2014年9月16日

 慰安婦問題をかかげる市民運動のなかでは、吉田証言に信頼性がないことが、早くから分かっていたと言われる。朝日が今頃取り消したのは遅いというわけだ。それはそうだと思うけれど、朝日も市民運動も、いわゆる「強制連行」とか「強制」に引きずられたことは間違いなく、それは吉田証言の影響である。

 「強制連行」というのは、本人に意思に反して無理矢理連れて行くということである。そんなことがあれば、たとえ植民地支配下であったとしても、絶対に許されない違法行為である。

 そういう許されないことがあったという吉田証言があったために、その後、慰安婦が名のり出た際、「あなたは強制連行されたのかどうか」ということが、問題の重大さを判断するメルクマールみたいになってしまった。強制連行されたかどうかで、その行為が重大だったかどうかがちがってくるということになるので、名のり出た慰安婦にも大きなプレッシャーになっただろうと思う。親に売られたのだと証言すれば、朝日新聞も市民運動も気にくわないということになるのだから。

 慰安婦問題の重大さは、そんなところにはなかった。それを誤らせたのが吉田証言なのだ。では、慰安婦の何が問題だったのだろう。

 軍隊が戦争するに際して、兵士に対しては命を差し出せと求める。女性に対しては体を差し出せと求める。そういう制度を政府がつくった。日本やドイツは公式的に、国民の反発の強いアメリカやイギリスでは非公式に。

 まず、そのこと自体が問題だ。いま、アメリカやNATOがアフガニスタンで十数年にわたる戦争を遂行しているが、慰安所をつくるかどうかなど問題にもならない。そういうものを日本がかつて堂々とつくり、いまなおそれを正当化しているように見える(ただ見えるだけか、本当に正当化しているかは微妙)ことが、国際的な批判の対象となっている(いま問題にならないのは、かつての戦争が勝敗が決するまで兵士が帰国できなかったのと異なり、派兵がローテーションになって休養ができるようになったという変化も反映しているのだが)。

 しかも日本は、植民地である朝鮮半島の女性に対しても、体を差し出せと求めた。日本から戦地に行った慰安婦の多くは、貧しい農村から売られて、戦時下にはすでに公娼になっていた人たちだったが、韓国からはまだ職についたことがない年若い女性が対象にされた。慰安婦否定派とされる秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』を読むと、日本軍が経験豊かな日本人だけでなく、朝鮮半島から来るうぶな慰安婦を渇望していた様子が活写されていて、恥ずかしくなるほどだ。前にも書いたが、21歳以上の女性の売買は国際条約で禁止されていたのに、日本は、それを植民地には適用しないことで(日本だけでなくどの国も適用除外したわけだが)、そういう女性を戦場に集めたのである。

 市民運動がこういうことを問題にしたなら、それこそ秦郁彦氏なども含め、一致できるものになったはずである。そういう女性を日本がかつて集めたという日本の政治的、道義的責任を問題にするというならだ。

 しかし、朝日も市民運動も、それでは満足しなかった。法律違反の「強制」にこだわったのである。違法だということは、法律に違反したものを裁けということであって、実際、市民運動は、実行行為者を裁判にかけ、有罪にすることを求めたりした。民間法廷では、慰安婦制度に根本的に責任があるとして、天皇に対しても有罪判決を下した。

 この結果、「ああ、市民運動をやっている人が政権につけば、天皇が法廷に引きずりだされ、何十年も前の「罪」が暴かれ、有罪になって牢獄につながれるのだ」というイメージを植え付けた。私が学生の頃、ある大学当局者が大学民主化闘争の頃をふりかえり、「団体交渉で学生に反論したら、「政権を奪ったら人民裁判にかけてやる」とすごまれた。怖いと思った」と告白していたけど、それと同じ感じを国民多数はもっただろうか。

 そのような思惑優先で集めた「強制」の証拠だから、個々には貴重なものがあったとは思うが、天皇を有罪にするほど日本国全体が組織的に朝鮮人女性を「強制連行」したかということでは、やはり説得力に欠けた。そして国民の支持は、90年代半ばを最頂点にして、どんどん減り続けていった。

 市民運動って、多数をめざすなら、どういう対決構図をつくるのかが大事である。多数をめざさないなら、ただ理念をかかげて突っ走ればいいのだけれどね。