていたことの証明にはならない。逆に、政府や軍の方針に反してそういうことがやられたという「証拠」になりかねない。

 いや、そういう証言が慰安婦のかなりの部分から出るなら、文書は残っていないが実態は強制連行だったということが説得力をもつかもしれない。だけど、慰安婦が数千人だったというなら数百人程度の証言で十分だっただろうが、運動のなかで慰安婦の総数はふくらみがちで、いまや市民運動や韓国側が慰安婦の総数として提示するのは20万人、30万人という大規模なものになっているので、強制連行が本質だったというにはせめて数千人の証言が必要だろうから、どんどん証明が難しくなっている(私は数の多寡は慰安婦問題の重大性に関係がないという立場であって、明々白々な証拠なしに数をふくらませるやり方には反対である。秦さんが言う2万人で十分だ)。

 それに、こういうやり方は、慰安婦問題を事実として認めてきた中間派にとっても、あまりいい影響をあたえなかったと思う。自分は日本軍が慰安婦制度をもっていたことを悲しいことだと思い、日本が河野談話等で謝罪して良かったと考えているのに、次から次へと証拠を出して謝罪せよということになると、自分が責めたてられているように感じるだろうからだ。このあたりの感情は、正しい理念をもって闘う市民運動派には理解できないかもしれない。

 では、私が必要だと思う考え方の転換とはどういうものか。(続)